ビジネスの根本は、「交換」です。
自分と相手の持っているものを釣り合う形で交換する等価交換をしているということです。
昔の経済学は一つのものに一つの価値があるというような考え方をしていましたが、現在は違います。
人によって一つのものにどれだけ価値を感じるか、というのは著しく異なりますし、
1人の人においても、時と場合によって、物の価値は著しく変化します。
そこで思いつくのがわらしべ長者です。
より価値を感じる人のところに持っていけば、大きな富が得られる。
そういう感覚で商売している方も多いと思います。
ただ、我々は移動させるというよりも、「価値をつける」、「価値を生む」という感覚が必要であるように思います。
生産者の感覚、ものづくりの感覚です。
対象とする人にあわせたものを、持っているあらゆるものを組み合わせて作り出す。
それと、対象の持っているものを等価で交換する
相手にとってそれが嬉しければOKです。
そして、お金は幾ら稼いでも構わない。
これはかなり重要だと思います。
日本においては特にそうかもしれませんが、
お金を稼ぐことにネガティブなイメージを持っている方が多いように思います。
等価で交換していて、双方が納得ならばそれはいいことなんです。
(騙す、ごまかす事で、ちょっとでも多く自分が得をして、相手に損をさせるという感覚があるのだと思います)
等価交換をちゃんとしていれば(等価交換のロジックを使って言い訳している人はたくさんいますが)、相手に損をさせることはありません。誰かから奪っているわけではないからです。
自分が10倍稼いでも、10倍量を食べるようになるわけではありません。
10倍の土地を手に入れる訳でもありませんし、10倍の量の服を持つわけではありません。
もしそうなら、稼ぐ人が増えれば増えるほど困ります。
世の中のものが不足するからです。
量が増えることはもちろんありますが、基本的にほとんどの人は「質」を高めたいと考えています。
今もっているものに「情報的付加価値」をつけたいと考えています。
住む家が広くなっても、タワーマンションのように重なり合って暮らせば土地は不足しません。
(情報的付加価値で稼いで、それで田舎の土地を買い占めるような方向に行きだすと世の中的には困ります)
地球上には必要なものが足りない人たちがいます。
しかし、その本質は、世の中にあるモノが不足しているわけではないということです。
(そうなったのは20世紀になってからです。それまでは不足が前提で、誰かが死ななければ生き残れない時代でした)
供給の問題をちゃんとすることで解決するべきだし、それは重要な問題ですが(そこには「差別」があるのでかなり厄介です)、本質的に、自分が稼ぐことが誰かに迷惑をかけることにはならないということです。
少なくとも、「質」に向かうのであれば、大丈夫ですし、一人一人がそれをわかっていればいいと思います。教育の問題です
ただし、いくら稼いでもいいというのは、それが許されているということで、
稼ぐことが悪ではないという意味です。
権利の問題です。
たくさん稼げばいいという話ではありません。
ましてや、たくさん稼げば稼ぐほど人として価値が高いという話でもありません。
これもまた根深い問題だとは思いますが、
そのあたりは、また改めて。
お金と健康的に付き合うこと、それを実装して、ちゃんと社会に関わることをしていきたいと思っています。