バレエ組曲『くるみ割り人形』(作曲:ピョートル・チャイコフスキー)は、「贈りものの人形をこわされた少女が、夢の世界で、おもちゃの兵隊といっしょにネズミの王と戦う」という童話を、舞踊曲で表現したものである。おとぎの国をめぐる場面では、お菓子や飲みものを象徴する“精霊(せいれい)”が現れて、踊りをひろうするが、その中に“コーヒーの精”が踊る【アラビアの踊り】と、“茶の精”が踊る【中国の踊り】という2つの楽曲がある。現代では、コーヒーはアフリカ原産であることがわかっているが、『くるみ割り人形』は1890年の初演なので、この時代には、“コーヒー”の原産地はアラビア、“茶”の原産地は中国だと考えられていたようだ。
 【アラビアの踊り】では、木管楽器の低音部がゆったりとした3拍子の旋律をくり返し、続く【中国の踊り】では、いきなりピッコロのするどい音が響きわたって、短い楽曲で終わる。どうやら、ゆったりとした旋律に眠けをもよおしそうになったところを、いきなり耳をつんざくような高音で目をさます、というしかけになっているのだろう。

 “コーヒー”は、“コーヒーノキ”という植物の種子を、焙煎(ばいせん)して粉末にしたものを、煮だした飲みものである。コーヒーノキの野生種(原種)は、アフリカ大陸中央部からマダガスカルにかけて広く分布しており、そのなかのどこが原産地なのかは特定されていない。ただし、飲みものとしてのコーヒーは、エチオピアのアビシニア高原で最初に発見され利用されたと考えられており、そのため現在では、一般的に、エチオピアがコーヒーの発祥地だとされている。コーヒーの流通量がもっとも多いアラビカ種も、北東アフリカ原産であり、アラビカ種以外では、コンゴ原産のカネフォラ(ロブスタ)種、リベリア原産のリベリカ種などがある。 
 “茶”は、“チャノキ”という植物の葉・茎(くき)を、煮だした飲みものである。植物がもつ酵素による発酵(酸化)の程度の差によって、緑茶・ウーロン茶・紅茶などに分類されるが、どれも共通の“チャノキ”からつくられる。“チャノキ”は、中国の四川省・雲南省あたりが原産地と考えられているが、インド・アッサム州に自生するものは、中国種とはべつの品種“アッサム種”であると認められている。アッサム種は、インド、スリランカ、東アフリカなどで栽培され、中国種に比べて“ポリフェノール”の含有率が高く、紅茶用に適しているといわれる。

 私の実家には、むかしからコーヒー(インスタント・コーヒー)と茶(煎茶・紅茶)が常備されていた。でも、来客があるときに、おつきあいで飲むぐらいで、ふだんはほとんど消費されなかった。というのも、両親も私も「コーヒーや茶を飲むと夜間に眠れなくなる」という体質をもっていたからだ。私の場合は、夕飯時以後に、コーヒーならカップ1杯で、煎茶・紅茶なら湯のみに2杯以上飲むと、その晩は、深夜を過ぎるまで睡眠できなかった。
 中学生のときに、眠れなくなる原因が“カフェイン”によるものだとわかったが、当時はまだ“カフェインレス”という発想はなく、どう対処すればいいのかわからなかった。【カフェインは覚せい作用・鎮痛作用・利尿作用などがあるアルカロイド系有機化合物で、日本では“劇物”に指定されている。EFSA(ヨーロッパ食品安全機関)は、1日の摂取量上限を400mgに定めている。】高校生・大学生ぐらいになると、友人たちとのつきあいで、喫茶店を利用する機会が増えていく。飲み方や飲む時間をいろいろくふうしてみたが、「眠れなくなる」という現象は抑えようがなかった。

