今度は最後に「今際の国のアリス」で、撮影の裏側と意図を語ってくれた佐藤信介監督との単独インタビュー記事を掲載します。
記事の拡散もよろしくお願いします。
by 細木
Q : この「今際の国のアリス」シリーズは、ゲームの名のもとにストーリーが展開されていくんですけど、人間同士の戦い、心理戦、仲間意識、敵対意識など同様なことが、歴史上でも繰り返されてきているんですけど、多くの世界中のファンが、このシリーズに惹かれる要素は、個人的に佐藤さん自身は何だと思いますか?
佐藤信介:そういう根源的な生と死の問題というか、生きるか、死ぬかという瀬戸際の判断ですよねえ。人を犠牲にして、自分が生きるのかとか、友人を犠牲にして、自分だけが生き残って良いのかとか、でも自分が生き残らないと、何も始まらないんじゃないかとか、その究極の選択みたいなことを常に、このシリーズの端々で、主人公たちが判断して、そして生き延びていく。
そして、生き延びていくことが、また罪悪感になったりとか、そういう本当に究極的で、そういう生きる心の問題に常にさらされながら、主人公たちが悩み、そして葛藤し、あの物語のなか進んでいくというところに、やっぱり世界中の人たちが共通的に持っているテーマを、すごく感じてくれていらっしゃるという風に思いました。 日本からのデス・ゲームものなんですけれども、テーマに関して言うと、本当に世界共通のものだったじゃないか思っています。
Q : シリーズ内では、この世界に来たタイミングに個人差があったりとか、植物が育つスピードが違うとか、旧式の車しか使えないとか、生物が早く腐ったりするとか、いろいろな、この「今際の国」の世界の状況が徐々にシリーズごとに分かっていくんですけど、第三シリーズでは、この世界の新たな情報として、どういったところが注目すべき点でしょうか?
佐藤信介:そうですね、世界のルールというのは、このシーズン3の中では、新たに特別な新しいルールというものは設けてないんです。 今までのルールの中に則った世界観、今まで作り出してきた世界の中で、新たな旅が始まるという風に、しつらえていたので、新たなルールというのは設けなかったんですけども、でもその中に、今までに直面しなかった問題であるとか、今まで起こり得なかった物語であるとか、そういったものが展開されるように作っていました。
Q : アリスとウサギはその命を助け合ったり、食べ物を供給したり、獲物を獲ったり、第二シーズンでは二人で温泉に入ったりなんかするんですけど、徐々に関係性がふかまっていくんですけれど、そんな2人の進展はどういったところが、このシーズン3ではすごく魅力だと思っていらっしゃいますか?
佐藤信介:原作はシーズン2まで描ききっているんですけれども、その後の後日談的なの要素が、ちょっとだけ手掛かりがあるんですよね、原作の中に。それはアリスとウサギが結婚してたということなんですよ。
今回のシーズン3の原作の中では描いていないんですけれども、アリスが小さなゲームをするという1エピソードが、後日談として実はあって、その中でアリスとウサギが結婚していたというのがあったんですね。 僕らのシーズン3というのは、その設定を基にして進んでいまして、なので2人の関係が出会いから、次第に成長していくというのが、シーズン1、2であったと思うんですけど、その結果として2人が結婚したと、ちょうど結婚して、一緒に暮らし始めてというところを舞台に設定していいます。そんな中、また「今際の国」に戻っていかなければならないというところで、全く新しい物語が始まるという風にしていました。 今までは、2人にとって失われるものというのは少なかったと思うんですけども、今回はその関係性であるとか、夢に見た幸せな結婚生活であるとか、様々なものが失われるんじゃないかという恐怖の中で、あの物語が進行するので、そこ全く新しいところですね。
Q : シリーズ1では、アグニに殴られ、そのアリスが「生きている人間をなめんじゃねえよ」と言って、武道派とアグニと戦うシーンがあるんですけど、その瞬間から、僕は個人的にアリスが真のリーダーになっていくような感覚が生まれた気がしました。監督から見てアリスは、これまでのシーズンを通して、どのように成長したと思われますか?
