佐々木閑先生×藤田一郎先生 その2
セッション講演「仏教と科学の接点」のお話、その2です。
続いて、佐々木先生が仏教のお話をされました。
(写真は、会場の世田谷・龍雲寺に咲いてたお花)
◆ 世界は75の要素でできている! ◆
・仏教誕生前、世界はブラフマン(梵天さん、バラモンと同じ言葉)という
神が創って、動かしていると信じられていた。
でも、この梵天さんは、優しいだけでなく、ときに恐ろしい神。
カースト制度も含めて、ブラフマンが作った。
・そこでお釈迦さまは考えました。
「それは、違うんじゃねーの」?
じゃあ、神じゃなくて、どうやって世界は動いているのか?
といったときに「法則で動いている」と。
しかし、2500年も前に、よくそんなことを考えたものです。
キリストが生まれる500年も前ですよ。釈迦はスーパー天才だったのか・・。
・釈迦がなくなったあと、弟子たちが朝から晩まで「世界の成り立ち」を考えた。
そして、世界をどんどんどん細かい「要素」に分解していったら、
七十五に分けられた。これが「アビダルマ」の「七十五法」。
(その一覧のコピーを配ってくださいました。中村元『仏教語大辞典』から)
・「これが”有”の哲学の全容です。
つまり、釈迦仏教では”宇宙は実在する”と考えていたんです。
よく言われる”空”の思想、あれは大乗で出てきた考え方ですからね。
アビダルマの”有”を否定するために」(佐々木先生)
そうだったのか! やばいやばい。
◆ 「わたし」はあるけど、「無我」である! ◆
で、弟子たちが、世界をどれだけ細かく分解してみても、
そこに「我」は見つかりませんでした。「我」は要素の集合体だったのです。
「仏教では、”わたし”(=自意識)という言葉は、平気で使います。
でも、”わたしに実体がある”としたとたんに、拒否します」と佐々木先生。
”はい、これがわたしです”と示せたり、永続したりするものではない、
それが「無我」の思想で、「わたし」という意識がないわけではない。
難しい!!
でも、わたし=「シナプスの電気信号の伝達パターン」と考えると、
なんとなく「無我だよな」と感じました。というイメージであってるのかなぁ・・・。
◆ 時間はコマ割りである! ◆
映画のフィルムは、実は1秒間に24コマの静止画をつなげた、
超ハイスピードの紙芝居です。
なんと、仏教の考える「時間」もそうなんですって!
常に流れているわけではなく、「刹那」という単位のコマ割りだと。
私が前に読んだ本では、「刹那=75分の1秒」とあったのですが、
1秒間に75コマ。映画より3倍もスムーズなフィルムです!
例えば、今、目の前に「佐々木閑」という先生が動いていますが、
それは静止画像を何万枚も見せられているわけで、
しかも1枚たりとも同じ画像はない。
その総体を佐々木先生だと思っているだけで、
「佐々木閑」という実態があるわけではない。
で、このフィルムを回す映写機を止めること、それこそが「涅槃」だというのです。
「時間を超える」、生も死もない、それが仏教の目指す「涅槃」だと。
これが「時間論から見た無我です」と、佐々木先生の刹那の集合体はおっしゃいました。
目からウロコ落ちまくりであります。
「わたし」「無我」「無常」「空」・・・このへんは、本当に概念が難しくて、
ごちゃごちゃに使ってるインチキ仏教本もあるように思います。
ちなみに、この「仏教と科学の接点」シリーズは、第3弾が11月にあるそうで、
次は「フラクタル」(だっけな)の先生と、佐々木先生のセッションだそうです。
何が何でも行く!!