こちらが、4月23日から世界配信する日本の超大作『新幹線大爆破』で、先日、Zoomで取材させて頂いた樋口真嗣監督との単独インタビュー記事になります。興味のある方は、ぜひチェックしてください。

英語の記事は、こちらから。

 

 

 

 

 

 

Q : 樋口さん、1975年版の『新幹線大爆破』は、いつ頃ご覧になったのでしょうか? そして、どういった印象を受けて、今作を作られる経緯になったのでしょうか? 

 

樋口真嗣 :小学校4年生の時に、公開されたその日に見に行きました。怪獣映画が好きだった頃から(映画への熱意が)始まっていて、だんだん怪獣映画に飽きてきた自分がいました。当時は、同じような(怪獣作品)ものがいっぱい作られて、ちょっとマンネリ化していました。そういった中で、自分の興味がそういう怪獣とか、ヒーローから徐々に一般で言うパニック映画に変わっていきました。 映画『タワリーング・インフェルノ』(米題名『Towering Inferno』)であったりとか、あの『大空港』(米題名『Airport』)という映画だったり、その頃のアメリカは、そういうパニック映画が流行していました。日本でも『日本沈没』とか、『ノストラダムスの大予言』(米題名『Catastopher 1999』)とか、そういった映画が結構作られるようになっていました。 どちらかと言えば、自分が好きだった特撮的な要素が、お金が掛けられたりとか、だんだんそっちの(『パニック映画』の)方にシフトしていきました。

 

そんな流れの中で、新幹線に爆弾仕掛けて爆発するかもしれないという映画のポスターを見ると、爆発しているわけですよ。 それを見て、こんなすごい映画があるのかということで、行こうとしました。ただ、本能的にまだ当時は小学生だったので、親に連れてってもらうか、親の許しを得ないと映画を見れない時期でした。これは、たぶん許してもらえないだろうというのは、直感的にわかっていました。 親に黙って、なるべく早く観たいんで、(当時は)学校が半分の午前中だけやっていたので、それをサボって映画館に観に行きました。

 

それは言ってしまえば、初めていろいろな社会のルールみたいことを、(私が)破った瞬間でした。そして映画を見ると、ただ爆発するだけではない映画で、 他の災害とかとは違って、事故でもないわけです。 やっぱり犯罪なんです。 その罪を犯してしまった(学校をサボった)自分の後ろめたさと、映画の中のその犯罪者がリンクして、なぜ新幹線に爆弾を仕掛けるに至ったかとか、その爆弾を仕掛けて身代金を取って、完全犯罪を目指した人たちが、どんどん計画が崩壊して、仲間が1人、また1人で死んでいくというような 、小学4年生にしてみたら、結構衝撃的な映画でした。 その爆発を楽しむというような娯楽映画だけではなく、社会性を帯びた訓話というか、そういったものを見てしまって、ひどく動揺しました。 純粋に面白いだけではない、ほろ苦さというか、重たい内容でもあったので、それがすごく当時としては刺さったというか、胸をえぐられるような思いをしました。

 

その当時、登場人物が死ぬとか、あんまりそういう映画を私は見てなかったんです。大勢が死ぬとか、そういう映画も当時はいっぱいありましたが、ある程度感情移入した人間が理不尽に死んでいくという映画に、この時初めて出会ったんです。 それがある意味、魅力的でもあったけれども、やっぱりそれが心の中にすごい残っていて、自分の中で好きな映画として必ず(上位に)入る映画でした。

 

しかもその当時、今でもそうかもしれないですけど、そういう映画に対してすごく厳しい視線、批評的な視線というのが統一してて、それが映画に対する批判として、矢面に立っていたりしていました。 『新幹線大爆破』という映画は、実際にそんなことは起きませんみたいなことで、いろんな人にそれで叩かれたりとかして、でも自分としてはすごく面白かったのに、なんで(人々は)そういうことを言うのかという気持ちを持ったまま、大人になっていました。 でもことあるごとに、「この(オリジナル)映画が好きだ好きだ」と言っていたら、本当にNetflixのプロデューサーの佐藤善宏いう人から、「まぁ、やってみないか?」という依頼を受けました。 本当によく考えると、例えば、ゴジラを作ってる映画会社、東宝で、私は映画を作ってきたわけですが、東宝はやはり健全な映画をしか作れないんです。 実は作ってはいけないんです。 

 

明るく楽しいと東宝映画と言うキャッチフレーズが当時はあったらしいです。東宝には、そういう犯罪者の映画とかあんまりないんです。  実は良い人だと思ったら、犯人だったとか、そういう展開のものがありますが、最初から犯罪者を軸足に置いて作る映画ってあんまりなかったんです。(オリジナルの)『新幹線大爆破』も東映という会社だったし、ちょっとアウトアウトローとか、社会からはみ出した人の話をすごく大事にしていた会社だと思います。

 

それで言うと、Netflixさんはそういう傾向があると思っていて、『地面師』だったり、『極悪女王』だったり、それこそ『全裸監督』とかにしても、世の中の真ん中を歩いてない人の話が多かったと思います。そこが非常に魅力的に描かれていたし、その辺ならば、 Netflixさんは確かに面白くやってくれそうな気がして、それでやることになりました。

 

Q : オリジナル作品は、高倉健さんを主演とする犯人グループと警察のやりとりが中心に描かれていますが、今作は新幹線の車掌を主人公にし、その周りの群像劇みたいな形で描かれています。今回、車掌を主人公にしようと思った経緯は?

