ばるこの過去には

悲しいこと、苦しいことは

嫌というほどある。


そんなことをいちいち振り返るつもりはない。


だけど

ひとつだけ

ものすごく些細なことでありながら、

ものすごく悲しくつらかった思い出を話そう。



あれは幼稚園かやっと小学校あがったころのこと。


家族でプールに行った。

当時は今みたいに

学校以外で子供たちがプールを楽しめる施設なんてあまりなかった。


父は車の運転が好きだったこともあり、

当時としては珍しい大型プール施設に

車で1時間半から2時間もかけて

よく私達姉妹を連れて行ってくれた。


母は泳がなかった。

だいたいいつもプールサイドで見守っているだけだった。


その日は日差しが強く、

母はプールサイドまでも行かないで

1人で日陰のある場所で時間をつぶしていた。


父に連れられていろんなプールで思う存分遊んだ。

お腹がぺこぺこになった。


当時カップラーメンが出始めたばかりのころだった。

知る人は少なかった。


しかしその最先端のプール施設には

そのカップ麺の自動販売機があった。


父が試しに食べてみて

「おいしいから食べてみろ」と

子供たちにも買って食べさせた。


わたしたちは

へえ~、こんなのができたんだー!

あ、けっこうおいしいね!

とわいわい言いながら喜んで食べた。


そして、そろそろ帰るか、ということで

出口のほうへ向かった。


1人で待っていた母と合流した。


母は「お腹空いたでしょ。」と言って

手に持っていたアメリカンドッグを差し出した。


わたしは、「あっ!」と思った。

お腹はいっぱいだった。


もう食べた、というと

なんだお腹空かしていると思って買っておいたのに、と残念そうに言った。


たったそれだけのことなのだが。


人の気持ちに敏感で

人を悲しませることやがっかりさせることがすごくきらいで、

それをものすごくつらく感じてしまう性格は幼いころからのものだった。


今思えば、母はわたしと違って案外あっさりした性格なので

こちらが思っているほど気にしていないのだが。


たぶんそのときも

がっかりはしたけれど、

ま、いいか、後でおやつにでも食べさせれば、ぐらいに思っていたと思う。


だけど当時はそんな母親の気質など知るよしもないわたしは、

ひとり、気に病んでしまった。


ああ、わたしたちのためを思ってせっかく買って待っていてくれたのに

それを無にしてしまった、

そうとも知らずにカップ麺を喜んで食べてしまった、と

自分が悪いわけでもないのに

自分を責めてしまい、泣きたい気持ちになった。


なんとか無理してでも食べられないか、とも思った。

でもお腹はすっかり満腹で入る余地はなかった。


どうしようもなく悲しい気持ちを抱えたまま

駐車場へと歩き、車に乗った。


横目で母が手に持っているアメリカンドッグをちらちらと見ながら。



その後のことがどうしてもはっきりとは思い出せない。


車に乗ってしばらくしてから

「あ、お腹空いてきちゃった」と言って

無理して詰め込んだような記憶もある。


「おいしいね。」と言いながら。


しかし

そうしたいと思いつつもどうにも満腹で、できないまま

悲しい気持ちをずっと引きずっていたような気もする。



そんな些細な出来事です。


今でもそのときの胸の痛みをありありと思い出すことができる。


そんな子供だったのです。


というより

子供のころから、そういう性質だったのです。


今日、ふとしたことから思い出したので綴ってみました。



人の気持ちをすごく考えてしまう、

繊細で優しい気質。


それはいいところのようだけど、

度が過ぎて、裏目に出てしまうことも多々ある。


相手が、そういう繊細な気持ちを全然解さない性質だと

逆にぎくしゃくして

不快な思いさえさせてしまうこともある。

完全な行き違いが生じてしまうのだ。


今では「おばさん」の域に入ってきたばるこは

多少ながらもその性質が緩和したように思う。

若い頃のようには鋭敏でなくなったと思う。


でも人間の本質はそうそう変わるものではない。


今でも、その性質により、自分が疲れてしまうことがある。


そのたびに思い出す。

「ばるこは優しすぎるから心配なんだ。」という言葉。


元彼が別れた後で私に言ってくれた言葉だ。


そこまで私を理解した上で熱烈に愛してくれた彼と

一緒になっていたら幸せだったかもな、なんてね。


言っても詮無きこと。