皆さまお変わりありませんか?
早いもので今年も残り1か月を切り、師走です
今回は実家にいる三毛猫、ねこくんについて書きます。
私が嫁入り前の20年前に保護、当時は手のひらに乗る位小さく目も開いておらず、日々ハラハラしながら育てた記憶が。
私が嫁いでからは実家でお世話になっていたねこくん。
ぴょんきちと名付けましたが、いつの日か〈ねこくん〉と呼ばれる様になりこの名が定着。
ちなみに女の子です🐈❤️
11/2に最愛のねこくんが虹の橋を渡りました。
前回のブログを書いた後〈10/10〉あたりから、ゆっくりゆっくりと弱って行き
大好きなご飯を欲しがらなくなり
最期の数日は嚥下ができなくなり、
自力で立てなくなりました。
瞼を閉じることなく潤んだ目で横たわるだけ。
それでも風呂の蓋の上に行きたがり
〈ほんのり温かくてお気に入りの場所〉
歩くのも覚束ないのに、父と弟の膝の上に座りたがり
命の締めくくりを悟ったねこくんが、長い間のありがとうの気持ちを一生懸命伝えようとしてたんだと思う。
ツンデレな性格で、だっこしてもすぐ腕からすり抜けちゃうような子で、
甘えるのはご飯をおねだりするとき位だったから。
あの最後のチカラを振り絞る健気な姿を思い出すと、今日でお別れから1か月経つけど涙が溢れる。
ただただかわいい、愛おしい、そこにいてくれるだけで周りを幸せにする存在だったな。
高齢とはわかっていても、奇跡が起きないか願い、なんとか回復して欲しくて、
予定がない日は子どもを送り出してから実家に直行、
下校時間までにはトンボ帰りする日々。
往復2時間以上かかるので、家事が疎かになったり両立にバタバタしたけど、
悔いなくお世話させてくれたことに、
最期まで寄り添えたことに感謝。
無理にでも食べさせないと、ますます衰弱してしまう。
1日に5〜6回にわけ、シリンジで液状の総合栄養食、介護食、水を、
嫌がる子に無理矢理食べさせる辛い強制給餌を、
多忙な母に毎回させるわけにいかない。
それでも母は私に来てとは一度も言わなかった。
助かるよ〜!ありがとう!
とは言っていたけど。
こちらの多忙さもわかるだけに、遠慮してたであろう母心。私も母だからわかる。
親の大きな愛情を感じながら、できる恩返しはさせて欲しいとの思いだけが、
私を動かしていたように思う。
あんなに食いしん坊だったのに!🐷
食欲が全くなくなり固形物は食べられないので、液状の総合栄養食を
無理矢理召し上がっていただきます
毎回攻防戦よ
わたし、げんきないの
弟が出勤のときに、母がねこくんをだっこして玄関でお見送りをした後、母の腕の中で苦しまず穏やかに旅立ったねこくん。
多忙で外出の多い母は、家をあけていることも多いので、もしひとりぼっちで逝かせてしまったら‥
と気がかりだった。ホッとした。
旅立った翌日は偶然祝日で、実家家族が揃って在宅。
せがれの野球帯同は夫に任せて
〈夫の都合がつく日だったことが奇跡〉
〈もっと言うと、夫は長期出張から前日帰って来たばかり〉
私は朝食と弁当を作り、家族を送り出したらすぐ実家へ。
玄関をあけるとお線香の香り。
日頃は気丈な父、母、弟も
涙を堪えることはできなくて
ふわふわできれいな毛並みを撫でて
20年という長い間、ありがとうの気持ちを、
各々が精一杯伝えた。
ねこくんの周りに沢山のお花を入れた箱を抱え、家族揃って火葬場へ
弟が運転してくれた。
受付の方がねこくんをみるなり
〈キレイなねこちゃんですね。ご病気ですか〉
と。
老衰で亡くなったようには見えない、
少し痩せたけど本当にかわいいままで、
寝てるような姿でのお別れ。
家族全員が揃う日を選んで旅立ったねこくん
この面子での集いは、私が嫁に行ってから以来でちょっと照れくさい位に久々だったよ。
ねこくん🐈⬛
粋な計らいをあちこちちりばめてくれて
ありがとう✨
衰えてからも介護やおしもの世話をさせる事なく、これまでけがや病院とは無縁で、高齢でも動作がゆっくりになる程度で健康そのものでした。
私が嫁いでからも、毎日あふれる愛情を注いでくれた実家家族に、何よりも感謝。
2人のせがれにも命の尊さを身をもって教えてくれた。
どんな命にも必ず限りがある。
健康や幸せであることは、当たり前ではない事。
忙しくてくよくよばかりもしていられなかったことが、よかったかな。
前を向くしか無い。
私たちを癒し、たくさんの大切なことを教えてくれたねこくんに、
何度も言うけど
ありがとう。
お別れの後の帰路の車窓から
次は人間に産まれておいでね
(*˘︶˘人)♡*。+:
長々、お付き合い頂きありがとうございます。
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piacere ピアチェーレ
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