 それが少し変わったのは、仕事や旅行で海外へ行くようになったときだ。国際線旅客機の食事サービスのときに、時差に慣れておこうと、眠けざましのコーヒーを何度かお代わりしたが、そのあとまもなく眠りこけてしまった。まるでコーヒーが“眠りを誘う薬”になったようだった。
 北アフリカや南西アジアで、アラブ人の職場や家庭を訪問したときは、トルコ・コーヒーのような飲みものが出てきた。それが夕方の時間帯だと、睡眠障害のことが頭をよぎるが、来客へのもてなしに、わざわざ準備してくれたものを断るわけにはいかない。そんなときは、ややぎこちない笑顔で感謝のことばを述べながら、にがみのある濃い液体を一気に飲みこんだ。その夜は、ずっと起きていることになるかもしれないな、と覚悟したが、ふしぎなことに、それで眠れなくなることはなかった。
 インドや中国を旅行したときは、各訪問先で、茶(紅茶・緑茶)がふるまわれた。インドでは、甘みのあるミルク・ティーが朝・昼・晩と出てきて、それがとてもおいしいので大好きになったが、夜はいつもぐっすり眠れた。中国では、煎茶やウーロン茶のようなものが、行く先々でかわるがわる出てきた。こちらも、水がわりに何杯も飲んだが、睡眠のじゃまになることはなかった。
 海外滞在を終えて、日本へ帰国すると、コーヒー・茶による睡眠障害がまた復活するが、それでも、それ以前にくらべると、症状はずっと軽くなったようだった。その後も海外へ行くたびに、おなじような経験をしたので、はたして眠れなくなる原因が、カフェインにあるのかどうか、疑わしくなってきた。どうやら、コーヒーや茶の種類、煎じる湯の水質やその方法にも関係しているのではないか、と思えた。それに、日本で飲むコーヒー・茶にかぎっても、時代があとになるにつれて、睡眠障害は確実に弱くなっていった。もしかしたら、コーヒー・茶にふくまれるカフェインの量が、時代が移るにつれて、減少していったのかもしれない。また、私自身が、カフェインに対してだんだんと耐性をもつようになったこともあるのかもしれない。

 コーヒー・茶には、“カフェイン”とともに、“ポリフェノール”もふくまれているが、この“ポリフェノール”という物質が注目されるようになったのは、1990年代以降のことらしい。「赤ワインを飲んでいる人たちは、動物性脂肪を過剰に摂取しても、心臓病になりにくい」という経験的事実を追究していくうちに、その原因物質が赤ワインに含まれる色素(ポリフェノール)にあることがつきとめられた。“フェノール”と聞くと、高校化学の実験で使った“フェノール・フタレイン溶液”(中性・酸性では無色だがアルカリ性では赤紫色に変化するpH指示薬)を連想するが、この化学物質は、一般的に、味やにおいのもとになる“芳香族ヒドロキシ基化合物(C₆H₅OH)”をさしている。それに“ポリ-”(“多-”を意味する)がついているので、「“フェノール”の分子構造を内部にいくつももつ化学物質」ということになるだろう。
 さらに2000年代になると、赤ワインだけでなく、植物にふくまれる色素やにおいの成分全般に、ポリフェノールがふくまれることが明らかになった。2010年ごろには、コーヒーにふくまれる“クロロゲン酸”や茶にふくまれる“カテキン”のポリフェノールにも、抗酸化作用があることがわかって、これらの飲みものが、急に健康飲料として注目されるようになった。
 私の友人・知人には、コーヒー好き、お茶好きが多い。もともとは、し好品として長年親しんできたのだろうが、近ごろでは、やたらと医学的な知見をひけらかしながら、飲むようになった。私はもともとコーヒー党でも茶党でもなかったが、さまざまなメディアで健康によいともてはやされるようになって、だんだんその気になってきた。最近では、コーヒー、茶、それにココアもふくめて、どれかを毎日かならず飲むようにしている。