 

樋口真嗣:例えば、一番決まっていることとしては、走ってる新幹線の中に爆弾を仕掛け、その新幹線が止まれないというルールに当てはめたときに、どういう人たちが、どういう風に動くだろうかとシミュレーションしてみた際に、一番大変なのは、たぶん車掌さんなんじゃないかな?と思ったんです。しかも、乗務員の人数が今はめちゃくちゃ少ないんです。今回、作品の都合上で乗務員が2人乗っているんですけど、普段の(新幹線は)1人なんですよね。1人で数百人の乗客をケアしなければいけないという、なかなかストレスのた溜まる仕事だなと思いました。

 

じゃあ、その人(車掌)がどう対処していくんだろうか?というのが、一番物語の軸になるのではないかと思って、車掌さんという形に、今回は設定しました。前回(オリジナル作品)は、もっと乗務員がいましたが、今の世の中はどんどん省力化を推進していった結果、ほとんど人がいない状況なんです。そうした時に、いろんないろんな人たちがその車内には乗っている。その人たちを、どういう風にコントロールしていくかというのもあるし、最終的にはそれが犯人とのやりとりにも繋がっていくと思っていました。もっとも、まだ犯人は誰かと言えないところがありますが・・。(苦笑)

 

Q : その車掌に草彅剛さんが演じられているんですけど、彼のそのドラマを見ると、まぁ色々な作品を拝見すると『いいひと』、『任侠ヘルパー』、映画では『ミッドナイスワン』など演技の幅が広くて、すごく魅力的な俳優だと思いますし、さらにその共演者を引き立てる俳優にも思えます。一度、樋口さんとは、映画『日本沈没』でタッグを組まれていますが、彼のどういった要素がまたタッグを組みたいと思った経緯になったのでしょうか?

 

樋口真嗣:(映画『日本沈没』は)20年前だったんですけど、20年前も非常に魅力的な役者だったし、すごいやって良かったと思っている中、その後20年の間にいろんなことがありまして、彼の人生も言ってしまえば山あり、谷ありというか、 そういった経験を踏まえ、そんな経験を乗り越えたうえで、この数年の俳優としての表現の深さみたいものが、どんどん前面に出てくるようになっていました。まあ、気がついたら彼も、もう50歳なんで、ある意味、アイドルの男の子だった時期ではないわけです。 

 

本当に大人の男性として、どう描けるだろうか、 どういう立ち姿でいてくれるだろうか? というのを、いろんな人が作った映画で彼を見る度に、皆さんそれぞれ素晴らしいんですけど、「ああ、自分だったらどうしただろうな?」ということを漠然と感じられるようになりました。そこから今回の『新幹線大爆破』という作品は、草彅くんでいけるなと思ったんです。 どこかで、彼の魅力というか、すごくルールを守り、己を律する男が表面にあって、そんな内側を壊そうとする狂気みたいなものが、時々、彼が役柄で演じているのを見ていて感じてたんで、今回の物語とすごく上手く合うんじゃないかと思って、それで声をかけましたね。

 

Q : 今回、木更津に巨大な物流倉庫に、実物大の新幹線の車両を作ったそうですけれど、今作自体はJRの協力もあったそうですが、どのようにその新幹線の車両セットを作っていたのか、さらにその新幹線を脱線させたり、爆破シーンなどいわゆる難しいシーンを、どういう風に作り上げていったのか、その経緯を教えていただきますか?

 

樋口真嗣:本来ならば、もっと東京の近くというか、普段使ってるような映画会社のスタジオの中で、建てられれば良かったんです。けれど、なにせ新幹線そのものが大きすぎててですね、セットの中に入らないということが発覚して、しかも(撮影的に)1両だけだと、ダメだったんですよね。 やっぱり最低でも1秒半ぐらいの(映る)ストローク(車両の長さ)がないと、切り離したりという作業が(映画の)途中にあるので、それをどういう風に描くかとなった際に、当然、実物の新幹線ではやれないのは最初からわかっていたので、そこは作ろうということになったんです。じゃあ、それをどこに作ろうかっていうことで、木更津まで行かないと、それだけ広く自由に使える場所はなかったということですね。

 

その新幹線そのものも、寸分違わぬ同じものを作るのであれば、何か部品はないだろうか、 椅子だったりとか、内装の壁とか、窓枠というか、そういったものも含めて考えた時に、本物をお借りすることになったんです。 J Rさんの中で、その以前にあんまり良いことではないですけれど、東北地方で何度か大きな地震があって、あの3/11日の余震みたいな地震が何度かあって、それで(新幹線の)1編成が脱線したことがあったんです。

 

 その大きな地震時に脱線して、そこで立ち往生しちゃったという事故があって、その車両がそのまま営業走行には使えないということになったんです。ただそれを研修用として、あの乗員の研修をするための施設として、北海道に残してたらしいんですよ。 その1両分の中身をお借りして、お借りすると言っても、(長すぎて)車両ごと持ってくるわけにいかないので、中の部品を全部バラバラにして木更津まで運んで、そこで、それを使ってもらった。 ただ、それは綺麗なもので、綺麗に返さなきゃいけないので、映画の中で後半どんどん汚れていくんで、それは使えなという話になって、そうではない車両がありませんかと聞いてみたら、なんかもう引退してしまった車両がどんどんスクラップになっていくというので、そのスクラップになる前のをお借りしたんです。ただそれは厳密に言うと、(現在のものと)形がちょっと違うので、その形を似せるために、そこは技術的にちょっと手を入れてもらって、そういうことをずっとやっていって、なんとか本物らしく仕立て上げたという感じですね。