震災から間もなく、2ヶ月が過ぎようとしています。
お陰さまで、たくさんの方々の昼夜問わず不眠不休の作業で、小生の住む仙台 泉区は、電気・ガス・水道のライフラインも復旧し、ガソリンスタンドやスーパーマーケットやコンビニも通常営業になり、地震で壊れた建物や道路の片付けや復旧も進み、元の生活や風景に戻りつつあります。
地震がなければ、お彼岸に生まれ育った石巻まで、お墓参りにいつも通り行く予定でした。
震災後、初めて足を運び、その片付けが進んでいない状況に、津波の爪痕の大きさに絶句しました。後片付けが進む仙台とは、別世界でした。
親戚の家の入り口には、背の高さを軽く越える山の瓦礫と津波で流されてきて、大破して動かない逆さになった車が放置されていました。近くの小学校は、避難している方々が大勢いて、自衛隊の作った仮設の入浴施設『希望の湯』の旗がなびいていました。
親戚のお墓があった場所は、後ろの小学校が火事で焼け、真っ黒の校舎が残るだけ、住宅はほとんどありませんでした。
小学校前の墓地は、ほとんどの墓石が流され倒され、足の踏み場はなく、瓦礫の山また山で、親戚のお墓のあった場所すらわかりませんでした。
街を一望できる 日和山から見る風景は、小さい頃から慣れ親しんだ石巻を思い出させるものは、ほとんどありません。
復興、復旧に日夜励まれている方々がたくさんいらっしゃることも知っています。
県内外全国各地から、海外からも、たくさんのボランティアの方々が被災地に入り、救援活動をされていることも知っています。
でも、まだまだ再建や復興、その域に達していない、日々の生活、片付けに追われ、住む家もなく、仕事もなく、想像を絶する状態に居る方々が、未だにいることを忘れてはいけないと強く思いました。
生まれ育った石巻の現状を目の前にして、涙があふれてきました。
小生は、今、自分が出来る仕事を、生活をしっかりすることしかできませんが、少しでも、何かの形で、石巻の、仙台の、宮城の復興の手助けをしていきたいと思いました。
同級生の実家のかまぼこやさんは、津波で工場が被害に遭い、営業はしていないようで、閉めていました。
まだまだ長い厳しい道のりになりそうです。
写真①:北上川河口近くで。船が津波で陸に押し上げられ、住宅につきささったままでした。
写真②:火事で焼けた小学校の校舎。前は、瓦礫の山でした。まるで、空爆を受けた町並みです。
日和大橋からみると、この地域で、この小学校だけが残った数少ない建物だとわかります。
写真③:石巻のシンボル、中瀬も、石ノ森漫画館だけしか残っていません。
同級生の家も造船所も幼い頃、祖父とゴジラを見た岡田劇場も流されて跡形もありませんでした。
被害を受けた建物や片付いていない瓦礫が、至るところにあふれ、そのままでした。
写真をとる気持ちも、この惨状を目にして、次第になくなり、自然と涙があふれてきました。