 日本国内で飲食店に入ると、たいてい湯茶が無料でサービスされる。テーブルに着席すると、まず店員が水をもってきてくれて、それから注文がはじまる。いまは、セルフサービスで水を自分で運ぶという店も増えたが、基本的に、飲料水は無料ですきなだけ飲める、というのがあたりまえになっている。ところが海外へ行くと、それがあたりまえではなくなる。アフリカ・西アジア・欧米でレストランへ入ると、まず食事をオーダーする前に、有料の飲みものを頼まなければならない。アルコールやジュース類が苦手という人でも、水1杯でさえ、有料のミネラル・ウォーターを注文することになる。
 しかし、これには理由があって、アフリカ大陸やユーラシア大陸では、もともと地下水が硬水(ミネラル分が多い)であることが多く、味(にがみ)やにおいがあって、飲料水としてそのまま飲むにはあまり適さないからだ。
【WHO(世界保健機構)の飲料水水質ガイドラインでは、水1リットルあたりの“カルシウムイオン”と“マグネシウムイオン”の量によって、水の硬度を測定する。それによって、「軟水」=59mg/ℓ未満; 「中程度の硬水」=60~119mg/ℓ; 「硬水」=120~179mg; 「非常な硬水」=180mg/ℓ以上、と分類される。】
 はじめてヨーロッパへ団体旅行したとき、「かならずミネラル・ウォーターを買って飲み、生水(なまみず)は飲まないように」と添乗員から注意を受けた。フランスのホテルで、ためしに洗面所の蛇口から出る水を少量飲んでみた。はじめて飲んだ硬水の味はよくわからなかったが、口にふくんだ液体の感覚が、なんとなくねっとりとしているように感じた。
 開発途上国の内陸地方でホーム・ステイをしたときは、村に水道設備(井戸)が1か所しかない、ということがよくあった。村人たちは、そこから汲んだ水を各家庭へ運んで、飲料用に利用していた。洗濯・掃除などに使う生活用水は、村から離れた小川・池などから運んで(水の運搬は子どもたちの重要な仕事)いた。そういう飲料水はたいてい硬水だが、私は、すでに現地の水に慣れていたので、生水をそのまま直接飲んでもだいじょうぶだった。でも、村人たちは気をつかって、私に提供する水は、わざわざいったん煮沸(しゃふつ)した水を、さまして出してくれた。硬水は、いったん沸騰させると、性質が変わって、硬水に慣れていない人でも飲めるようになるようだ。
 日本では、場所にもよるが、地下水がほとんど無味無臭の軟水だから、自然水をそのまま飲用にできる。火山列島の日本で軟水が飲めるというのはちょっとふしぎに思えるが、雨量が多く山々が急なので、地中でミネラル分をふくむ前に、川になって流れてしまうためらしい。日本の軟水は、海外の硬水と比べて、コーヒーや茶を飲むときに、利点なのかどうかよくわからないが、日本国内のインターネット・サイトでは、一般に「硬水より軟水のほうが適している」とされている。ところが、海外のサイト(英語版)を見ると、「軟水より硬水のほうが、コーヒー・茶に適している」とするものが圧倒的に多い。どうやら、どちらがよいかは、各国・各個人の好みによるようだ。


 神戸市中央区にある「UCCコーヒー博物館」へ行くと、コーヒーについてくわしく学ぶことができる【2025年11月現在、UCCコーヒー博物館は休館中】。コーヒーノキは熱帯・亜熱帯地域に生育する植物なので、日本国内では、熱帯植物園以外ではなかなか見ることはできない。でも、この博物館内にある観葉植物は、すべてコーヒーノキだそうで、近くから樹木を観察できる。
 展示物は、いくつかのテーマに分かれていて、「起源(歴史)」をさぐるコーナーでは、「エチオピアでコーヒーノキの原木を発見したヤギ飼いが、その実の効能を伝え、そこから飲料として活用されるようになった」という伝説を紹介している。また、「焙煎(ばいせん)」について説明するコーナーでは、コーヒーノキの“種子”を“生”の状態から“まっ黒になるまで煎(い)った”状態まで、実物が展示されている。同じ種子でも、焙煎する程度によって、「浅煎り」「中煎り」「深煎り」などの各段階に分けられることが、目で見て実感できる。
 博物館の資料室には、コーヒー文化にまつわる資料がならんでいて、そこでは、むかしはやった『コーヒー・ルンバ』(作詞・作曲:ホセ・マンソ・ペローニ Jose Manzo Perroni)、日本語詞:中沢清二、歌:西田佐知子)の曲を聞くことができる。「昔アラブの 偉いお坊さんが 恋を忘れた あわれな男に しびれるような 香りいっぱいの こはく色した飲みものを 教えてあげました…」という歌詞だが、これが流行していたころ、私は子どもだったので、何を言っているのか、まったく聞きとれなかった。それでも、冒頭の「むかしあらぶのえらいおぼうさんが…」の部分だけを、知っている単語を適当にあてはめながら、めちゃくちゃな意味のまま、まねして歌っていたようだ。

