唯一神の誕生
インド哲学宗教史ー3
木村泰賢著作集1巻-3
◆ヴェーダにおける神と人の関係
主として親子で、これに関連して親戚・朋友・まれに君臣の態度
神も人も似たものである
↓
・饗応政略を用いて神を利用するという宗教的堕落を招いた
・一方で、人は元来神性を具有するという前提から、
一切衆上生悉有仏性的な信仰を生じるもととなった。
◆祭式・呪法
供養で神々の関心をかう、功利主義的な側面がある。
ex.リグヴェーダのインドラ曰く「供養しないものはすべて戦場で打ち殺すものなり」
リグヴェーダ時代は「信念なしには供養は効かない」という側面があったが、
後年のヤジュルヴェーダ、ブラーフマナにかけて、儀礼によって神を利用する
祭式中心の宗教となる。
(ヤジュルヴェーダには祭官の一挙手一投足に規定があり、
バラモンの祭式がこのあたりで完成したといってよい)
・通常は家長が仕切り、ときには祭官に依頼した
・悪魔退散や、他人に呪いをかける、モテる、賭博に勝つなど、さまざまな呪文があった
◆死生観
アス(生気)とマナス(霊魂)。
死後に天界で、まずヤマ(死界の王)の裁判を受ける(仏教時代のヤマ天と閻魔に発展)
地獄の思想があったかどうかは定かではない。
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<ヴェーダの哲学思想>
◆一神教、万有神教の芽生え◆
ヴァーダの末期
アーリア文明が五河地方から中国地方に移った時期。
自然信仰もやや固定化し、少数の詩人が内面的に整調しようと試みた。
(多数の神々を統一する原理=唯一神をつくりだした)
例)リグヴェーダ10巻の、通称「創造賛歌」
従来の自然神の上に、最上唯一の原理を立て、抽象神として命名(造一切主、原人など)
→万有神教、一神教的な要素の誕生。これは非常に大きな哲学的な転換点である。
(同時に、自然神への懐疑=インドラなんて存在しないよ、とか。)
さらに、「詩聖らは唯一の有を種々に名づけたり」=諸神は、実は同じ唯一神である、と。
※「人間至奥の要求として、思想の進むに従って必ず最後の統一を欲するものである」(P137)
インド哲学の特質たる「万有神教」の原理が明白に現れる(例:アディティ=無限)
◆宇宙観 ◆
リグヴェーダ10巻の、通称「創造賛歌」は、哲学的に宇宙の発生を考察している
・宇宙の太源を唯一とする
・万有の生起は、その唯一の太源から発展したとみる
(唯一神が高いところにいて世界を つくったのでなく、
自身が発展して現象界になった)・・・・万有神教というより、むしろ万有在神論
・万有が発展したあとも、太源自体は動じないとみる
創造賛歌=無有歌・生主歌・造一切歌・祈祷主歌・原人歌の6篇が代表的
(P146~に和訳。無有歌は特に哲学的)
・名称は違うが、「唯一神」を立てている。この見方は長くインドを支配し、
ウパニシャッドの「唯一不二」、大乗仏教の「唯有一乗法無二亦無三」は
この系統から発展した
・「太源から発展」→ウパニシャッドや唯識系仏教の「縁起説」は、これが発展したもの。
・太源はそれ自身が万有であるとしつつ、「原人」のように人格神としても捉える
⇒ 非ヴェーダ主義哲学の先駆、ここに現る!!