アンダーグラウンドブログ -323ページ目

香港ツアー

【女性限定 真の国際力を身につけよう】
語学力UP! マネー力UP!  IT力UP!
香港 セカンドステージ ツアー

【ツアーの目的は】

グローバル経済が進む中、隣国の中国やインドといった新興国は、多種多様な人材や圧倒的なIT力を武器に急成長する一方、
相対的に日本は財政難、人材難に悩み、地域は疲弊し、沈没寸前の状態です

とりわけ、現在、国際社会では共通常識であり、ビジネス上での3種の神器と言われる英語力、マネー力、IT力
について、日本人は十分かつ対応できるといえるでしょうか?

日本独特の終身雇用制度が崩れ、年金など社会保障もない不安定な時代を迎えるからこそ、
国や会社が守ってくれなくても自分や家族を守っていく、就職や再就職活動にも打ち勝つ強いスキルを身につけることを
コンセプトにして弊社が提案させていただきました

【具体的な内容は】

①HSBC香港口座開設 生きた英語を肌で体験

→世界の銀行で時価総額1位を誇り、毎年、日本人1万人前後が開設することで有名
→参加者自ら、現地行員との英語のコミュニケーションを経て
言葉の通じない異国での逆境を克服し、充実感と達成感を得るのが目的
※あらかじめ、簡単な勉強会を行い、弊社が完全バックアップをする
※失敗を恐れず、挑戦することに意味があるので、完全な英語力は問われない


②HSBC香港でネットバンキング 英語のHPに慣れ、外貨預金も完璧に

→世界有数のセキュリティと使い勝手を誇る同行のネットバンキング技術を学ぶ
→英語の文章に慣れ、[自分流プライベートバンキング]を体験する
→外貨預金や為替振り替えなどに挑戦し、マネー力を磨く


③自分年金を考える 1万5千円から始める積み立てセミナー

→金融危機以来、クローズアップされる世界マネーについて勉強する
→世界の保険や積み立て商品を通し、日本の年金制度や社会保障の矛盾を考える

④夜は裏香港めぐり(参加は任意)

→夜景やグルメといった表も顔と同時に、横行するニセ物ブランド、拡大する貧富の差など裏の顔を学ぶ

【ツアー料金と日程】

●東京以外は現地集合解散で、参加料3万円
●東京からは、5万9千円のツアーでメンバーが添乗します
●日程は、日曜出発の2泊3日

【6月2日】1985年(昭60) 仕方なく来日したマルカーノ 11年目の外国人最高記録

【広島4-3ヤクルト】仕方なく日本へ来た外国人の名前が付いた球場で、仕方なく日本で野球をやることになった選手が外国人の最高記録を刻んだ。

 ヤクルトのロベルト・マルカーノ二塁手は旭川スタルヒン球場での広島8回戦の3回、大野豊投手から通算1338安打目の左前打を放った。巨人、中日で活躍したハワイ出身の与那嶺要外野手の1337本を抜き、来日外国人選手の最多安打記録(当時)を塗り替えた。

 阪急入りした75年から11年目。チームも変わり、年齢も34歳になっていたが野球に対する真摯な姿勢だけは変わらなかった。「とてもハッピーだね。一生の思い出になるよ。次の目標は1500本だね」。試合には敗れたが、ただ一人で気を吐いて3安打猛打賞。1340本まで記録を伸ばした。

 通算303勝投手のヴィクトル・スタルヒンが祖国ロシアを革命で追われたのに対し、ベネズエラ出身のマルカーノも米球界から追われる形で阪急に入団した。74年、大リーグ・エンゼルスの3Aに所属し、3割2分4厘、12本塁打91打点で来季のメジャー昇格が有力視されていたが、球団は「メキシカンリーグに行くか日本のブレーブスに行くか、どちらかに決めろ」と迫った。球団は阪急からのトレードマネー欲しさに、マルカーノがまず選択しないメキシコ行きを持ち出し、日本に行くことを承諾させようとした。

 どちらに行くにしても本意ではないマルカーノだったが、日本での年俸750万円に惹かれた。3Aでは330万円。倍以上の額に8人兄弟の7番目の家族とすでに結婚していた妻を養うためにと阪急入りを決意した。

 某主力選手がいたずらで初めて教えた日本語は「家に帰りたい」と「腹減った」。「上田利治監督の前で言ってみな」とそそのかされて、その通り言って、監督をびっくりさせたが、23歳という若さもあって、“ボビー”の愛称でチームメイトにかわいがられた。1年目に2割9分8厘、23本塁打でベストナイン、ダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)を獲得する大活躍。勝負強い打撃で阪急の3年連続日本一に貢献。リーグ4連覇となった78年には4番に座り、94打点で打点王に輝いた。

 日本で成功する、という単純で難しい目標を立てて来日したマルカーノは、多くの外国人とは違い、練習にしても調整にしてもすべてチームのやり方に従った。マルカーノは日本での成功の秘訣についてこう言った。「何事も“腹に収める”ってこと。怒りたくても、気持ちのままに感情を爆発させない。周りに合わせる。こうすれば日本人の方からいろいろと助けてくれる」。