 東アフリカに滞在していたとき、近くの村に小さいコーヒー畑があったので、コーヒーノキは見慣れた植物だった。いつの季節かはわからないが、白い花が咲いて、サクランボのような赤い実がなったのを覚えている。でも、じっくり観察したわけではないので、いまではただしく識別できるかどうかもあやしい。コーヒーノキの実は、甘ずっぱくておいしいらしいが、私は食べたことがない。実はすべて、コーヒー用の種子をとるため加工用にまわされるので、市場で売られることはない。コーヒーノキに実がなる季節に、町じゅうの市場を探しまわったが、みつからなかった。私ならば、実を食用にとり出して、種子だけを加工用にまわそうと考えるが、東アフリカでは、そういうことはしないようだ。
 ケニヤの首都ナイロビは、標高が1795m、亜熱帯サバナ気候に属していて、年間平均気温は18℃、年間降雨量は722mm(東京の平均気温は15℃、降雨量は1529mm)ある。「雨季」「乾季」「小雨季」「小乾季」の4つの季節があり、「大雨季」は日本でいえば“梅雨(雨季)”に、「小雨季」は“秋の長雨”に相当する。こうした季節の移り変わりを比較すると、アジア・モンスーン気候の“先がけ”が東アフリカではじまり、南アジア・東南アジアを経て、“どん尻”が日本で終わる、と考えることができる。
 私の居住地は、標高5895mのキリマンジャロ〔スワヒリ語では Kilima Njaro ンジャロ山、あるいは Kilimanjaro ともつづる〕と標高5199 mのケニヤ山〔スワヒリ語では Mlima Kenya ムリマ・ケニャ〕のほぼ中間にあたり、ナイロビからは40キロほど離れた草原地帯にあった。気候的にはナイロビとほぼ同じだったと思われる。【“ナイロビ”とは、先住民族のマーサイ語で、“冷たい、寒い”を意味する。】東アフリカで暮らす荷物を、日本から送るとき、暑いところで生活するのだからと、夏服ばかりを用意してしまった。ところが、予想外の気温の低さに戸惑うとともに、まず着るものがなくて、困ってしまった。結局、日本へ帰国するときのために、一着だけもってきていた冬服が、いちばん役にたった。コーヒーノキは亜熱帯性植物なので、猛暑日が続く気候のもとで育つと思っている人が多いようだが、実際には、涼しい気候がもっとも適している。したがって、年間平均気温が20℃前後で適度に雨が降るサバナ気候は、コーヒー栽培に適しており、東アフリカは世界的なコーヒーの主要産地になっている。

 私の居住地から車で2~3時間ほど走ったところには、大規模なコーヒー農場があった。それは、かつて東アフリカがイギリスの植民地だったときに、“プランテーション(大規模農場)”として開拓されたところで、その当時も、植民地時代からのイギリス人が、そのまま農園主になっていた。私は一度だけ、おそらく数キロ四方にわたるだろう農場の周囲を、一周しようと思ったことがある。朝早くに出発して、フェンスで仕切られた外側の未舗装の道を、えんえんと走り続けた。ところが、行けども行けども同じ風景ばかりが続いて、なかなか端までたどり着けない。やっと最初の曲がり道を曲がったと思ったら、フェンスはなくなり、道もあやふやになって、農場と外部との境界がはっきりしなくなった。不審車だと思われたらまずいので、中止して、すぐに引き返した。
 日本国内では、これほど規模の大きい農場は、なかなか見あたらない。おそらく、秋田県の八郎潟干拓地が、面積としては匹敵するかもしれない(JR東日本の奥羽本線に乗ると、JR八郎潟駅とJR大久保駅間に、水田地帯が広がっているのが見える)。東アフリカのプランテーションでは、現地の農学部講師(日本人)の話によると、それがコーヒーだけでなく、茶、サトウキビ、パイナップルなどでも、おなじような規模の巨大農場があるそうだ。

