原始仏教思想論2
原始仏教思想論2
木村泰賢全集3-2
◆ブッダ時代、いろんな新思想が入り乱れていた◆
旧バラモンが祭式にあけくれて生気を失ったの対して、
新興国ではいろいろな「沙門(しゃもん)団」
(=勤息ごんそく=努力する人)が現れて、
自由に出家して新思想を唱えた。お釈迦さまもその一人。
ブッダが最初に師事したアーラーラカーラーマやウツダカラーマブッタも、
沙門団の統領であった(彼らの説は、現在、詳細にはわからない)。
仏教とウパニシャッドの関係・・・原始仏教の文献には登場しない。
ブッダがウパニシャッドを知っていたかさえ不明である。
ウパニシャッドは西方のバラモンの内秘教だったため、
東方新興国には伝わらなかったのかもしれないが、
その思想的な空気は仏教にも影響している。
ブッダがいったんは布教を断念したけれど、やっぱりやることにしたのは、
マガダ周辺で、いろいろな沙門が人心をまどわす新思想を吹聴するのを
見るに見かねたからではないか(BY 木村先生)。
当時の沙門諸派の主張はおおむね8種類(長阿含14巻)
・常見論(世界も自我も常恒)
・半常半無常論(一部分は無常、一部分は常恒)
・有辺無辺論(世界が有限か無限かを論じる)
・詭弁論(何事に関しても、決定的解答を与えない)
・無因論(一切は偶然の現象で、因果の関係なし)
・死後論(死後の意識状態をいろいろ解釈する)
・断見論(死後の断滅を主張する)
・現法涅槃論(どんな状態を最高の境界とするかを論じる)
原始仏教ともっとも関係が深い思想潮流は、
1 バラモン教→マハーバーラタに至る倫理観
例えば、5戒(バラモン教の規定より)とか
2 ブッダの人生観・世界観は奥義書の系統を引く
3 非バラモン主義は、当時の自由思想の影響を受けている
バラモンを正とするなら、六師は「反」であり、
ブッダは正と反を止揚・綜合しょうとした。
これは広い意味での中道であり、
当時の新思想のなかで仏教の特色といってよい。
◆ ブッダの態度 ◆
<実践的>
ブッダの考察の対象は、広くいえば宇宙そのもので、
一切の世間現状を貫く一貫した法則を見出すことにあった。
だが、その目的はあくまで、
いかにして涅槃解脱するかであって、それに役立たない抽象的議論は排した。
(ここが科学者との違い)
<如実>
考察法において、ブッダがもっとも重んじたのは、
「なにごとをも如実の相(あるがままの現実)において見る」こと。
たとえば、修行中に夜の森林の恐怖感をのりこえるために、
他の修行者が、夜なのに「昼である」と思い込む方法を取ったのに対し、
ブッダは「夜は夜」として乗り越えねば意味がない、とした。
「宗教的アヘンをもって一時の慰安をとるがごときは、
ブッダのあえてせざるところであった」
<分析的>
世界の成立要素を解剖し、活動の様式を明らかにして、
そこに働く法則を見出す。
(5薀とか12因縁とか。分析的手法は仏教の大きな特徴)
<法=ダンマ>
原始仏教の立脚点は、法を悟り、法を実修ことに他ならない。
入滅時にブッダが言ったこと。
「阿難よ、(我が入滅後は)自らを光とし、自らを依拠として住し、
他の依拠によるなかれ。
法を光とし、法を依拠として住し、他の依拠によるなかれ」
人格的ブッダの現・不現のごときは関係ない、という誡め。
この法は、普遍性と必然性を帯びる、不変の真理であるとの確信のもとに。
(ダンマは、「dhr=保つ」という語源からきたもの。
リグヴェーダ時代から、神々の作用に「ダンマ」という言葉は用いられた)
事実に関する法則は、やがて思想界に関する法則の認識に導く前提である、
とブッダは考えた。
「解脱道」は普遍必然なので、これを行えば自然に理想界に進み行くもので、
その間に何らの念願も作意も必要ないーーこれが「法性」の意味である。
「我に解脱智見実現せよ、と念ずるを要せじ。これ法性なり」
<四諦>
かの有名な「苦・集・滅・道」
苦・集=世界の事実に関する法則=この世界は苦であり、苦の因は渇愛欲望にあり
滅・道=理想に至る法則=苦を滅しようとすれば八正道を通じて渇愛を滅せよ
これは、現実と理想の両界にわたる「常恒の法則」である。
「比丘よ、この四諦は真如なり。不虚妄なり。不変異なり」
と、ブッダは高らかに宣言する。
だが、いかにこれが常恒の法則であったとしても、
それを実現した人格としてのブッダが現前にいたことで、初めて意義を持った。
これが、バラモン教とは大きく違う。
法性を、自分の力で「利用できる」。
逆にいえば、これを利用しない限り、「法」がいかに素晴らしくとも、
少なくとも宗教的立場からすれば、何らの用もなさぬものである。
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