そろそろこの前フリは要らないかな・・・と思いつつ・・・。
ブログ友達&へま部のぷらこさん発案企画「50音順テーマエッセイ」。次は「え」です。
迷いましたが・・・・
演劇
でいきます![]()
「役者と乞食は3日やったらやめられない」
という有名な言葉がありますが・・・・。
これって「まさに!!」だと思うのです。
芝居の稽古なんて辛い方が多いですが・・・・、でもやめられないのはそれだけ中毒性があるからだと思うんですよね。
ほんとに「麻薬」です。
私と演劇の出会いは結構古くて、小さい頃から「舞台のお芝居」はよく観に連れて行ってもらってたんですよね。
・・・が、引っ込み思案だったので、あの上で演じる側になりたいとは思いもしませんでした。
転機はやはり声優に憧れて演劇部に入ったところからでしょう。
「演じることの楽しさ」
に魅せられてしまいました。
ここの部分は芝居仲間でも色んな意見があるので、私個人の意見と思って聞いていただければいいんですが、私は演劇の面白いなと思う理由の一つが、
「自分でも意図しなかった感情が出てくる」
ことだと思ってます。
台本を読んで、自分の役はこういう感じで、こういう理由があるからこう思って・・・とキャラを創っていって、実際そう演じようと思うんですが、相手が凄くいい芝居を返してきたり、自分の思っていた解釈と違う芝居をしてくると、
「おおっ!そうきたか!!」
と思って、悲しいと思ってたところが、実はそうじゃなかったんだ・・・って思ったり・・・新たな発見があるのです。
自分は「ここは悲しい感情だからそう演じよう」と思っていても、相手が「憎しみ」をぶつけてきたら、「悲しい」の芝居が「憎しみ」とか「哀れみ」にかわることもあります。
・・・・が、一流の役者だったら百発百中でそれができるのかもしれませんが、残念ながら私は毎回それができるわけではなく・・・・。
相手の感情を正しく受けるためには自分は常に相手の芝居をきっちり「受ける」スタンスでいなければいけません。
・・・・これが存外に難しいんです・・・。
「受ける」と「受けているつもり」は違うんですよね・・・・。
私も「あ、今(相手の芝居を)受けてる」って思ったことは過去に何回もありません。
・・・・が、これを一度味わうと多分この世界から抜けられないです。
そのくらい魅力的な感覚です。そして、本当に芝居の頂ははるか向こうにあるんだな・・・・と思います。
私達は普段自分の感情や狂気を押し殺して生きてますよね。
それを思いっきり解放できるのは「芝居」であればこそです。
よく「感情を込める」って使われますし、私も使ったりしますが、あれは「込める」わけではなく「湧き出る」のです。
そして、芝居の世界はフィクションですが、感情はノンフィクションです。
そこにある感情が本物だからこそ、観ている人は胸をつかれるのだし、必ずしも「うまい」人の芝居が心に響くわけではないんだと思います。
芝居に関して私が時々考える命題の一つに
感情はどこまでリアルに感じられるのか
というのがあります。
人殺しの役をやるからといって実際に人を殺すわけにはいかないですし・・・・。
今はある程度「こうなんじゃないか」という答えが自分の中にありますが、芝居を始めた当初はそのことを悶々と考えたりしました。
変な話、そもそも「生い立ち」で差がつくんではないか・・・と。
うちは「普通」で恵まれた家庭です。
物凄く傲慢ですが、私は役者として食べて行きたかったので(過去形にしてますが諦めてるわけじゃないです)そこをネックに感じたこともありました・・・。
なんというか・・・家庭の事情を抱えている人は沢山居て、そこをちゃんと克服している人の方が人間的に厚みがある気がして・・・。
特にこういう世界では・・・。
「闇」や「虚ろ」を抱えて、でも、それを表現に還元できるパワーは魅力的です。
・・・・が、そこを凄いなと思うのもネックに感じるのも傲慢だし、お門違いです。
ならせめて私は否定しないでいよう。
こんな底の浅い私でいつかは追いつくこともできるかもしれない。
・・・・でも時々怖くなります。
自分はずっと「偽善」なんじゃないか。ただ単に何も考えてないだけなんじゃないか。自分にはそもそも「ちゃんとした自分の感情」が無いんじゃないか・・・って。
そして多分、ずっとこの問題はついてまわるんだろうな。
その時々で出す答えも違うんでしょう。
そんなことも含めてこの「演劇」の魅力や「演じること」の魅力には一生囚われ続けるんじゃないかな・・・・。
そう、思います。
このテーマ、長くなりましたね・・・。
お付き合い、ありがとうございますm(_ _ )m