 コーヒーはエチオピアからアラビア半島へ伝えられ、そこから世界各地へ広まっていった、と考えられている。各国語の“コーヒー”の語源も、アラビア語の قهوة (カハワッ qahwat)から来ている。スワヒリ語:kahawa(カハワ)、トルコ語:kahve(カッウェ)、ポルトガル語:café(カフェ)、ヒンディー語:कॉफी(コフィ kophee)、ロシア語:кофе(コフィエ)、中国語:咖啡(カーフェイ kāfēi)など。このアラビア語の قهوة は、エチオピアのコーヒー産地の地名から来ているそうで、アムハラ語(エチオピア公用語)では、コーヒーを ቡና(ブナー buna)と呼ぶらしい。
 私は、コーヒーの原産国エチオピアを旅行したことはないが、隣国のケニヤ側から国境近くの町まで行ったことがある。そこにはアムハラ人(エチオピアの有力民族のひとつ)が多く住んでいて、当時はエチオピア内戦の最中だったから、銃を構えた兵士や警察官が、町のあちこちに立っていた。レストランに入ると、アムハラ語と英語で書かれたメニューがあって、そこから“インジェラ”(エチオピアの民族料理)と“エチオピア・コーヒー”を注文した。インジェラは、穀物の粉と水をまぜて発酵させた生地を、“ナン(チャパティ)”のように焼いたもので、わずかに酸味がある。エチオピア・コーヒーは、見たところは“トルコ・コーヒー”と同じで、小さめのカップに、なべで煮だしたコーヒー液が、そのまま注がれていた。あまりかき混ぜないようにして、カップを手にとり、上澄みの液だけを飲んだ。すると、底にはコーヒーの粉末が沈んでいた。コーヒーは、適度な甘さがあって、かすかに香辛料らしい味がしたが、それがなにかはわからなかった。
 この「上澄みコーヒー」は、北アフリカから西アジアにいたる国々では、家庭などで一般的に飲まれている方式で、砂糖とともに、なんらかの香辛料がふくまれていることが多い。おそらくこれが、本来のコーヒーの飲み方なのだろう。でも、アラブの国々でも、ヨーロッパふうのレストランに入ってコーヒーを注文すると、欧米や日本と同じように、器具を使ってろ過されたコーヒー液だけが、カップに注がれて出てくる。香辛料は、ショウガ、シナモン、カルダモン、コショウ、ナツメグなど、多種にわたるようだが、私にはそれらの味の違いがほとんどわからない。また、アフリカのどこの地方だったか、花びら(おそらくコーヒーノキの花)がカップに浮かんだものを、飲んだ(花びらも食べた)ことがある。


 中国で長距離の列車に乗ると、お茶のサービスがある。大きめの湯飲みに茶葉を直接入れて、そこに熱湯を注ぎこむ。最初は茶葉が表面に浮かびあがるが、少し時間がたつと底に沈んでいく。そのときが飲みごろで、わずかに残る表面の茶葉を息で吹きはらいながら、茶を飲む。これが中国では一般的な茶の飲み方だ、と中国人ガイドが教えてくれた。でも中国は広いので、それ以外にもさまざまな飲み方があるようだ。レストランやホテルなど、大ぜいの客が集まるところでは、日本とおなじように、急須(きゅうす)に入れて出してくれた。茶の販売店では、茶葉を入れた小さめの急須に熱湯を注ぐと、一煎めの茶を捨てて、二煎め以降を複数の茶碗に少量ずつ何度も注ぐ、という入れ方をしていた。またあるときは、茶器や湯のみを湯で温めながら、茶器に茶葉をいれたかと思うと、すばやく湯を注いで、他の茶器に移しかえたり、湯のみに注いだり、と目まぐるしいパフォーマンスを見せてくれた。
 中国で一般的に飲まれている茶は、日本の茶とおなじように、淡い黄みどり色をしている。この黄みどり色は茶葉の“葉緑素(クロロフィル)”によるもので、これが酸化酵素によって、時間とともに発酵(酸化)すると、だんだん色が濃くなっていく。この発酵の程度によって、中国茶は、不発酵茶(緑茶)・半発酵茶(ウーロン茶)・発酵茶(紅茶)などに分類される。茶の色の変化は、産地から運搬される距離と時間に関係している。茶の産地から離れた土地ほど、運搬中に発酵が進むので、飲む茶の色も濃くなっていく。

