「バカ梵天」に吹き出した『悪魔との対話』
いま「サンユッタ・ニカーヤⅡ」(『悪魔との対話』岩波文庫)を読んでます。
悪魔とか、神々、信者たちとの対話で、とっても面白いのです。
超有名な「梵天勧請」=お釈迦さまが、
「私の悟った真理は難解すぎて人に理解されない。人に説くのは徒労だ」
と思ったときに、梵天さん=ブラフマンが出てきて、
「教えを広めてくださいよ」と頼んだという逸話も出てきます。
で、一箇所、吹き出してしまったところがあります。
「第1章・第4説 バカ梵天」
仏典に「バカ」って出てこないよな、パーリ語で別の意味かしら、
と思ったら、そのまんま「バカ」なんです!
「そのときバカ梵天に、このような悪い偏見が起こった。
――これは常住である。これは永遠である・・・・」
「尊師はバカ梵天に次のように言った。
『バカ梵天は無明のうちにとらわれている』・・・・」
「バカ梵天いわく・・」
「バカ梵天いわく・・」
もう10回以上、バカバカ連発です。
(漢訳では「婆句梵天」。中村元先生以外は
どう訳してるのかわかりませんが)。
仏教以前、神々の中で梵天=ブラフマン信仰がピークに達し、
世界を創造した絶対神と畏怖されていたのです。
それに対して、お釈迦さまは「絶対神なんていない」としつつ、
「民衆がわかりやすいように、梵天など神々を使ったが、
身近なサブキャラとして描かれている」と解釈されてます。
絶対神どころか、梵天さん、バカ呼ばわりです!
第6節では、釈迦が瞑想しているすきに、
2人の梵天さんが、「梵天界は栄えて、みんな怠けて暮らしているよ。
そこに行こうよ。かの梵天をビックリさせてやろうよ」「そうだね」
といって、梵天界で2000人に分裂してみせて、
仲間の梵天をビックリさせて消えちゃったりしています。
梵天さん、身近すぎます。
仏教の革新性を、笑いながら痛感しました。
仏典というと、ありがたくて深遠というイメージで、
たしかにそのとおりなのですが、
一方で感動あり・涙あり・笑いありの読み物としても
相当に面白いと私は思います。
この「サンユッタ・ニカーヤⅡ」、
悪魔のセリフなど身につまされるところが多いので、
また近いうちに紹介させていただきます。
- ブッダ悪魔との対話―サンユッタ・ニカーヤ2 (岩波文庫 青 329-2)/著者不明

- ¥903
- Amazon.co.jp
にほんブログ村

