徳川家康が太田道灌の築城した江戸城に入城したころには江戸城の前には海が深く入り込んでいたので家康はこの入江を駿河台の神田山と取り崩して埋め立てました。
その日比谷入江の痕跡をさがして日比谷を訪れてきました。
 
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     (朝日建物株式会社さんの資料から転載させていただきました)
 
江戸時代初期には図のように水深の浅い日比谷入江が現在の大手町辺りまで入り込んでいました。
 
 
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有楽町駅日比谷口を出て、内堀通りへむかっていくと、大きな交差点にでる左は日比谷公園道路を挟んで反対側をみると。
 
 
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皇居の日比谷濠が目に入ってきます。奥には大手町のビル群がみえます。
 
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現在の地図ではこの赤い線の輪の部分にあたります。
 
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先ほどの地図ではこのあたりでしょうか。
 
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内堀をつくる時にはわざわざ埋め立ててから再度掘るようなことは絶対にしないと思いますのでおそらくこの石垣あたりまで入江がきていて、内堀の幅分を残して入江の埋め立てをおこなったのではないでしょうか。
いずれにしても現代では、このお濠の水面をながめながら遥か昔の日比谷入江を想像するしかありませんですね。