 茶の産地ではない中央アジアでも、茶は一般的な飲みものである。レストランのメニューを見ると、“緑色の茶”〔ロシア語で зелёный чай(ゼリョーヌィ チャイ)〕と、“黒い茶”〔ロシア語で чёрный чай(チョールヌィ チャイ)〕の2種類が載っている。“緑色の茶”はテュルク系の住民に、“黒い茶”はロシア系の住民に好んで飲まれているようだ。“緑色の茶”は、日本の緑茶に比べると、色がウーロン茶のような褐色をしていて、味も中国や日本の緑茶にはほど遠い。でも、発酵茶らしい風味は弱くて、どちらかといえば、味は緑茶に近い。市場でこの茶葉を買うと、酸化してかなり濃い色をしているが、よく見ると、ところどころに緑色のなごりがある。“黒い茶”は、その名のとおり、色がかなり黒っぽくて、味は濃いめの紅茶といったところだ。
 この“緑色の茶”と呼ばれる「褐色をした茶」は、おそらく「古代日本で最初に飲まれていた茶」に近いものだろう。平城京・平安京時代に、遣唐使や留学僧がもち帰った茶は、長距離の移動に耐えれるよう、蒸した茶葉をかためたものだったという。日本では、それを粉末にして煎じたものを、薬用として飲んでいたようだ。中国からの帰国には時間がかかるので、その間に茶の酸化が進んでいたはずで、粉末にした茶もそれを煎じた液体も、かなり褐色がかったものだったと思われる。その証拠は、私たちが使う“茶色”ということばに残っている。現代日本語の“茶色”が示す「色」は、「緑色」ではなく「褐色」である。
 江戸時代になると、茶の製法が、窯(かま)で煎ったものを天日干しにする方法から、摘んだ茶葉をすぐに蒸して乾燥させる方法へと変わり、茶葉のあざやかな緑色がそのまま保たれるようになった。現代では、この緑色のままの茶が「日本茶」として全国に広まっている。それでも、“茶色”が意味する色は、あいかわらず「褐色」のままで、“茶色”が示す色彩と“実際に飲む茶”の色彩が違う、という奇妙な現象をひき起こしている。もしも、中央アジアやロシアを訪れるようなことがあれば、こうしたことをふまえて、現地の“緑色の茶(ゼリョーヌィ チャイ)”を飲んでみると、いにしえの日本の茶の味を感じることができるかもしれない。

 台湾のドリンク・スタンド(飲料店)のメニューを見ると、多くの飲みものに「〇〇茶」という漢字表記が使われている。でも、添えられた写真から判断すると、ほんとうに茶が入っているのかどうか疑わしいものも多くある。なかには、あきらかに茶とは無縁と思われる乳飲料やジュース類にも「〇〇茶」の名前がついている。このように、チャノキとはまったく無縁な植物を煎じたものにも「〇〇茶」の名称を使うことを「茶外茶(ちゃがいちゃ)」というらしい。
 これは台湾に限ったことではない。たとえば日本でも「麦茶」「ごぼう茶」など、茶葉をまったくふくまない飲みものにも、「〇〇茶」という名前がつけられている。
 中国本土でも同じような例(「菊花茶」〔きっかちゃ〕、「杜仲茶」〔とちゅうちゃ〕、「茉莉花茶」〔まつりかちゃ〕など)は多くあるし、世界的にも認められた、チャノキではない植物による「〇〇茶」ということばの使い方である。オーストラリアでホームステイをしたとき、甘い香りの赤い飲みものや、さわやかな味の黄色い飲みものをよく出してくれた。それらは、その家の庭園にある香草を煎じてつくったものらしく、奥さんはどれも“ハーブ・ティー(薬草茶)”と呼んでいた。