 目標だった1500本に82本足りないまま、外国人最多安打を達成した85年にヤクルトを自由契約に。すでに30代半ば。3球団目の所属先はなかった。日本球界で次に与えられた仕事は、巨人入りしたストッパー、ルイス・サンチェ投手の通訳。マルカーノと同じベネズエラ出身のサンチェは英語も理解したが、スペイン語でなければ細かいニュアンスまで伝えられないと、苛立ちを募らせたことに手を焼いた巨人が日本球界に精通し、サンチェと旧知の仲だったマルカーノを採用したものだった。友人の右腕をサポートしながら、マルカーノはその間にもトレーニングを欠かさず「僕を採用してくれ。選手として」と関係者に売り込んでいた。

 90年11月13日、肝臓ガンのため39歳の若さで母国で死去。亡くなる寸前まで「また日本で野球の仕事がしたい」と話していたという。そこまで日本を好きになったマルカーノだが、本当の目標

は最後までメジャーだった。阪急時代、毎年キャンプの参加が2月中旬から下旬だったのは、カリブ海沿岸で行われるウインターリーグに参加し、大リーグのスカウトから声のかかるのを待ち続けていたからだった。日本で成功を収めた助っ人は、阪急、ヤクルトで全力プレーをしながらも、最後までメジャーでのプレーを夢見ていた。

【6月1日】1960年(昭35) 奇跡のターニングポイント 鈴木隆の8連続奪三振

【大洋1-0巨人】半世紀近くセ・リーグで破られていない記録がある。1人の投手による8連続奪三振。達成したのは大洋の左腕・鈴木隆投手。川崎球場での巨人6回戦、記録は大洋・三原脩監督の選手の性格分析を用いた継投策から生まれた。

 大洋はエース秋山登投手が先発。3回に2死二、三塁のピンチがあったものの、3番藤尾茂中堅手を空振り三振に仕留め、ピンチを脱した。その裏、大洋は得点圏に走者を進めると、三原監督は秋山に代打を送った。ここまで11勝の巨人・堀本律雄投手からそうチャンスはないとみたこと、そしてエースの先発は実はあくまでつなぎにすぎなかったことでのピンチヒッターだった。

 代打策は失敗し、無得点に終わった大洋。2番手で鈴木が登板した。福島県出身の純朴な青年はマウンドに上がると人が変わった。三原いわく「速球もカーブもいいものを持っているが、勢いで投げる投手。集中力が長く続かない」投手だった。それゆえ、頭から長いイニングを投げさせると2、3巡目には勝負を急いでつかまる。そう考え、中継ぎで行けるところまで行くというのが、この日の三原用兵だった。

 観衆2万1500人。外野席がまだ完備されていなかった川崎では札止め満員だった。「きょうはえらくお客さんが入っているな。いっちょいいところ見せてやるか」。先頭の4番長嶋茂雄三塁手にいきなり左前打を浴びたが、これで逆にスイッチが入った。

 続く王貞治一塁手から三振を奪うと、長嶋を一塁に釘付けにし、6番土屋正孝二塁手、7番広岡達朗遊撃手を連続三振。5回も3者連続、6回も2者連続で、ついに8連続奪三振を記録。気がつけば国鉄・金田正一投手ら3人がつくった7連続三振をセ・リーグ記録を更新していた。

 そして、長嶋と2度目の対戦。9連続になれば阪急・梶本隆夫投手の偉業に肩を並べるプロ野球タイ記録。記録は頭になかった鈴木だが、出ばなに安打を打たれた相手。その性格どおりムキに三振を取りにいった。

 カウント2-0と簡単に追い込むと、土井淳捕手の「1球外せ」のサインに首を振り、ストレートをインコースに投げ込んだ。「勝負を焦ったね。勢いよくいったはいいけど、完ぺきにやられた」という打球は、左翼金網に直撃する二塁打。日本記録には届かなかった。

 しかし、リーグ5連覇中の巨人相手に鈴木がみせた真っ向勝負の度胸は、東京六大学出身の選手が多く、上品なホエールズの選手の闘争心をかき立てた。中央大では主戦投手になれず、社会人川崎トキコで力を付けた遅咲き左腕の好投で、大洋は5回に飛び出したルーキー・近藤昭仁二塁手の2号ソロの1点を守り勝利。強い巨人とギリギリの勝負をして競り勝ったのは、6年連続最下位のチームにとって“今年は違う”という気にさせる1勝以上の重みがあった。

 実は大洋、この時点で阪神と5毛差ながら最下位だった。鈴木の渾身の投球で、白星をもぎ取った大洋は、翌2日も3-2で1点差勝ち。7月5日に首位に立つと、2度陥落したものの、混戦となったペナントレースを抜け出し6年連続最下位から優勝、日本一まで一気に駆け上った。思えば万年ビリの大洋にとって勝利へのターニングポイントになった試合だった。

 「巨人とやる時はケンカ腰。やるかやられるかだ。すごい打線を抑えるには逃げたらダメ」という鈴木。四球でピンチをつくり、痛打を浴びるパターンが目立つ後輩のベイスターズ投手陣に不甲斐なさを感じているOBの一人であろう。難しいことを考えるより、鈴木のシンプルな考え方こそ、現状の低迷から脱出する初めの一歩となるはずだ。