佐藤信介:そうですね。 一番最初にやはり何者でもない大学生で、普通にモラトリアムの中に暮らしていた一青年だったわけなんですけど、それが自分が意図してではないかもしれないけれども、いろいろな業を背負ってですね、最後なぜ生きるのかというところ、あるいは人々と共にどう生きるのかということに、自分なりの答えを持ちながら、最後このゲームを生き抜いたっていうところが、シーズン2まで描かれたと思います。そこの成長というのが、長い2シーズンの中で、本当にゆっくり、丁寧に描かれたのが、やっぱりアリスの成長の物語だったかなと思います。
特にやはり1つの問題を乗り越えると、また違うシチュエーションで、新たな問題が彼に迫ってくるというような物語だったので、何か1つの大きな問題を乗り越えたから、例えばアグニとの戦いのところで、 あの宣言をしたから、もうこれで全てクリアできたということではなくて、シーズン2に至っては、また彼のトラウマの問題であるとか、そういったものにまた苛まれながら、最後かろうじてですね、その世界を脱することができたという風な感じになっています。彼の度重なる苦難を乗り越えていく中で、徐々に彼が人間として成長していくというのが描かれていたと思うんですね。
そうなってくると、もう彼は多くの問題を乗り越えたかのように見えるんですけれども、ところが、シーズン3の中で、彼はもう一度、それをすべて記憶から失うんですよね。 そこが、ちょっと面白いところで、現実に帰ってしまったら、「今際の国」の記憶っていうのは一切なくなっていて、 彼はもう一度、人物的な成長、大人としての成長をして、精神的に病んでた人や、被災した人たちを助けるために、カウンセラーとして働くこととしてたり、1つの結婚という道で、新たなその命を授かろうとしていたりとかですね。
そういう新しい道に向かって成長した彼は、普通の人として生きていこうとするんですけど、それが今度は、また「今際の国」に帰って、また過去の全てが蘇ってきてですね、ただ今度は彼も乗り越えた成人としてではなくて、新たな乗り越えなきゃいけない問題であるとか、自分が得た幸せな問題を、今度は失っていく恐怖の中でどう戦っていくのかというような新しい問題に、今度は直面しているような気がするんですね。
特に今回は、ウサギが今まで解決してこなかった問題に直面していくので、そこをどう救っていくのかっていう、自分(アリス)が乗り越えるんではなくて、人が乗り越えるのをどうて手助けするかみたいなところにも至っていきます。今、アリスっていう人物で象徴的に描いているんですけれども、多くの人が人生々きていく中で、次々に直面する問題をどうクリアしていくかっていう究極のそのテーマはあると思うんですけども、そういったことをこの作品を通して、描いていきているのではないかなという風に思っています。
Q : シリーズ内では、人のいない渋谷のスクランブル交差点は、映画『28日後..」、チョータとカルベのやりとりなんか、えいが『スタンド・バイ・ミー』などの映画を彷彿させる部分がありますが、監督自身は、 アメリカあるいは海外の映画に影響を受けた作品で、直接てきではなくても、なんか影響を受けてこのシリーズに反映している部分があるかなと思うような作品はありますか?
佐藤信介:特にこれを見て、これを研究してというのは、実はなかったんですけども、毎回、無いんですけれど、いつもよく、「目標にしているがありますか?」という風に言われたり、「何かを研究してということはありますか?」と聞かれることあるんですけど、実際問題ないんですね。ただ、自分もアメリカの映画を見て育ってますし、あと日本に居ると、ヨーロッパの映画、アジアの映画も沢山含めて入ってきますので、あの、僕が映画青年であった80年代であるとか、高校時代以前の映画ですよね、ハリウッド・ブロックバスター(ハリウッドの大作)で映画の洗礼を受けているんですけども、そればかりじゃなくて、日本ではミニ・シアター・ブームっていう、やっぱりヨーロッパ系の映画とか、アジア系の映画がもう大ブームになったこともあります。
そんな中からも洗礼を受けていたり、日本にはクラシカルな映画、すごい映画が沢山ありますので、そういったものを見ながら生きてきたものですから、それぞれ混然一体となっていると言えば、なっているのかなと思います。ただ、誰もいなくなった世界を描いた作品というのは、確かにおっしゃる通り、いろいろな映画があるんですよ。その描き方っていうのは、時代時代で結構違うので、そういったものを美術部の人と研究しながら、僕らの中でどう実現していくかみたいなことは、分析したりはしてましたね。