 時代劇では、街道をゆく旅人の休憩場所として、よく「茶屋」が登場する。その名のとおり、もともとは、湯茶を提供する店だったものが、時代とともにその役割が広がって、飲茶だけでなく、食事、休憩、遊興、宿泊、風俗などを提供する施設としての意味をもつようになった。江戸時代の浮世絵には、「水茶屋(湯茶と軽食を提供する店)」「料理茶屋(料亭として料理を出す店)」「色茶屋(遊女をかかえた店)」「芝居茶屋(芝居見物の客に飲食を出す店)」など、さまざまな営業形態の「茶屋」が描かれている。現在でも、京都市の花街では、芸妓(げいぎ)をよんで客に飲食をもてなす店を「お茶屋」と呼んでいる。現代の「喫茶店」も、ただ茶を飲ませる店というよりは、人々が休息したり、語りあったりする場、としての役割がある。
 このように、人々がリラックスしたりコミュニケーションをとるときに、茶がとりなす時間と空間のはたらきは、日本だけでなく、世界的にも認知されている。たとえば、英語の「ティー・タイム(tea time)」「ティー・ルーム(tea room)」には、単に「茶の時間」「茶の部屋」という文字どおりの意味だけでなく、茶を飲みながら「休憩をとってくつろぐ」「仲間たちと語りあう」などの役割がこめられている。トルコ・イランや中央アジアに行くと、「チャイハナ」と呼ばれる飲食店がある。もとは茶(コーヒー)などを提供する「喫茶店」を意味するトルコ語だったらしいが、やがて、食事・(アルコール以外の)飲みもの全般を扱う「飲食店」を表すことばへと発展した。それはまた、多くの人々がそこに集い、休息し、語りあい、音楽などを楽しむようになったことから、「社交の場」としての意味ももつようになった。イスラム教の戒律の厳しいイランなどでは、女性が公的に利用できる数少ない社交の場として、認められている。

 茶は、日本語では“チャ”というが、おなじものを英語では“ティー(tea)”という。“チャ”も“ティー”も、その語源はおなじ中国語から来ているが、茶が伝播(でんぱ)した地方の中国語方言によって発音が違うために、こうした違いが生じたらしい。日本語“チャ”の発音は、「茶」の広東省方言(チャ chá)から来たもので、英語“ティー”の発音は、福建省・廈門(アモイ)方言(テ tê)から来ているという。そして、この2つの方言の差が、世界の「茶」の名称を大きく2分する要因になっている。“チャ”系統は、ベトナム語 chè(チェ)、ポルトガル語 chá(シャ)、ヒンディー語 चाय(チャイ)、アラビア語 شاي(シャイ)、トルコ語 çay(チェイ)、ギリシア語 τσάι(チャイ)、ロシア語 чай(チャイ)などに派生している。また、“ティー”系統は、マレー語 teh(テ)、スペイン語 té(テ)、ラテン語 thea(テア)、ドイツ語 Tee(テー)などに派生している。
 この発音の違いをたどっていくと、商人たちが、どういうルートで茶を中国から世界へ運んでいったかを探ることができそうだ。そこには、“絹の道(シルクロード)”ならぬ“茶の道”が浮かびあがってくるようで、とても興味深い。


 近年、コーヒー・茶の生産量が世界的に落ちこんでいるようだ。「気候変動(気温上昇・雨不足)によって、コーヒーノキ・チャノキの栽培適地が減っている」「生産者人口の縮小・高齢化が進んでいる」などがおもな要因らしい。そのいっぽうで、生活水準の向上や、コーヒー・茶の健康効果が知れわたったこともあって、日本をはじめ世界中で消費量が増えているので、需要と供給のアンバランスにより、価格高騰が起こっている。
 EU(ヨーロッパ共同体)は、環境保護の観点から、コーヒーを「ヨーロッパ森林破壊防止規制(EUDR)」の対象とした。“コーヒーの生産が森林破壊に関与しない”と証明することが事業者に課せられ、その手続きなどによって、コーヒーの価格が2倍になったという。これによって、開発途上国の小規模農家がヨーロッパのコーヒー市場からしめ出される結果となった。
 日本では、“抹茶”が世界的なブームになったことで、日本産の抹茶が海外で爆売れし、日本国内の茶の市場を圧迫している。日本産の茶葉が海外輸出向けの抹茶にまわされるので、今後、国内では、煎茶などの購入が困難になるだろうという。
 コーヒー・茶は、世界中の人々に愛飲されていて、水についで2番めに飲まれている飲みものが茶、3番めがコーヒーだと言われている。これからも、だれもがコーヒー・茶を手軽に飲める世界が続くことを切望する。