こんばんは、僕は子供好きな水泳オタクの大学生です。

 

皆さん、いかがお過ごしでしょうか。最近は暖かい日が来れば、寒い日も来るといった寒暖の差が激しい日が続きますね。3月が始まってから僕も衣替えの準備をしつつ、春を迎える準備をしたのですが、いきなり寒い日もありますので、未だに上下のヒートテックは外せません。

 

そういえば、今日は3月11日ですね。一見、普通の日付かもしれませんが、多くの日本人、いや世界各地の方々でも、この日付を聞いてピンと来るでしょう。ちなみに、昨年の今頃に大学の企画でカナダへ短期留学に行き、現地でお世話になった語学学校の生活を通して、できた外国人の友達からは「日本は、昔3月に大きい地震があったんでしょ?」と聞かれたほどです。

 

そうです。ここまで読んで、お察しだと思いますが、

今日で東日本大震災が起きて、15年の月日が流れました。

 

毎年この日が来るたびに当時のことを振り返りますが、自分の中では「もうそんなに経ったのか」という気持ちです。

 

もし今この瞬間に、同じような震災が起こったら。

自分はどう行動できるのだろう。

過去の経験を、今に活かすことができるのだろうか。

 

震災を風化させてはいけないと思いながらも、時間の経過にどこか安心してしまっている自分がいることにも気づきます。ここ最近で最も気づいたのが、2024年元日に能登半島地震がありました。その時、僕はリビングでスイッチをしていたのですが、突然の緊急地震速報が流れ、少しした後に、能登半島から何百キロも離れている僕の家でも揺れを感じました。その時は本当に怖くて、地震における安全に対して、何らかの過信をしていたことに気づきました。そのため、いつ起こるかわからないであろうと、高確率で起こる南海トラフ巨大地震で防災・減災を入念にしていこうと思います。

 

15年前の当時、僕は小学校1年生で3学期の学校生活を過ごしていました。今でも、鮮明に覚えているのですが、地震が発生する14時46分前に、5時間目の授業が終わり、終礼をして、帰りの挨拶をしようとしたときに、校内の放送で突然「地震の発生です」という放送を聞きました。すぐに机の下に隠れたのですが、当時は時代がそうだったかもしれませんが、学校から「津波の心配がないこと」など僕の学校地域において、特段の問題がないと判断されるまでは、教室に待機していました。そして、帰宅したのちに、テレビを見ると、真っ黒な津波が街、人、何もかもを飲み込んでいる映像、人が間近で津波に飲み込まれる映像を目の当たりにしました。あの時、あの場所にいたらと考えると、この年でも本当に震えが止まりません。

 

いつからかは覚えていませんが、ヤフーでは、この3月11日に「3.11」と検索すると、その検索が10円の寄付になるそうです。僕は高校1年生からスマホデビューしたので、高校1年生からし続けています。今回も朝起きて、有酸素運動(散歩)の途中に検索しました。

 

 

今日で15年の年になりますが、僕がだんだんと気づいているのがあります。

 

それは、この先において、東日本大震災を知らない人が増えてくることです。もちろん、東日本大震災だけではなく、阪神淡路大震災や熊本地震などがありますが、今の小学生は東日本大震災があったときは、まだ生まれていないということです。15年経ったということは、東日本大震災が起こった年に生まれた、つまり最も若いのは中学3年生です。上記にもありますように、実際にあった出来事が年が経つにつれて、風化しているのが現実です。

 

僕もコーチになったときに、子供たちとの会話で「学校の理科で地震の勉強をした!」や「プレートって言葉習った!」、「社会で地震の話や、教科書に写真がある」などを聞き、この場合では風化はされていませんが、実際に子供たちに「コーチさ、東日本大震災の時、小学1年生だったよ。その地震って、どんなのだったかイメージある?習ったことで」と聞くと、子供たちは少し考えて「写真見たけど、結構大きい地震?」「津波が来たやつ?」と答えてくれます。教科書や授業で学んでいても、実際に経験した人から聞く話とは、やはり重みが違うのだと感じます。

 

これからの時代、東日本大震災を直接知らない子供たちはどんどん増えていきます。それは避けられないことです。でも、風化させないために何かできることがあるとすれば、僕にとってそれはスイミングの現場だと思っています。授業の合間や、ふとした会話の中で、あの日のことを伝えていく。大げさな話ではなく、「コーチが小学1年生の時に、テレビでリアルタイムの映像を見たけど、○○だったよ」という些細なの一言が、子供たちの記憶の片隅に残ってくれたら、それだけで十分だと思っています。知識として知っているのと、身近な大人から聞いたこととでは、子供の心への届き方が違うはずだからです。

 

できることは小さいかもしれないけれど、自分の関わる子供たちに、あの震災を「遠い昔の話」にしないために、これからも伝え続けていきたいと思います。

 

最後になりますが、東日本大震災で亡くなられたすべての方々をはじめ、関係者すべての皆様に、心より哀悼の意を表しますとともに、謹んで黙祷を捧げます。また、今もなお復興に向けて歩み続けているすべての方々に、深く敬意を申し上げます。

 

今日は、この辺りで失礼いたします。