4.
 
「時間です。交代していただけますか?」
「………はい」
「ありがとうございます。…そして…私は、貴女に謝罪しなくてはいけません」
「謝罪…」
 
困った様に眉を寄せる仕草。
懐かしさも感じるその仕草を見て、つい…思い出してくれたのかと、期待をした私の思いは簡単に覆されてしまう…。
 
「あの日。私がHAYATOを演じていた時。デビュー曲を書いてくれた方なのに、スタッフの人だと勘違いしてしまいました…役に入り込んでしまっていて…言い訳なのですが」
「役に…」
「はい。すみません」
 
すっと、謝罪の体勢になった一ノ瀬さんが起き上がらないうちに、表情を戻す事が出来たけれど…多分、頭を下げていなかったら、驚いたかもしれない。
私の顔は、絶望一色になっていただろうから…。
 
一ノ瀬さんは、そんな状況に気付いてはいない様で、一歩近付くと会話を続けた。
 
「我儘な話なのですが、一度曲を聞いても良いでしょうか?」
「…え?」
「音也に聞きました。曲を作っているそうですね」
「はい」
 
あの日以来、一ノ瀬さんとの会話が無かった私にとって、久し振りに直接聞く声なのに、体の一部が真冬の湖に沈む様に冷えていく。
  
好きな人。
愛し合っていた人の声なのに、温もりを感じる事が出来ない。
出会った頃に似ている声色と、言葉遣いで告げられた事は…音也君に作っている曲が聞きたいと言うモノ。
パートナーなら『私の専属です!』の言葉が出るのに、その声色から感じる今の状況では、どれだけ待ってもそれが貰えない思った私は、小さく溜息を作り出して、それでも好きな人に求められた事なのだから…と、曲を流し始めた。


_______♪~♪

まだ未完成。
手を加える部分は多く、未熟な曲。
ただ…芯となる『一ノ瀬さんと過ごして感じた幸せな思い。思う心』は、未来何があっても変わる事は無いのだから、この曲を聞いて少し変化があるかもしれないと、諦めの悪い私は、再度期待をしていたけれど…それもまた…簡単に壊された。

「…未完成ですね」
「はい」
「ですが、音也への思いが込められているのでしょうか?最後には良い曲になりそうな感じがしますね」
「……………ありがとうござい………失礼しますっ」
「え?」

目の前が突然停電が起こったかの様に、真っ暗になり、体の冷えが全身に巡ったのか、カタカタと震え始めた。
何が起こったのか、言われたのか、理解したくないのは、音也君との仲を応援する意味が込められている様な感想が、完全な拒絶にも取れて、私が一ノ瀬さんの横に居る未来が有り得ないと宣言されたのと同じだったから…。
震える声で、一ノ瀬さんが変だと思わない様に感謝の言葉だけを告げると、私はHAYATO様の時と同じ様に、簡単に荷物を纏めて部屋を飛び出した。

曲なら。
愛してくれていた曲でなら、思い出してくれるかもしれないと期待していた事は甘いだけの考えで、彼が認めてくれた才能だと、誇りに思っていたモノが今、一気にくすんだ色に変化していくのを感じると、涙をポロリと零して出来るだけ遠くに逃げる為に走り続けた。
 
 
 
次の日。
音也君と約束の時間になった為、一晩泣いて重苦しい頭と体を引き摺りつつ外に出ると…眩しい太陽を直接見た訳でもないのに、昼の眩しさで立ち眩みに襲われて、寮の玄関でふらりと体が揺らめいて…転びそうになる。
瞬間。
力強い腕がバランスを崩した私の体を引き寄せて、支えてくれた。
 
見上げると…。
太陽より眩しい髪と笑顔…いつでも変わらない明るさを持った音也君と視線が合って、あまりに顔が近かった為に驚きで動きが止まってしまったけれど、すぐに元に戻して感謝の気持ちを告げた。
 
「あのっ…ありがとうございます」
「いいよっ。本当に目が離せないよね」
「…すみません」
「だからっ。良いんだってば。俺、ずっとこの場所に居たかったんだから」
「?」
「気にしないで」
「…はい…?」
 
