「君の吐息」5(真斗x春歌)
 
「ハル?何か食べないか?」
「…食べる…」
「ああ。見た所。お前は何も食べてはいない」
「…食べていない…かもしれません」
「何か作ろう」
「…ゃっ」
 
思い出せない。
いつ。
何を。
どうやって食べたのかを。
 
軽く瞳を閉じたら、今回の事が起こる前に見た画面の映像は、簡単に思い出す事が出来るのに…。
一回前の食事が記憶から抜け落ちている事に、真斗君からの問い掛けで気付く。
食べていない自覚はあっても、一週間。数日前の事では無い筈なのに、ぼんやりとすら浮かばない。
 
真斗君は丁寧に、お休みの日には食事を作ってくれる。
『妹の見本にならなければ。そう思ったからな』
ふわりと微笑む姿は、彼の幼い妹にさえ軽く嫉妬してしまう程美しいモノ。
そして、不器用な自分が作るよりも遥かに短時間で、誰が見ても美味しそう。と感じる食事を作り出す事が出来た。
 
今も強請れば、食欲は無くても手が伸びてしまう食事を作り上げてくれるのは分かっているけれど、それには…私の体はまた一人になってしまう。
分かっている。
目の前にいる様に、無作法かもしれないけれど立っていられる自信は無かったから、椅子を持ち込んで器用に動く手を見つめる事も出来るけれど、この体温が無くなったら…私は…。
 
「ハル?」
「真斗君」
「どうかしたのか?」
「真斗君が…感じたいです」
「抱き締めよう。お前の心が落ち着く様に」
「…ぅくっ」
 
何処まで甘やかしてくれるのか…。
 
膝上に、深く抱き直すと、抱き締められた。
片手は腰に。
もう一方は頭に。
『これは、お前だけに使う抱き締め方だ』
以前。
一緒にCMを見ていた時に、抱き締め合う二人を見ていた私の不安が分かってしまったのか、真斗君が教えてくれた事。
演技では『抱き締めている』そう分かる様に、両手を腰に回す様にしていて、私を抱き締める方法とは違うと…。
『気持ちが高ぶると本当ならば、俺自身でお前を全部包み込みたくなる程抱き締めたいものだ。だから…俺は両手で別々の場所をキツク抱き締める』
…声が甦る。
 
「ハル」
「ハル」
 
他の誰も使わない私の呼び名。
『ハル。春の様に温かだな。お前は俺の…生まれてから氷と雪しかなかった心に花を生み出してくれた春だ』
 
切なげに呼ばれる名前を聞いているだけで、愛が溢れてくる。
どうしようもない程。
私は真斗君が愛しい。
 
「抱き締めて下さい。もっと…もっと」
「ああ。分かった」
「真斗君。真斗…くん」
 
不安で仕方が無い。
もし、何かあって、真斗君の中に私がいなくなったら。
私の中で真斗君が感じられなくなったら。
半身を引き千切られる位に苦しくて…痛みで死にそうになると思う。
 
さらっ。
髪が流れる音がする。
 
私の髪を美しいと、真斗君はいつも褒めてキスを落としてくれるけれど、真斗君のストレートには負ける。
同じモノを最近は使っているのに、真斗君の肌触りと輝きは日々増していく気がする。
 
「真斗君。お願いがあります」
「どうした?」
「…嫌わない…で。させて下さい」
「…ハル」
「真斗君が深く…欲しい…です」
「…無理はしなくて良い。お前は何もしなくて良い。俺が、ハルを愛したいのだから」
「…お願い…」
「ハル…」
 
切なさが増していく。
どうしたら良いか分からない。
起こった事を冷静に話せる自身は無くて。
でも、このままでいたら自分が壊れてしまう気がする。
身体の表面には他の人の痕が刻まれてしまっていて、その痕はジリジリと内部に沁み込んで来る様…。
 
真斗君を深く迎え入れたかった。
内側から、染め上げて欲しかった。
 
私が、今…体内で吸収したいのは…真斗君の…熱。