アユタヤ→バンコク | 釈迦牟尼スーパースター ~仏教のつれづれ~

アユタヤ→バンコク


<タイ その2>

◆ 3日目

アユタヤの、オールド・ロッブリー川の外にある寺へ。
やっぱりアユタヤに泊まったのは大正解。
日帰りだと、中州内の寺しか回りきれない。


・ワット・ナー・プラメーン
  仏像が金ピカで、宝冠ときらびやかな衣装をつけている。
  仏と王様の同一視・・・。
  隣の堂にある古い仏像(ドヴァーラヴァティー様式)は素朴でいい。


・ワット・チャイワッタナーラーム
  今回のアユタヤ旅のベスト遺跡。
  広い芝生の中に、かなり建物が残っている。リスや小鳥。
  寺まで川沿いの道を走って、牛やヤギがいたりして、とてもいい。



釈迦むに・スーパースター ~仏教のつれづれ~
(ワット・チャイワッタナーラーム。絶対ここは見るべき)


・ワット・プッタイサワン
  リアル寺の裏に遺跡。
  お坊さんたちが、冷房の効いたお堂で新聞を読んでダラーっとしてたりして、
  そんなに徳が高いように見えないんだけど・・・やはり高いんでしょうね。


◆ 夕方、バンコクへ

また乗り合いタクシーでバンコクに戻る。ほかの乗客はみんな白人。


・タイ式マッサージへ

・夜、繁華街のスクムウィット通りへ。
 銀座が歌舞伎町になっちゃったような街で、歩道に露天が並び、
 インド人、アラブ人、黒人、白人が入り乱れて大変な猥雑さ。楽しい。
 
 Soi3だか5だかが、イスラム通りと化していてびっくり。アラブ料理屋が並ぶ。
 通りで、スーツ姿の謎の白人男2人が、大声で、どうも聖書を朗読してるっぽい。
 
 外国人客向けのレストランに入る。
 中産階級風の白人の男連れと、見るからにナンパ待ちのタイ女性(ご商売?)が多い。
 道に面したテラス席に、いろんな物売りが来る。
 盲目の人は、一人カラオケで歌を歌って歩いている。
 
 夜9時ぐらいになると、表通りに立ちんぼさんがズラリ。
 Soi4の1画(ナナ・エンターテイメントプラザ)をのぞくと、
 大音量でロックをかけているバーが並んでて、白人男がタイ女性をぶら下げて歩いている。
 路上で、屈託なく「いくら?」と価格交渉している男女も。
 おだやかなアユタヤと同じ国とは思えない・・・。


 でもバンコクでも、危ない目にあったりボッタくられたりは一度もなかった。ほぼみんないい人。



◆ 本日の疑問
  
 ・バンコクの路上では、子連れや手足のない乞食を何人も見かけた。
  タイの仏教界は、こういう人たちを救済する何かの働きかけをしてるのだろうか?
 
 ・上座仏教の教義的には、そういう現実的な救済(要は食べ物と金の援助)
  をどう位置づけているのだろうか? それとも放置するのだろうか?

 ・在家で仏教徒である(=仏・法・僧に帰依する)とは、いかなる状態を指すのか?
  何をして、何をしないのが「帰依」した証拠になるのか?
  たとえば、
    ・もっとお金が欲しいから売春しているけど仏教徒
    ・貧しい家族を養うために売春しているけど仏教徒
    ・旅行者には倍額だとウソをつくけど仏教徒
    ・街の乞食を蔑んで素通りするけど仏教徒
    ・唯一絶対の神がいると信じているけど仏教徒
    ・来世は金持ちに生まれかわりたいけど仏教徒
  というようなことは、どれがOKで、どれがOKではないのか?


 ・ タイでは人口の90何%が仏教徒、と表現されるけれど、どういう根拠なのか?


 ・私は毎日お酒を飲むけれど、仏教徒と名乗っていいのか?

 (つづく)