『データ廃棄』2(蘭春)
 
_____何かが聞こえる。
それは、激しさの中に優しさと…何かが含まれているモノで…。
何故か漠然と曲が私を包んでくれている感じがしていた。
そして…開いてもいない瞳から、涙が零れ、頬を伝っていく…。
 
 
 
「ん…」
 
気怠い体の感覚で、自分の体に起こっていた事を思い出して…一気に瞼を開くと、おかしな事に体内に入れ込まれていたモノの感触が無くなっていて、更に…全てが自由になっていた。
 
「…え?」
 
いつもいつも。
先輩から受ける行為の後は、ふらつく体を無理矢理に動かして部屋を見ると、全部終わった事で私から興味が削がれたのか、パソコンの画面に視線を向けている先輩の姿しか見えない筈なのに…。
今の目覚めたばかりの瞳が映したのは…私が意識を失う前にポスターで見た…強い瞳を持つ人が、ベースを持っている姿だった。
 
「お前…気が付いたか」
「…っ」
 
鏡越しに、強い視線が向けられる。
その瞳から感じる力は、ポスターからのモノとは比べる事も出来ない位凄い威力を持っていて…呼吸を奪われてしまう。
 
____凄い…力…。
 
聞かれたのに。
聞かれた意味は、分かってはいるのに。
答える事が出来ない。
 
それは、強い視線を受けて、委縮している訳では無くて…その瞳の中に何かを感じて…言葉が詰まってしまった為。
 
「…お前」
「…」
「同意か?」
「……分かりません」
「あ?」
 
眉が寄せられる。
シルバーが基本色な先輩の周囲に青白い炎が見えて、怯える子供の様に、両腕で自分の体を抱き締めた。
怖い。
それは、責められたと感じたからではなくて…先輩の視線は全部を見通している様に見えて、はしたない自分の内部を全部抉り出されそうな感覚に襲われたからで…それでも、その視線から逃げる事は出来ない。
でも、私が今、あの場所に居ないのは、多分先輩が救ってくれたのだから…きちんと答えたいと…きちんとソファーに座り直して、姿勢を正した。
 
はふっ。
 
一度、大きく息を吐き出す。
一気に吐き出すと、耐えきれなくて割れてしまう事をを防ぐかの様な行動をしてから話し始めた。
 
「あそこまで…とは思ってはいませんでした」
「…」
 
今度は先輩からの返事が無い。
でも、私が話し出した事で、先輩から向けられる視線が、最初のモノに変化した事に気付いて、体から少し力を抜いて話を再開させた。
 
_____大丈夫。
 
理由は分からない。
ただ…今、触れられてもいないのに、私は先輩に守られている様な感じがして、安堵が心に広がっていく…。
 
「…先輩が知りたいと思うモノに対して、私が出来る事があれば…と思っていました…」
「…」
「でも、途中から…違う…違う…と、分かっていたのに…っ……っ」
 
最後は形に出来ない状態になっていたのに、頷くかの様に、ゆっくりと先輩は一度瞬きをしてくれた。
その反応で、
『間違いな行動。愚かだから招いた事』
自分自身を責め続けて痛みを与えていた単語が、心から薄れていくのを感じて…私は、瞳から大粒の涙を零し始めた。
 
「…分かった」
「…ぅ…くっ」
「悪かったな」
 
ぎぃっ。
控室に置かれた椅子の音がして、そっと大切な人を扱う様に、ベースをケースに入れた先輩は、私の横に腰を掛けると、この部屋に来るまでに抱いていたイメージとは真逆の…優しい力で抱き締めてくれる。
 
その力加減。
今の私には優し過ぎて…更に嗚咽が大きくなっていく。
 
「お前は悪くねぇ」
「…で…も」
「弱いだけだ…ただ、自分に嘘は最低だ…ロックじゃねぇ」
「…ろっ…く」
 
抱き締めてくれる腕が、あまりにも優しくて。
少し前に見た、ベースと同じ位置に居る様な錯覚をしてしまう。
 
「てめっ。ロックを平仮名で言うなっ」
「……っっ」
「…悪い」
「…すみま…せん」
「責めてねぇよ」
「…でも」
「うるせぇ。そんなんだから、アイツに好きにされるんだよ」
 
今の状況を文章にしてしまえば、かなり先輩は怖いキャラクターになってしまうかもしれない。
でも、抱き締める腕、言葉遣いの荒さとは違う優しい低音の声色で…私は…何か自分の奥底で、チラチラと新たな温もりが芽生えるのを感じていた。
 
頭を撫でてくれているのとは違う。
甘い囁きでもない。
なのに…私は、先輩に全てを委ねたくて仕方が無くなっていた。
 
  
 
そして、唇が無意識に何かを紡ごうとした時…部屋に硬質な音が響き渡る…。
 
 
_____コンコンコン。
 
ビクっ。
小さく体が跳ねる。
先輩が抱き締めてくれていなかったら、透視能力、予知能力も持ってはいないのに、私は扉を叩いた相手が分かってしまった為に、自分自身を抱き締めて守りたい程の怯えが生まれて体をじわりと浸食していっていた筈…。
 
「蘭丸?誰か来てる?」
「…(黙っとけ)」
 
ビクビクと、まるで捨てられた猫が雨曝しになっているかの様に、震える私の体を一度痛みを感じる位にきつく抱き締めると、先輩は叩かれた扉へと歩いて行く。
立ち上がる瞬間小さな声で、私に命令を一つ零した後に…。
 
 
「んぁ?何だよ」
「ちょっと人探ししていて」
「さぁな。知らねぇよ」
「そう。なら良いや」
 
あっさりと。
分析や人の内部を簡単に読み取ってしまう先輩を軽くかわしてしまった事で、一気に体から力が抜ける。
 
「…ぇ?」
「てめっ。黙っとけ、言っただろうが」
「…すみません」
「行ったから、安心しろ」
「…せんぱ…」
「黒崎だ」
「……黒崎せん…」
「黒崎で良い」
「でも…」
「くくっ。お前…馬鹿だな、律儀過ぎる馬鹿だ…まぁ。嫌いじゃねぇ」
「…ありがとうございます」
「くくくくっ」
 
急展開過ぎる事に、心が追い付かない。
自分の優柔不断を責めて、暗い闇に落ちて行く状態から一転…硬質で痛みを感じるイメージを受けるのに実際は、優しく温かい場所に…私は移動していて…。
そして、初めて黒崎先輩の楽しそうに笑う仕草を見た私の心臓は、全力で演奏した後より激しく動き始めていた。
 
 
______嫌いじゃねぇ。
 
どうして、その言葉が、胸に沁みるの?
触れると、傷付くとイメージしていた場所は…何故か…今一番安らげる場所になっていた…。