一般教養という言葉があります。
大学での履修科目の分類で聞く言葉ですが、
言葉の定義としては、
人として持っておくべき教養みたいな意味です。
であれば、大学を卒業した人は一般教養が身についているということになります。
実際は、大学生はほとんど勉強しませんし、
そもそも、人間形成において大学で学ぶこの一般教養科目が必要だとすら考えていません。
専門科目は必要性を感じていたり、実際に社会に出てから得ることの方が大切だと考えている人も多いと思います。
それは、学生の問題ではなく、社会の問題だと思います。
簡単に言えば、大人が子供にそう吹き込んでいます。
学校で習うことなんて大人になって役に立たない。
と。
ある意味においてはそれは正しいと思います。
読み書きそろばんは役に立つけど、高校で習う数学なんて社会に出て見かけることなんてあるか?
というような論理ですが、実際それそのものが役に立つことはないかもしれません。
しかし、実際世の中で必要な力は「考える力」です。言い換えれば、知識を運用する力ともいえます。
そして運用する為には、最低限の知識が必要で、そして、最低限の知識を徹底的に運用した経験が必要になります。
これが一般教養です。
これがないと、世の中で何が起こっているかをそもそも理解することが出来ません。
何を「いいもの」とし何を「悪いもの」としていいかの判断が出来ません。
というか、もう一つ前の段階です。
何を「いいもの」とし何を「悪いもの」として今の社会が形成されているかその前提がわからないのですから、今の社会において、何が問題なのか、どう問題なのか判断できません。
社会に出て、仕事をするというのは、
社会にある問題、人が抱えている問題を解決することですから
その前提となる知識が必要なのは当然です。
選挙に行って一票を投じるのは、代理で法律や予算を作る人たちが、
どういった基準で、どういう方向に問題を捉え解決していくかがわかっていないと、誰を選んでいいかわかりません。
そして実際に、ほとんどの人はわかっていません。
その人がいい人そうか、そんな漠然としたイメージで決めます。
世の中の批判をしたいのではなく、
自分自身も、少なからずそういう状態にありましたし、
今もそうです。むしろ勉強すればするほど、自分が世の中のことに無知であることに気づかされます。
10代の頃からそれはありました。
でも当然そのころは、自分が子供だから、世間知らずで当然だと思っていました。
大学生のときもそうでした。
社会に出てからも自分は「世間知らず」だと思っていました。
しかし、それは社会経験の少なさがそうさせているのだと感じていました。
30代になって、今の仕事に携わるようになってから、少しずつ問題の本質が浮き彫りになってきた感覚がありました。
僕は今まで、どちらかというとかなり考えてきた方だと思います。
「どうやったら、自由に生きられるか」
「どうやったら、社会にきちんと関わって、人の役に立てるのか」
で、考えれれば考えるほどわからなくなっていました。
いろんなことを言う人がいるし、
混乱するだけでした。
シンプルで
考えようにも知識がないと考えることが出来ない
判断しようにも、知識がないと判断することが出来ない。
ここだと気づきました。
僕はもうそろそろ40歳で、もう一度子供からやり直すわけにはいきません。
実際に子供と同じ時間を与えられたとしても、
子供と同じだけ吸収することは不可能です。
大人として、社会に出ながら、自分を支えている土台を作り変えていく必要性を強く感じ、実行しています。また、それを徹底的に実践することによって、同じような問題を抱えている人たちをサポートすることができると考えています。