勝間和代VS香山リカ
ちまたでは、勝間和代VS香山リカの対決が話題を呼んでいるようです。
本気か女子プロレスかは知りませんが。
発端は、昨年、香山さんが新書『しがみつかない生き方』の最終章に、
「勝間和代を目指さない」という項目を設けたことです。
勝間さんが反論として『やればできる』という本を出し、
目ざとくキャッチした「AERA」が両者の対談を掲載、
さらに『勝間さん、努力で幸福になれますか?』という対談本にして、
という流れです。どれも売れてるようで、みんなハッピーですね。
しがみつかない香山 VS 努力すればできる勝間
という、かなりすれ違ったバトルが展開されているようですが、
ブディスト的にはちょっと面白いかも。
というのは、「しがみつかない」=執着を断ち切れ、というのは、
お釈迦さまが何万回も言ってることですよね。
一方で、「努力せよ」=怠るな、というのも、お釈迦さまが繰り返し
言っていることです。
どっちのことばも、原始経典にいやっていうほど出てきます。
要するに、すべてのことに「しがみつかない」人になるには、
生涯かけて努力しないといけない、
そのぐらい難しいわけですよね。
「人生を効率化して努力して社会的成功を目指す」
という勝間テイストを香山さんは批判しているようですが、
だったら
『勝間さん、努力の目標がくだらなすぎませんか?』と言えばいい。
あと、勝間さんが反論するなら
『しがみつかないのが一番むずかしい』と言えばいい。
まぁ、両氏の対談本は読んでないし読む予定もないので、
以上のことが合っているかわかりませんが。
昨日、原始経典の「感興のことば」を読んでて笑ってしまったのですが、
「つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の足跡である。」
(第四章ー1)
おー、勝間っぽい。と思ったら、
「『わたしはこれをなしとげた。これをしたならばこれをしなければ
ならないであろう。』というふうに、あくせくしている人々を、
老いと死とが粉砕する」(第1章ー41)
こちらは香山っぽい。
ちなみに、勝間さんが「三毒追放」の三毒(貪・瞋・痴)を
「怒る・妬む・愚痴」と書いているのが、
仏教用語を間違って使っていると各所で笑いものになっていて、
確かに間違っているのですが、
どこかで聞きかじっただけの仏教用語を得意気に使ってしまう
勝間のワキの甘さ・無知さが、私はけっこうかわいいと思います。
それから、香山さんの単著は昔から何冊か読んでいましたが、
なかなかいい本があります。たとえば、以下のようなやつ。
- 〈じぶん〉を愛するということ―私探しと自己愛 (講談社現代新書 (1456))/香山 リカ
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- テレビゲームと癒し (今ここに生きる子ども)/香山 リカ
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