美しい慈経 | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

美しい慈経


昨日のブログで書いたA・スマナサーラ長老の著書のなかで、
スリランカの仏教徒にもっともよく知られているとして
「慈経」というお経が紹介されています。


これは短いけれど、本当に美しいお経でして、
「スッタニパータ」にも出てきて、うっとりしました。


勝手ながら、スマナサーラ長老訳の全文を紹介させて頂きます。


==== 慈経  ===================


[解脱という] 目的をよくわきまえた人が、
静かな場所に行ってなすべきことは [以下の通りである。]
何事にもすぐれ、しっかりして、まっすぐでしなやかで、
人の言葉をよく聞き、柔和で、高慢でない人になるように。


足ることを知り、手が掛からず、
雑務少なく、簡素に暮らし、
諸々(もろもろ)の感覚器官が落ち着いていて、賢明で、
裏表がなく、在家に執着しないように。


[智慧ある] 識者達が批判するような、
どんな小さな過ちも犯さないように。
幸福で平安でありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。


いかなる生命であろうともことごとく、
動き回っているものでも、動き回らないものでも、
長いものでも、大きなものでも、
中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、巨大なものでも、

見たことがあるものもないものも、

遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
既に生まれているものも、[卵など、これから] 生まれようとしているものも、
生きとし生けるものが幸せでありますように。


どんな場合でも、ひとを欺いたり、
軽んじたりしてはいけません。
怒鳴ったり、腹を立てたり、
お互いにひとの苦しみを望んではいけません。


あたかも母が、たった一人の我が子を、
命がけで守るように、
そのように全ての生命に対しても、
無量の [慈しみの] 心を育てることです。


慈しみの心を、一切世間(すべての生命)に対して
限りなく育てることです。
上に、下に、横(周り)に[棲む如何なる生命に対して] も、
わだかまりのない、怨みのない、敵意のない心を育てることです。


立っている時も、歩いている時も、坐っている時も、
あるいは横になっていても眠っていない限り、
この [慈悲の] 念をしっかり保つものである。
これが梵天 (崇高なもの) の生き方であると言われています。


[このように実践する人は] 邪見を乗り越え、常に戒を保ち、
正見を得て、
諸々(もろもろ)の欲望に対する執着をなくし、
もう二度と母体に宿る(輪廻を繰り返す)ことはありません。


この真理の言葉によってあなた(がた)は、三宝に守られますように。
この真理の言葉によってあなた(がた)は、三宝に守られますように。
この真理の言葉によってあなた(がた)は、三宝に守られますように。


==============================


こんなふうに生きられたら、どんなにいいことか・・。

と思いつつ、ゴキブリが出たらギャーッといって

瞬時にコックローチする自分がいるわけですが・・・。

来世は地獄決定だな。


日本テラワーダ協会のHPには、パーリ語&日本語のテキストと、
長老の音声ファイルが載っています。
ここのHPは、本当に力が入っていて感心します。

http://www.j-theravada.net/sutta/Metta_Suttam2.html

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