私は真夜中に目が覚めた。
 
部屋には一筋の明かりも無くて、首の下に温かな真斗君の体温も無い。
暗闇と一人だという事実に気付いた事で感じた寒さで、ふるりと体を振るわせつつ、掛布団を引き上げようとした時…カーテンの隙間から、光が差し込んで来た。
不義をしたと私に教えるみたいに…。
 
 
「ひっ」
 
喉で呼吸が止まる。
真斗君と連弾をしていた時に、細くて綺麗だと褒めてくれた手首に、しっかりと痕が付いていた。
 
今朝、真斗君を送り出す時には無かった。
キスマークの時と同様で、真斗君が私の肌に痕を残す筈が無いのは、分かっていて…その相手は、すぐに思い付いてしまう…。
 
「どうしよう…」
 
もう言い訳は出来ない。
ピアノを弾く時に、確実にばれてしまう場所。
手首に包帯を巻けば、逆に真斗君に心配をかけてしまう事になるから、出来ない選択。
自分の弱さが招いた結果とはいえ、最悪な状況に陥ったと、私は馬鹿みたいに、頬を伝う涙を拭う事もせずに大粒の涙を零して泣き出した。
 
わんわんと子供の様に、大泣きしても、現状は変わらないと分かっていても、止められない。
嫉妬した自分がいけない。
アイドルの恋人なのだから、いつかは出会うラブシーンだと、分かっていたのに、我儘な嫉妬心に負けた為に、今回の事を引き起こしてしまった…と、懺悔と後悔の気持ちが体中で、爆発を起こし始めた。
 
そして…
真斗君が多忙なのを理由に、私は部屋に引き込んだまま外出を避ける様になり、肌の痕も薄くなって噛み後も殆ど消えていたけれど、それを確認する度に、自分の肌が恐ろしい程、青白く細く変化していると気付く。
でも、その変化に抵抗する気持ちは、私の中で失せていた。
 
引き籠り状態の私が、ただ一つ続けていたのは、こんな状態になっても、私の中にある
<真斗君への思い>
それだけを詰め込んだ曲を作る事だった。
 
穏やかに始まり、激しい嫉妬、何があっても私の心は変わらない。
一曲なのに、表情が変わる曲は、私の心を表現していた。
でも…私たちの未来の部分になった時…いつも、呼吸すら怪しい状態で大泣きしてしまい、五線譜も真っ白なままで作る事が出来ない。
 
離れる未来しか存在していないのだから、この曲を作り上げても、今迄の様な甘い感想を真斗君がくれる事は無くて、永久に眠らせる可能性の方が高くても、もう別の曲を作る事は出来ない。
音楽の神様は、駄目な私の思いに気付いて下さったのか、仕事が有り得ない程、舞い込んで来なくなり、自分から売り込みに行く事も避けていた為に、私は昼夜が分からない状態で、ピアノだけに触れていた。
 
部屋には音だけが響いている。
時々、消し忘れた携帯のメロディが微かに聞こえている気がしたけれど、私は聞かずに夢中で鍵盤だけを見つめる…。
 
 
 
幾日経過したか分からない。
途中。
珍しく、窓を割る事もせずに、鍵を掛け忘れた部屋の窓から入って来る、社長の姿が見えた様な気がしたけれど、私の指が止まる事は無く、首を数回振ると、幻影はまた消えて行ってしまった。
もしかしたら、本当に社長だったのかもしれないけれど、私の状況を見て放置を決めてくれたのかもしれない。
 
好き。
それだけの思い以外、心には無いと、叫ぶ様に作った後、私は最後の未来の部分だけ抜いた状態の曲をCDに詰め込んで、何日振りか分からない部屋から、重たい体を引き摺って出掛けた…。
 
 
 
 
 
_____コンコンコン。
 
今日仕事かもしれないけれど、私は運命に身を任せる事にして、ふらついた体で、此処が夢の世界なのか、現実なのか分からないと感じつつ目的地まで体を動かした。
ただ…到着した時、扉の横にあるネームプレートが、愛しい人の部屋だと、私に教えてくれる。
 
もう一度ノックをしようとした時、扉が少しだけ開かれ、その隙間から見えた真斗君は、私から視線を逸らしていて、演技の時に見せる微笑みだと、虚ろな思考でも分かった。
 
何も起きていなかったら…私が嫉妬に囚われなかったら…。
今日も同じ様な時間が流れて、
大好きな人の腕の中に包まれて寝る…筈だったのに。
 
「すまなかった」
「いえ」
 
少しの微笑みをくれる…目の前の人は…誰?
そう聞いてしまいそうな真斗君を私は見ていられない。
 
「真斗君。ありがとうございました」
「ハル…」
「本当に、ありがとうございました」
「…っ」
 
胸が痛い。
軋んで、ひび割れて、心の存在が無くなってしまえば良いのにと思ってしまう位。
もし、私が隠している事が、真斗君にばれてしまっているのなら、もう修正したいという願いは、酷過ぎる我儘でしかない。
今迄の幸せに感謝の言葉を伝えると、データの入ったCDを渡す事もしないで、私は真斗君に背を向けて歩き出した。
 
胸が痛めば痛む程、自分の中で真斗君がどれだけ大切な人だったのかを教えてくれている様で、私は両手をCDと一緒に胸に当てて、ホロホロと涙を零す。
 
良い恋をした。
自分よりも大切だと思える相手…一生に一度出会えないかもしれない運命の相手と、出会って結ばれる事が出来たのは、運命に愛されていたのだと、泣きながらも小さく微笑んだ。
一歩一歩。
壁に擦り付ける様に、歩いて行く。
 
 
ガタっ。
後ろで大きな音がした。
見てはいけない。
振り返れば、また終焉を迎える事が出来た事が、ひっくり返ってしまうと、唇を噛み締めて歩き続ける。
 
『偽り』
『痕で全てを決めるな』
『だから、アイツが…』
『見ろ!』
 
空気が揺れる様な音が背中から、更に聞こえて来る。
 
_____お願い。真斗君…私が望んではいけないのかもしれないけれど…幸せになって。