【青山繁晴】「日本人スパイ」に関する質問、軍法無き自衛隊の防衛出動[H28/9/16]( https://www.youtube.com/watch?v=7c8yd3EA3Pk) 18.00ごろから、青山繁晴氏が次のような論を展開されていた。

« 軍法無き防衛出動では自衛官は国内法の正当防衛にあたる行動しかできない。正当防衛では専制攻撃はできない。正当防衛では相手から攻撃を受けなけれ反撃できず、かつ日本では正当防衛が厳しく解釈されて過剰防衛として裁かれることがほとんどである。自衛隊の現役士官は国民を守るためには超法規で自分が死刑になっても防衛行動するという覚悟を持って守りについてくれているが、法治国家日本において自衛官に超法規行為を強いるようなことは絶対にあってはならない。 »

 

「軍法無き防衛出動では自衛官は国内法の正当防衛しかできない」は少し不正確ではないか。たしかに防衛出動以外の自衛隊の武器使用について考えれば、国内法では暴力行為は違法であるから、[正当防衛しかできない]とするのは正しい。そして軍法があれば、刑法35条の正当行為となるから自動的に防衛出動での暴力行為は違法性阻却される。これが 通常の軍はネガティブリストで行動するということの法的根拠である。しかし、防衛出動の場合は自衛隊法88条に基づき、出動自衛隊は「わが国を防衛するため、必要な武力を行使」することができる。つまり自衛隊法88条が軍法を代替して「防衛出動による武器使用」は正当行為として違法性阻却されるのではないか。

日本国刑法(正当行為)

35

法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

 

要約すれば、軍法があれば、自衛隊の行為は 刑務官による死刑執行と同様の法令にi依拠した暴力行為となるから、行為初発前に違法性阻却が予見されるわけである。自衛隊法88条の防衛出動はこの法令による業務に該当するはずだ。だから自衛隊法88条は軍法を代替すると私は考えるのである。

 

次に、何らかの法令が欠如しているために自衛官の行為が正当行為を構成しない場合に、正当防衛としてしかその暴力行為の違法性阻却が担保されないのは正しい。これが自衛隊の行動が正当防衛を構成要件を満たすようなポジティブリストに準拠せざるを得ない理由である。しかし 「正当防衛では相手に攻撃されてからしか反撃できない。」は法理ではない。なぜか不明だが、多くの人がただそう思い込んでいて、あたかも法的事実のように語られているだけである。

 

 

日本国刑法 (正当防衛)

(正当防衛)

36

  1. 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
  2. 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

 

第一項で正当防衛の構成要件を明示しているわけだが、構成要件は「急迫不正の侵害」と「防衛のためにやむを得ずした行為」である。「急迫不正の侵害」は「不正の侵害」が急迫していることである。実際に侵害が惹起してからでは防衛にならないから、「不正の侵害が急迫している」と解釈できることは自明である。 「急迫」しているは「不正な攻撃」の急迫している状態であるから、まだ「まだ不正な攻撃は受けていない」状態である。つまり「攻撃を受けてからでないと、反撃できない」は正当防衛の第一項の構成要件の法理からは絶対に演繹できない。加えて「他人の権利の防衛」も構成要件を満たせば正当防衛を構成するということは国民を守るために行動する自衛官にとって「自分が攻撃を受けてから反撃」では「国民を守る」という文脈で全く意味を為さない。外国軍隊やミサイルなどによって国民の生命 財産への侵害が急迫しいている場合に、先制攻撃を加えることは明らかにやむを得ないことである。ただ「正当防衛」の場合は当該防衛行為が為されたあとから正当防衛の構成要件を満たしていたかの判断が為されることになる。しかし超法規ではあり得ない。正当防衛は相手の違法行為を阻止する行為であり、「違法を阻止」することは法治の公理である。正当防衛における行為が超法規になることはあり得ない。「防衛出動」ならなおさらである。

 

最後に、自衛官の行為を正当防衛で違法性阻却しようとして問題になるのが過剰防衛である。日本では人権保護の名のもとすべてが過剰防衛と判断されやすい傾向があることは確かだ。何故そうなるかと言えば、法理としての正当防衛を常人がよく理解していないからである。「正当防衛」は 「攻撃を受けてからでないと反撃できない」というような、喧嘩は先に手を出した方が悪いい」の延長でとらえられている。これは法理ではない。法は人間の日常行為を合法行為と不法行為に仕分けして、「不法行為は抑止排除せられるべし」と考える。これは法治の公理である。法では「喧嘩で先に手を出した方が不法」とはまったく考えないし、相手が不法行為をしたらこちらも不法行為で反撃してよい」とは考えない。「不法行為は抑止 /排除せられるべし」が法治の公理であり意味であるから、「正当防衛」の法理は相手の不法行為を抑止/排除するという法治の根幹である。相手の暴力という不法行為を阻止/排除するためにやむを得ない手段が暴力である場合、その違法性が阻却されるということである。「10回い殴られたら、10回まで殴り返してよい」では全くないのである。通り魔に刺されそうになったら、その通り魔の「刺す」いう不法行為をで事前に阻止するのが正当防衛である。刺されそうになったとき 相手の腹に蹴りをいれて「刺す」という違法行為っを阻止するのである。「攻撃を受けたら反撃してよい」が正当防衛なら、刺される前に蹴りをいれて相手を昏倒させたら、それは過剰防衛になる。しかし法理では相手による急迫違法行為を阻止したのだから正当防衛となる。

 

青山氏は上述の番組で私たち国民全体が変わらなければ、自衛官が抱える大きな悩みをなくならないと訴えていた。「国民が変わる」とは 巷に流れている情報をうのみにせず自分の頭で考えるようになるといいことである。模範解答を丸呑み暗記する能力が優れたものをエリ-トとして崇めてきた日本社会、いつ変わる日が来るのだろうか。