昨日のセカンドオピニオン診察結果。
現在の主治医・担当看護師からは、かなり厳しいことを言われる。
と、聞いていたので、それなりの心構えで臨んだんやけど、
思っていた程のものではなく、肩透かしを食らった感じや。
むしろ、数パーセントと言われた長期生存率は、
「もうちょっと、高いんちゃう?」の一言。
ほんで、主治医とコーディネーターの方が醸し出すオーラーは、
自信にみなぎっていた。
恐らく、これまで数々の症例に対して真摯に診て、取り組んできた人でしか、
作ることのできないモノなんやと感じた。
それは、とても暖かくて、安心して頼れる、心強い印象。
むしろ、今回訪問するまで抱えてた、
ハプロ移植への恐怖を払拭するほどのモノでもあった
前を向くために、現実を受け止め、その上で、気持ちを整理する。
そのためには、必ずでてくる 〈生への諦め〉 という作業。
そして、それは頭のどっかに、いつも持ち続けなければいけない。
その作業の中に、意味のない生への執着は、不要。
空元気は虚しいだけ。
そんな中、俺さえ、しっかり取り組めれば、最大限のサポートで、病気を治すよ。
とさえ、聞こえ、思えた。
ホンマに、ありがたい。
それやのに。
ハプロか臍帯血か、あわよくばバンク経由か、
今は、とるべき移植手段に悩んでる。
ほんで、正解が分からないからか、何に悩んでるのか自分でも分からない。
分かっている事は、
一番の理想は、長期生存。
ほんで、死ぬにしても、子供らの記憶に俺が残ってから死にたい。
これだけ。
現時点では、移植方法を選べる立場にある。
また、それがメチャクチャ幸運であると、
自分なりに十分なほど自覚しているつもりや。
選べるからこその贅沢な悩みなのか
いや、俺の目的達成のためには、
本当は選択肢はあるように見えて、無い。
自分でも取るべき方法は1つしかないのは、分かってる。
ほんで、その方法をとりたいとも、99%思ってる。
前回移植時は、決められた治療法をとってきた。
敷かれたレールの上を走ってきただけ。
ただ、それでは完治できなかっただけ。
今回は、
前回と違った、本当の意味での人生の岐路に立たされているのかもしれない。
しかも、それは中々味わうことのできない、人生最大の大博打として。
だからこそ、自分がしっかりと納得して取り組めるように、悩みたい。
ワガママな性格だからこそ。
昔味わった、悩んでダイソンの掃除機を買った後に味わった、後悔。
重いや~ん!!!
この時の反省を活かそう。
さぁ、どうしようか。
悠長なことを言ってられへんけど、もう少しだけ、しっかり悩んで、考えよう。