禅が堕落していたころ(花園大学公開講座)
花園大学仏教講座(09年12月)-1
「東京禅センター」(世田谷区・龍雲寺)の「花園大学 禅・仏教講座」を
聞きにいってきました(2009年・12月12日)
今回も、メチャクチャおもしろかった~~~~!
講師はお2人で、まずはその第一弾・
安永祖堂先生(国際禅学科教授。お坊さんです)。
テーマは 「近世日本の臨済宗-プレ白隠禅の名僧たち-」
白隠禅師(1685~1768)といえば、「臨済宗の中興の祖」と呼ばれますが、
白隠以前に、一時、禅がダメダメな状態になっていたのです。
◆ 権力とカネにまみれた禅 ◆
室町時代、将軍・足利家は、「五山制度」を導入します。
京都の寺5+1と、鎌倉の寺5を、「官寺」として支配下に起きます。
官製仏教の時代。一種の国家公務員みたいなものでしょうか。
で、応仁の乱→戦国時代になって、幕府の衰退とともに五山も権力を失い、
林下(より民間志向の大徳寺・妙心寺=臨済宗や、永平寺など曹洞宗)
の禅寺が勃興します。
でも、戦乱で京都が焼け野原になるような状況で、
禅僧は寺で集団で修行することができず、
「密参録」(師と弟子が口頭でやる禅問答)の時代が続きます。
この頃の密参禅のありさまを、強烈に皮肉った文書が残っています。
ざっくり意味だけ記すと
「この200年来、臨済宗も曹洞宗も、昔の公案に解説をつけたようなものを
300則も集めて、これを破参大悟だとしてに秘密の箱にしまいこんでいる。
もし火事で箱が焼けてしまったら、そんな教えは灰になってパーだ。
なかには高僧もいるのだろうが、高慢になって、これに異議を呈するものもいない。
まるでトビが、死んだネズミを取って大事に秘蔵しているようなもんだ」
(「霧海指南」1672年。著者は黄檗宗の潮音道海禅師=1628-1695年)
なかには、その公案が入った「秘密の箱」を、
金持ちに売りつける坊さんまでいたそうで、
当時の禅はカネと権力にまみれていたようです。
◆ 禅に絶望して、イエズス会に流れた僧たち ◆
禅が堕落していたころ、日本にポルトガルからキリスト教が入ってきます。
(1549年、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸。
1569年、宣教師ルイス・フロイスが信長に謁見して
京都での布教許可を得る)。
そしてなんと!
禅に失望した僧が、キリスト教(イエスズ会)に改宗する事態が
相次いだそうです。
これは、日本に入ってきたキリスト教が、
まだ若いイエズス会(1534年にできたばかり)だったことがポイントです。
なんと、イエズス会は、禅に似ていたというのです。
いや~、知りませんでした。
<禅> <イエズス会>
武士道・・・・・・・ 騎士道
(創設者のイグナチオ・デ・ロヨラは元騎士だし)
公案・・・・・・・・・ 霊操
(ロヨラが体系化した修行プログラム)
で、その「禅僧からイエズス会に改宗した第一級の知識人」が、
不干斎巴鼻庵(フカンサイ・ファビアン)だったのです。
前に、一度、ファビアンの本のことを書いたことがありますが。
http://ameblo.jp/nibbaana/entry-10226171762.html#main
(続きは次回)
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