音也君の笑顔が、私との会話で深いモノに変化していっているのには気付いてはいても、会話の意味が飲み込めず、頭を傾げて頷く様にしていると、そっと頭を撫でられた。
一ノ瀬さんの撫で方とは違う、勢いのある撫で方は、今の私には救いの様に感じて、寮の玄関だと分かってはいても、腕の中で力を抜いていく…。
 
その時。
私は…何も気付いてはいなかった。
…冷たい声が後ろから襲って来るまでは…。
 
「音也。感心しませんね」
「トキヤ!」
「……ひっ」
「此処は寮だとしても、貴方は…」
「トキヤに言われたくない」
「音也?」
「………ません」
「良いから。七海は何も言わなくて良いから」
「……ぃ」
 
音也君が、私を深く抱き直して、頭と視線だけ一ノ瀬さんに向けて話してくれていた。
 
恋人。
その場所から消えてしまった人なのに。
私の存在は心に残ってもいないのに。
何故か私は、その相手に対して必死に言い訳をしそうになっていた。
 
でも、音也君は『分かっている』そう言いたいかの様に、私の言葉に自分の台詞を被せてくれて…更に覆う様に体を移動させる。
 
 
____優しい。とても…。
 
 
「俺。彼女をパートナーにするつもりだから」
「…」
「トキヤは、デビュー曲を書いてもらった。俺も欲しかったのに」
「…デビュー曲」
「そう『彼女がHAYATOのファン』だったから」
「…HAYATOの……私の…」
「トキヤ。俺は、彼女の事渡せないから」
「…見付からない様にしなさい」
「ねぇトキヤ。その忠告は、俺に対して?アイドルで恋人を作っちゃいけないから?見付かった後で傷付くのが嫌だから?」
「………」
 
小さく、息を飲んだ様な音が聞こえた後、遠ざかる足音が聞こえると…全身から、全ての力が抜けていく私の耳元で音也君は、『大丈夫だから』の声が繰り返してくれる。
何故か、守られている私に言ってくれている筈なのに、頭を首筋に埋めながら言ってくれる音也君の台詞は、別の意味が込められている様な感じを受けて…私は暫くその状態から動けなかった。
 
 
 
____一ノ瀬さん。辛くは無いですか?
皆に、元気をあげる事が出来るHAYATO様を演じて、自分自身を傷付けていませんか?
 
その日一日。
私は、一番遠くになった大切な人に、心の中で問い掛けながら、隣に居る優しい人に甘え続けた………。
 
 
 
 
 
一ノ瀬さんから、事実上の別れの様なモノを受け取ってからは私は、それまで持っていた『いつか思い出してくれるかもしれない』と言う甘い考えを自分の中から消す努力を本気でし始めていた。
 
私の事を忘れてしまえた事は、もしかしたら、良い事なのかもしれない。
消してしまえる部分に私がいるのなら、欠片でも一ノ瀬さんの中に、二人の仲を後悔する部分があったのかもしれない。
 
全部仮定…予想の域を超えない考えだったけれど、否定する力が私にはもう…残ってはいなかった。
 
 
朝起きて、携帯を眺める。
シーツの中、目覚めた時に一人な事を再確認すると、出来るだけ小さく纏まり、自分自身を抱き締めないと、体が砂の様に崩れ去ってしまいそうになる。
鏡を見て、自分の後ろ、近くに背の高い愛しい人がいない事を再確認させられる度に、身を切り裂かれそうな位の悲しみに襲われる。
 
痛みは、すぐに曲に反映されてしまう為に、私に期待してくれている音也君に迷惑を掛けてしまう状態が続くのだけは、どうしても避けたい。
毎日必死で曲を紡いでいく。
 
そして…その状態の私を救ってくれるのは…やっぱり、どれだけ傷付いても、心が軋んでも…HAYATO様…一ノ瀬さんの存在だった。
 
時間が来ると、もう二度と見れないと思っていた朝の番組を見る為にテレビのスイッチを入れて、昔していた様に両手を握り締めて、まるで祈る仕草の様にしながら短くても集中して見てしまう時間を過ごして、限定盤で復活したCDに付いていたポスターに挨拶をした後に今日の目標を心に浮かべる。
 
あの時が夢だったと思えば。
一ノ瀬さんがそうした様に。
言い聞かせて、日々少しずつ…私は前に歩き出し始める。
 
 
大丈夫。
そう…きっと大丈夫。