こんにちは。前回の続きです。中学範囲+αで流れのわかるように書いていきたいと思います。

 

 

前回までは

 第一次世界大戦に敗北したドイツは、多額の賠償金と植民地剥奪の憂き目にあい、四苦八苦の状態でした。またイタリアも戦勝国側に回りましたが思うように領土を拡大できず英米仏の作った体制に不満がありました。日本も大戦景気が終わり不況の時代に突入するとともに、軍部と政府ですれ違いが起きていました。

 この三国は全体主義・軍国主義へと向かっていき、一触即発の危険な状態になり、ついに日本は日中戦争を始めました。

 

 

 日中戦争と西欧情勢

 1937年日本は中国に侵攻します。盧溝橋で両軍が激突したことでついに日中戦争へと突入します。当時の中国国内は蒋介石率いる中国国民党が、毛沢東率いる中国共産党と内戦中でした。あと一歩まで共産党を追い詰めますが、そこに日本が攻め込んできました。突然のことでしたので蒋介石は毛沢東と手を組み、抗日民族統一戦線を結成し、激しく抵抗します。日本政府は戦火不拡大の方針でしたが、軍部は無視してガンガン戦火を広げます。首都南京を落としましたが中国軍は重慶に逃れ抵抗を続けます。

 思いの外、戦争が長引いた日本国内はどんどん貧困が広がっていきます。配給制・切符制が始まり生活は圧迫されていきました。さらにイギリスは中国に支援物資を送り、中国はそれにより力をつけて抵抗を続けました。

 

 同じ頃のヨーロッパでは1939年にドイツがポーランドに侵攻し、戦争が始まります。英仏はドイツに宣戦布告します。ドイツはロシア革命で誕生したソビエト連邦とは独ソ不可侵条約を結び、ヨーロッパを半分に分ける約束をします。怒涛の勢いで勝ち進むドイツ側にイタリアも参戦し、1年足らずで西ヨーロッパの全域を支配します。こんな状態ですから世界に植民地をもつ大国のイギリスはアジアの情勢に力を割けなくなっていきます。なのでイギリスとしては中国に頑張って欲しかったのです。

 

 日本はイギリスからの支援を嫌っており、ドイツはイギリス本土に侵攻したかったので、ここで利害の一致として、日独伊三国同盟を締結します(ここから?日本ドイツ側を枢軸国といい、対する敵国側を連合国と言います)。条約の内容は、日中戦争と西欧戦線の敵国以外が参戦した場合に互いに協力するというものでした。つまりこれはアメリカへの牽制でした。アメリカへの牽制が済んだ日本は、ついに東南アジアのイギリス領に侵攻し、資源の確保に動きます。

 

 この南方戦線にアメリカが介入しないようにしたかった日本は、先制攻撃でアメリカ軍への打撃を与えたかったのと、アメリカが参戦する意欲をくじくために真珠湾への攻撃を開始します。太平洋戦争の開戦です。ここに至って戦火は世界に広がり、史上最多の死者数を出した第二次世界大戦へと発展したのでした。

 

 第二次世界大戦

 日本は序盤の対米戦を優位に進めます。東南アジア、太平洋の島々を瞬く間に占領します。最大領域も世界の歴代国で20位(世界の6%程)と、かなり広く、勢いは凄まじいものでした。しかしミッドウェー海戦で、取り返しのつかないほどの大敗を喫した日本はそこから米軍の反撃を受けます。ご存知の通り最終的には東京大空襲沖縄地上戦となっていきます。

 

 一方でドイツは不可侵条約を結んでいたソ連に侵攻を開始し、そいつも歴史的大敗北を喫します。そこから西欧戦線も枢軸国側が苦しくなります。ちなみにここでイタリアはムッソリーニが失脚し降伏します。また、アメリカの参戦により、もはや枢軸国の攻勢は夢のまた夢。ドイツも敗北へと向かいます。

 

 先に降伏したのはドイツでした。1945年4月末にナチスドイツの総統であるヒトラーは自殺します。その翌月にドイツは降伏。西欧戦線は終結します。7月には米英仏中の連盟で(会議にはソ連も加わった)ポツダム宣言が発されますが、日本はこれを拒否します。そして1945年8月6日に悲劇が訪れます。広島に原子爆弾が投下されました。死者は14万人と言われ、その大半が民間人でした。また8日にはソ連が参戦して日本に侵攻を開始します。翌日の9日には二発目の原子爆弾が長崎に落とされます。ここで昭和天皇は降伏を決断。15日に玉音放送と言われるラジオ放送で敗北を国民に伝えます。ここで天皇の声を初めて聞いた人も多かったと言います。これでアジア太平洋戦線も終結し、第二次世界大戦は終結します。1945年の8月6日、9日、15日は日本人として覚えるべき日時だと思っています。語弊があったらすいません。

 

 その後

 日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に占領され民主化政策が行われます。現在の日本の制度の多くはこの時に作られました。また東京裁判(極東軍事裁判)によって日本を戦争に導いた人々を戦争犯罪人として裁きます。昭和天皇は不起訴となり、裁判にはかけられませんでした(昭和天皇自身は「全ての責任を負うために会いにきた」と最高司令官のマッカーサーに言っています。マッカーサーはめっちゃ感動しました)。

 

 1952年にサンフランシスコ平和条約を結びます。48カ国との講和が内容となっており(どんだけ戦争しとんねんって思いますね)、これを機に日本の占領状態は解除されます。同時に日米安全保障条約も結ばれますが、これに反対の姿勢を示すソ連は、日本と平和条約を結びませんでした。また世界では今後2度とこのような戦争がないようにと”国際連合”が作られ、今もなお存続しています。この国際連合にソ連が拒否するために、日本は最初入れてもらませんでしたが、1956年に日ソ共同宣言を締結し無事加盟します。

 

 このあと世界はアメリカ率いる資本主義国ソビエト連邦率いる社会主義国が冷戦を繰り広げていきます。そして今もなお、ロシア-ウクライナ、イスラエル-アラブ諸国、アフリカの紛争、中国の台湾への圧力などなど戦争は行われています。世界から戦争をなくそうと言いますが、現実問題きっと無くならないと思います。でも自分の回りの争いは減らせるとも思います。

 

 以上です。第二次世界大戦は非常に広範囲で長い間行われていたため、まだまだ説明していないことがありますが興味があるならぜひ勉強してみてください。自分もまだまだ勉強中です。きっと皆さんの周りにもめちゃくちゃ詳しい人がいると思います。そんな方に話を聞くのもいいかもしれません。では。