危篤の連絡は結局訃報に変わり、この3連休往復2,000kmの旅をしてきました。
訃報の主は私の祖母。
両親が離婚してから数回しか会うことができなかった人です。
しかし祖父、父、父の妹である叔母も既に他界。
直系は唯一の孫である私一人でした。
最後に会ったとき、祖母に言われました。
「あんたと私しかおらん、葬式のときは来てな」
つまり「喪主」をしてくれ、という遺言でした。
遠すぎる距離に甘えて式に関しては現地にいる親戚にお願いし、大急ぎで向かいました。
最後まで世話をしていた祖母の弟にあたるおじさんに冗談で「喪主はおじさんだよ」と以前伝えていたので私は隣に座っていればいい、と思っていました。
10数年ぶりに親戚たちに会い、祖母に会いました。
父の故郷は古い港町。
用意されたお礼状を見ると、喪主におじさんの名前、隣に私の名前が印刷されていました。
祖母、おじ、私。
すべて違う苗字。
私の家族の歴史を物語る印刷物。
海のにおいを感じながら、すべてを済ませてきました。
息子の夏休みを待って納骨することにし、その時は母も一緒に行くことになりました。
親戚は「連絡待ってるからね」
ここで私の親の詳細を書き出すと長いので省略しますが、結論だけ言えば「父の裏切り」に対してその他全員が傷つき泣いて這い上がってきた。
結果、離婚して離れた母は「家族」として受け入れられたまま、今に至っていることを知りました。
曾孫の二人もきちんと顔を見せてくることができました。
一旦切れたと思っていた糸は「思いやり」という形で残っていたことを、祖母に感謝してきました。
夏に再度2,000kmの旅をします。