ブッダ時代、インド人は宇宙をこう考えた
古代インドと仏教の宇宙観
木村泰賢全集5-5
仏画を見ていると、背景に山(須弥山)があったり、
下のほうに地獄があったりするが、あの世界観は誰が考えたのだろうか?
須弥山、南閻浮洲(なんえんぶしゅう)、地獄、鬼神といった世界像は
もっとも古いとされる経典中にも多く散在している。
たぶん、当時インドで信じられていた常識的な世界観を、
ブッダは説法のために便宜上採用したと思われる。
(世界の説明それ自体がブッダの目的ではないから、
ブッダの創見だと考える理由も見あたらない)
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阿毘達磨時代にくだって、
この世界観も仏教流に改造されてきた。
(事実としての世界観と、仏教流の倫理的・心理的世界観を
調和させる必要があったため)
※資料としては阿含部聖典内の断片的な記述、
一番重要なのは長阿含の「世起経」に登場。
パーリ語「アングッタラ・ニカーヤ」や、ジャータカの註釈など。
物器世間(この世界の形態、有情のすみか)と
有情世間(物器世間に住む生物の総体)とに分けるのが通例。
もともと精神的境地を分類した三界(欲界・色界・無色界)
ではあったが、原始仏教の教理を整理・発展させる過程で、
それぞれに応じて特殊な世界がある、と考えるに至った。
(人生観が転じて、物理的な世界観に広がった)
当時あった空想・神話・文学的な要素と結びつけて
説明しようとしたのである。
<古代インドの神話的宇宙観>
リグヴェーダ時代は普通に物理的(地、空、天の3界)。
それぞれに神々や生物が住んでいるとした。3界がそれぞれ3つで9界とも。
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ウパニシャッド、バラモン教時代も素朴なもの。
例)世界は亀のような形。甲羅が天、底が地、中間が空、とか。
須弥山は出てきたが、世界の中心ではなかった。
(まだ、全インドの地形に想像がおよばなかった時代)
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民族が南下して、雪山や海(河?)を見たりしたことで
学派時代に壮大な世界形態論に発展する。
・新バラモン教
・仏教
・ジャイナ教 それぞれに世界形態観があった。
<新バラモン教の宇宙観>
例:マヌ法典1章の「世界の創造」(面白い!)
宇宙のはじめは混沌とした暗黒、いわば眠りの状態。
そこに永遠の自存者が自ら「水」を生んで、種子をまいたら、
太陽のようにかがやく金の卵になり、中から梵天が生まれた。
梵天は卵を2つにわけ、上を天・下を地・中を空とした。
また有情をつくろうとして、まず自らより意(マナス)をつくり、
意から我慢を、それから大我を・・・と五唯五根をつくった。
だが、世界はいろいろ循環しながら、ものすごく長い時間のあと
またもとの暗黒に戻ってしまう。
このものすごく長い時間は、実は梵天の1日にあたり、
梵天が寝ると暗黒に。起きると、また世界が創造される!
(創造と無窮輪廻とをドッキングするには、
このような循環説をとるしかない)
例:プラーナ(神話)の世界地理観
7つの海と陸が同心円状になっていて、中心は閻浮提洲(全インド)。
そこに須弥山があり、その頂の中央に梵天の都がある。
7つの国に分かれていて、それぞれに特徴があるが
人間は1万年ほど生きてだいたい金持ち、
「男は黒色、女は青蓮色」とか「夫婦は同時に生まれて姿も性格も同じ」
などなど、かなり面白い。
また、天界とか地獄、閻魔なども、すでにこの時代から存在した。
※新バラモン教時代の宇宙観・・・今後、私の一生において
1度たりとも役立たない知識だと断言できますが、たいへん面白い。
<仏教の宇宙観>
これは説明すると大変なので、図にて。
前に『須弥山と極楽』という本を読んだとき、
「いったい何の根拠でこんな宇宙観を?」と思ったものだが、
お釈迦さまが考えたわけではなく、
「当時の神話的な宇宙観+当時のインド人の地理天体観察
+阿毘達磨論師たちがいっしょうけんめい考えた」
という来歴がわかった。よかったよかった。
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