バンコクのエラワン祠
タイ3日目
最終日はバンコクの主要な3つの寺院を回った。
◆ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)
すごい! 金キラキンの極彩色の世界に、あっけに取られる。
エメラルド仏のいらっしゃるウボーソットは、台座も金キラキン、壁には天井まで壁画がびっしり。
隙間恐怖のような豪華ぶりは、息を呑むほかない。
トルコのトプカプ宮殿や、フランスのヴェルサイユ宮殿に近い世界だ。
超ゴージャス、ワット・プラ・ケオ
◆ワット・ポー
涅槃仏が好きな私が憧れる、黄金の巨大涅槃仏にやっと出会えた。
覚醒と諦念の果ての微笑みというか、とてもいいお顔。
いつかこういう表情の人間になるのを、人生の目標とすることを決意した。
◆ワット・アルン
渡し舟で行くというだけで、もう楽しい。
こちらも隙間恐怖のようにびっしり装飾で埋まった仏塔。
でも仏塔のてっぺん近くに鎮座するのは、エラワン(像)に乗った
インドラ神(帝釈天)である。
三島由紀夫の「暁の寺」を読んでみよう。
「リバー・クルーズ1時間400B」という客引きにそそられて、
チャオプラヤ川をオンボロボートでクルーズする。
学校帰りの子供たちが、制服を脱いで飛び込んで泳いでいた。
◆番外 エラワン祠
バンコク一番人気は、あのブラフマン!
バンコクの街中に、あまり仏(釈迦)はいない。
一番にぎわっているのは、サイアムスクエア駅近くの大きな交差点
(東京で言えば数寄屋橋交差点みたいな感じ?)にある、エラワン祠だ。
エラワンとは像だが、祭られているのは、なぜかブラフマン。
合格祈願や商売繁盛祈願などで、たくさんの人が花を捧げて、真剣に祈っている。
どうやら、ここがバンコクで一番、信仰を集めている場所のようだ。
ブラフマンといえば、バラモン教の天地創造神・唯一絶対神で、
お釈迦さまは「そんな神なんていないよ」というところから出発したのに・・・。
もちろん、唯一絶対神としてではなくて、単に現世利益をかなえてくれる
「効く神様」としての信仰だろうが、なんだか複雑な気持ちである。
で、エラワン祠のすぐ横(伊勢丹並び)にある2つのデカい祠は、
エラワン(像)とインドラ神。こちらも、みなさんひざまずいて真剣に祈っている。
民衆信仰としては、(バンコクにおいては)釈迦より、こっちのほうがイケてる、
といった感じ。
◆本日の疑問
・エメラルド寺院(&王宮)のようなゴージャスなものがなぜ造れたのか?
トプカプ(トルコ)やヴェルサイユ(フランス)は、帝国として植民地や周辺諸国から
収奪した富で建てられたはず。タイはそういう帝国ではないのに、原資はどこから?
・宗教は、個々の人の救済には結びついたと思うけれども、
国家や王が宗教を採用して、ゴージャスな寺を造ったり、自分の権威づけに使った
ことが、民草の役に立ったことは、歴史的に見てあるのだろうか?
・現世利益や呪術性や奇跡がない宗教を、信仰する人は、ほんのわずかなのでは?
つまり、お釈迦さまの考えたことは、ほとんど誰にも理解されてないのでは?
(だって、入滅後早々に神格化されて「ジャータカ」=前世物語とか
作られてしまうわけだし)
◆タイ旅行で考えたこと
日本の仏教が、釈迦本来の教えとかけ離れたものだ、ということを知って、
じゃあ上座仏教の国なら、「本来の教え」が生きてるのかな?と思ったら、
そんなことはなかった。
阿弥陀や観音や不動明王はいなかったが、エラワンやインドラやブラフマンがいた。
これらを指して「むしろヒンズー教である」と分析した学者もいるそうだ。
さらに「そんなことはタイ人には関係ない」と書いた本もあったが、
関係ないと言っちゃっていいのだろうか?
ひざまずく相手が、釈迦でもブラフマンでも、それは関係ないかもしれない。
けど、たとえばエラワン祠で「他の女に走った彼氏が、どうか戻ってきますように」
とお祈りしたとして、釈迦なら「その渇愛が苦しみのもとなのです」と考えるだろうが、
そんなこと言う仏・神は、ウケないわけで。
お釈迦さまは、けっこう孤独な思索家なのでは、という気がしてきました。
いつかスリランカにも行ってみたい。
でも、そういうこととは別に、タイはサイコー! また行きたい。

