生田神社 | 月の雨 きまぐれのん記

生田神社 (兵庫県神戸市中央区下山手通1-2-1)

 

旧社格 官幣中社

 

 御朱印

 

 

 祭神

 

稚日女尊

 

由緒書

 

境内図

 

社名標と鳥居

 

拝殿

 

拝殿内から本殿

 

本殿

 

本殿神紋

 

神功皇后元年(西暦201年)三韓外征の帰途、今の神戸港にて船が進まなくなったために神占を行ったところ『稚日女尊』が現れ、「私は活田長峡国に居りたい」と申されたので、海上五十狭茅うながみのいさちという者を神主として祀られたのが生田神社なのだそうです。

 

ちなみに『稚日女尊』とはアマテラスが岩戸に隠れるきっかけとなった【スサノオが皮を剥いだ馬を機織り小屋に放り投げた事件】の際にアマテラスと一緒に服を織ってた女性だとされています。

 

 

 神社の由緒によると【神酒を醸す宮】として

 

新羅からの客人に当社で醸造した神酒を振舞っていたことが伝えられている。
その由縁から毎年神酒を醸造し、新羅の客人が来朝するたびに邪気を祓う為、生田の地で醸された神酒を振舞った。
新羅の客人の罪穢れを祓い心身共に清々しくさせ、心を和ませるといった朝貢外交以上に平和外交上重要な役目を担っていた。

 

ともありました。

 

『稚日女尊』をお祀りする神社が新羅からの客人をもてなしたのはどういう解釈をすればいいのでしょう?

 

『稚日女尊』が新羅系の神で同族に対しいろいろとおもてなしをしたのか、自分たちの氏族以外の権力者に対しての外交だったのか。

 

謎は深まるばかりです。