2011.3.11
私は、会社の教育中に被災した。
31階建てのビルだったから、ちょっと大きな地震がきて結構ゆれてるんだな。くらいの気持ちだった。
でもすぐに、そんな軽度のものではないことがわかった。
ワンセグで地震の状況を知り、ただの地震で済まされないことがわかった。
そこから、生活が変わった。
電車が動かない。
食べ物が買えない。
電気が使えない。
水道が使えない。
携帯が使えない。
寒い。
日ごろの、ただ普通の、当たり前と思っていたライフラインが止まった。
もちろん、初めての経験。
3.11から3ヶ月間くらいであろうか。
計画停電が続いていた。
夜の計画停電。
寮でキャンドルをともし、何をすることもなく布団にくるまり、
電気の復旧をまつ。
今思えば、そんな日々もあった。
それ以降は、会社が政府から電力消費15%削減タスクを与えられ、夏の暑い日に冷房を弱めるだとか
そんなことはしていたが、今日の震災一年を迎えるまでの間不自由なく暮らせた。
そして、震災から一年の今日を何して過ごそうか、結構前から考えてきた。
が、とくにやりたいことがみつからなかった。
だから、通常の休日の通り、掃除洗濯を済ませ、
昨日いただいたドゥバイヨルのトリュフを食し、
あー幸せ。みたいな気分に浸る。
みたいな、そんな感じ。
でもこの何でもない日常みたいのがすごく幸せであることは、身にしみてよくわかる。
あ、一つ特別なことがあった!
いただいたトリュフがあまりにもおいしかったので、
トリュフをいただいたかたにどうしてもお礼を伝えたくなり、衝動で電話した。
今日言わないと後悔する。 今日だから、こんな気持ちになっているのかな。
テレビをつけると、震災の特番が中継されているので、観た。
被災地、被災者の現実
復興支援を行っている芸能人の活動 とか。
自分にどんな感情が生まれて涙が流れているのかわからない。
でも涙が止まらない。
印象に残ったのが、平原綾香の恩師が言っていたという「顔晴る」という言葉。
「頑張る」ではなく、「顔晴る」。
私もこっちのほうが好き。
日刊イトイ新聞のことが私は好きで、暇さえあればみている。
何が好きかって考えてみたら、
イトイ新聞に出てくる人々は、
そんなに有名でもなく
何か大成功をした人でもなく、
あくまでも普通の人。
たまに、普通なんだけどすごい人 も出てくるけど。
その普通の人から発信されるいろんな情報に関して
そういうことあるある!
みたいな共感を覚えることが快感なのかもしれない。
震災があって、人と人の絆にフォーカスされることが多くなってるけど、
「やっぱり普通の、なんでもない、ありふれている感じ」の人たちが
この日本の99%以上を占めていることに改めてきづく。
そして、その「普通の人」たちって結構すごいってことがよくわかる。
みんな、すごくドラマティックな経験をしてるんだなーって、
あーいいなーって、そんなことを思っている。
夫婦で笑いあう。
親子で笑いあう。
その、何が特別なモノがあるわけじゃなくても笑いあえる関係って、とっても素敵。
そんなことをつれずれなるままに考えている3.11の私。
以上