「訛ってる!」「それは現代語や!」と言われる。この場合は大阪弁ではないという意味なのだが。

言葉にはイントネーションとアクセントがある。

録音された浄瑠璃を聞いて覚えると、イントネーション(音の抑揚、上がり下がり)を耳で追ってしまう。それがたとえ、その時たまたま間違えて1回だけのものであったとしても、それがそのまま耳に残り、その音の高さで覚えてしまうのだ。そして、高く発音された音に、自然とアクセントが来ることになる。

「訛ってる!」と言われた箇所のお手本を聴き直してみると、アクセントは、その時音が上がったポイントにあるのではなく、もともとの言葉で高く発音される音節にあることがわかる。アクセントのある位置では、たとえ音が低く発音されていたとしても、微妙に母音が長くなっているのだ。

浄瑠璃は大阪弁。

あらためて納得した。
録画していた、坂本龍一の「スコラ」ロック編をまとめて観る。

黒人音楽のブルースからイギリスで生まれたロック。日本のロックがたどった音楽的な変遷が、現在の若者が生み出す音へとつながっているのがわかって面白かった。

一方、RCサクセションの忌野清志郎のヴォーカルには、日本の語りものの歴史がつながっているように感じられた。音につかず、離れず。義太夫の稽古の時にいつも言われることだが、彼はいとも簡単にそれを洋楽の中でやっているように思える。
2011年もあと3日となった。

3月11日の直後は、世界が一変してしまったように感じていたのに、またいつのまにか、元にもどりつつある。それはいい部分もあるんだけれど、未来のために考えなければならないことには、考え続けて行く努力が必要だということなんだろう。

それはさておき、今年は、三味線をひっぱるというのはどういうことかを学んだ年だったと思う。自分のペースで語るというのは、思ったよりも難しい。しかしこれができなければ、次に進めない。来年の舞台にかける演目は、そこらあたりを目標に選んだつもりだ。

新年には、また新しい気持ちで精進しよう。

自分を知り、何が課題であるかを知って努力することが、大きな成長へとつながるのだという。しかし、自分の課題(欠点)を自ら発見し、それを克服するのは、容易なことではない。


最近、やっと自分の声を客観的に聞くことができるようになった。次は、自分の表現を客観的に分析できるようになるのが、当面の目標であろう。


道は、まだまだ遠い。

ちあきなおみの歌は素晴らしい、という話はあちらこちらで耳にも目にもしていた。しかし、「喝采」や「黄昏のビギン」などのオリジナル曲や、「矢切の渡し」など演歌のカバー曲しか聞いたことがなかったので、確かにうまい歌手だよなあ、くらいに思って、今まで気にしていなかった。しかし、である。


You Tubeで、「カスバの女」を聴く。

http://www.youtube.com/watch?v=AKNGvPwSUBk

これって、義太夫でいうオンじゃないか!


続いて「逢いたかったぜ」を聴く。

http://www.youtube.com/watchi?v=32XSxpdvUZg&feature=related

声色で太い声を出しているのではないのに、“男”が香る。


そして「朝日のあたる家(朝日楼)」。

http://www.youtube.com/watch?v=wsE2NsWnGqs&feature=related

これはもう、歌を超えた、“語りもの”である。