佐々木閑先生×藤田一郎先生「仏教と科学の接点」
勝手に師匠と思っている佐々木閑先生の講演に行ってきました!
東京禅センター主催の花園大学公開講座(5月19日)
「仏教と科学の接点」
仏教学者・佐々木閑先生(花園大学教授 写真左)と、
認知脳科学者・藤田一郎先生(大阪大学教授)の
セッション講演です。
(事務局の方がとった写真をパクってしまいました、
すみません)
個人的には、テーマを見ただけでヨダレが出そう。
第1回は、このお2人で東大駒場キャンパスでやって、それも行きましたが、
今回は臨済宗妙心寺派の「龍雲寺」(世田谷区)でやりました。
どちらも内容は最高に面白かったですが、
やはり仏教の話はお寺で聞くとよろこびもひとしおですねえ。
いや、ほんとうにエキサイティングで至福の3時間でした。
自分が忘れないように、ちょっと内容をメモしておきます。
(自己流なんで、間違ってたら、先生すみません)
◆「記憶」がなければ、「わたし」はありうるか
⇒じゃあ、最新の脳科学で「記憶」って何だ!?
・「記憶」は一つではなく、いろいろな種類がある
・宣言記憶(言葉にできる)=エピソード記憶、意味記憶(知識)
・手続き記憶(言葉にできない)=スキル、プライミング、条件反射、その他
・脳の中で担う場所が違って、脳のある部分を損傷すると、
ある種類の記憶だけがブッ飛ぶこともある
◆ 記憶は、脳の中で、どうやって保存されてるのか?
「はい、これですよ」と取り出せるような物質ではない。
脳の神経細胞と神経細胞の連結部分=シナプスで電気信号がやりとりされている。
細胞1と細胞2が両方が活性化されると、そのシナプスは増強される。
ってことは、
記憶は、シナプスの連結を変えること、ひいては神経回路を変えることで
脳内に蓄えられる。
以上が、藤田先生のお話。
◆ 記憶は「刹那」を結び、「わたし」を作る
と言うことはですよ、
「わたし」というのは、電気信号の流れ方、みたいなもの?
たとえば・・・何億個も豆電球があって、接触のいい回線も悪い回線もあって、
あちらでピカッ、こちらでピカッというのを繰り返していて、
それを遠目でずっと見てると、「なんか図形っぽい」というのがあって、
そのパターンが「わたし」・・・というようなイメージでしょうか?
これは、お釈迦さまの発見した「無我=わたしという実体はない」ということと
とっても似ている・・・。
で、このあと、佐々木先生の仏教のお話は続くわけですが、それは明日書こう。
しかし、東京禅センターは素晴らしい!
11月に、また「仏教と科学の接点」第3弾があるそうです。やっほー!