童話を書きたい人のための本
著者 上條さなえ
発行所 株式会社角川学芸出版
平成20(2008)年8月31日初版発行
猪名川町立図書館にてお借りして
入院中に読ませて頂きました(笑)。
わたしが童話を書く三つの理由
西沢杏子
(前略)
このように振り返って見れば、童話を書こう、書きたいというわたしの思いが湧いてくるのは、次の三つばかりの理由のように思える。書かずにいられない素材が、大方この三つばかりの理由から、生まれていると言ってもいい。三つ、と潔く言えずに、どうしても三つばかり、といってしまうのには、相互が微妙に噛み合ったり、重なり合ったり、その周辺のムードまで引き連れてくるからだ。
書いている間は、童話を書く理由などすっかり忘れている。「どうして、童話を書くんですか?」とか、「どうして、こんな童話が生まれたんですか?」と、たずねられた途端、書きたいことや既に書いてしまったことの素材が、これら三つばかりの理由の周辺から生じていることに気がつくというわけだ。
その三つばかりの理由を、くどくどと書き出してみたい。
一 死なせてしまった虫や小動物へのレクイエムと、内なる再生。その出来事を受け止めることで見られる、子どもの成長。
二 自分の幼少時に心で思うだけで、言葉に成し得なかった言葉を掬い上げたい。
三 子どもは大人との良好な関係のなかで、他の人に対する優しさを覚えていくのではないか。
このように、理由をあげてみながらも、的確ではない気も同時にする。そもそも「理由」という言葉は単純ではない。
好きになった理由。きらいになった理由。結婚した理由、学校を選んだ理由、家を選んだ理由、友だちになった理由⋯⋯。どれをとっても、たった一つ、ということはないことが多い。
三つぼかり、というのさえ、足りない気もする。顔の形、表情、仕草、声のトーンなど、自分ではどうしようもないことからも、好きにも嫌いにもなる理由が生まれる。
童話を書く理由に、わたしが「三つばかり」を選んだのも、自分に無理強いしている面がある。話を書く本当の理由など、わたしのなかのどこを探してもないのではないか? あるのは「自分が生きた証として、形の残るものを残したい」という、人間だけが持つ先史時代からの欲望ではないのか?
世界最古ともいわれるフランスのラスコーの壁画には、狩猟の様子が洞窟の側面と天井面一帯に、数百の馬・山羊・カモシカ・人間・幾何学模様の採画が描かれている。興味を引くのは、壁画がそれだけではないことだ。顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が、五〇〇点もあるというのだ。壁画を描いた人物たちは、この手形で何を伝えたかったのだろう。この壁画はこの手形を押した「わたし」が描きました、といいたかったのではないだろうか。
まるで、「そうですとも!」というように、スペインのアルタミラ洞窟の壁画にも、人の手形が押されているそうだ。この手形が、壁画を描いた作者たちのもっとも古い署名の形式なら、人間は基本的に大した進化はしていない。絵描きさんは絵が仕上がった時点で、作家は物語が始まる時点で、今もって署名を入れる。
わたしたち生物は、いつかは死すべきものとしてのDNAを組み込まれて誕生する。死ぬことは、生きている誰もが体験できない唯一のことだ。それだけに、ヒトは死への不安を日々の生活の中に埋没させようとする。歌を歌い、酒を飲み、絵を描き、おしゃべりをする––––そんな延長線上に、童話を書く行為も、ちょこんと座っているように思える。
そのような意味では、エジプトのファラオも、秦の始皇帝も同じだ。黄金の仮面に包まれたミイラからも、大規模な地下の兵馬俑からも、死んでも生きたいという強い思いが伝わってきて仕方がなかった。もし、自分の意識がこの世界から消えても、どこかに、どのような形でか、「残る物がある」ということは、それほど心丈夫なことなのだろう。
その証拠のように、自作の童話や絵本を、子どもが読んでくれているのに出会うと、わくわくするほどうれしい。眼玉を空中に浮遊させ、そのシーンを鳥瞰する自分がいる。わたしが童話を書く理由のすべては、実はあの子が追いかけている文字と、その行間に隠されているのではないだろうか。
夢の物語
牧野節子
(前略)
私はなぜ、物語を書き続けているのだろう。
こんどばかりは、投げ出すこともせずに。
いままで私は多くの人から、多くのものから、喜びを授かってきた。あたたかな家族。信頼できる友人。頼れる先輩。優しくきびしい恩師。心ふるわす楽曲。心弾む漫画。心癒す映画。
そして、心に沁みる物語の数々⋯⋯。
私が感じたそんな喜ぴを、私も、誰かにとどけることができたらいい。私の作品を読んでくれた子が、笑顔になってくれたら嬉しい。そんな願いのもとに、私は物語を書いているのだと思う。
ただ私は、この世に生きている人は皆、ある意味で、作家ではないかと思うのだ。
そう。いまこれを読んでくださっているあなたもだ。
もう十数年前のことになるが、「小さな童話大賞」から出た作家ということで、上
條さなえさん、江國香織さん、私と、三人で座談会形式の講演をさせていただいたことがある。
そのとき、どういう話の流れからかは忘れたが、私がふと口走った言葉があり、それは、翌年の「小さな童話大賞」作品募集のポスターのキャッチコピーとしても使われた。こんなフレーズだ。「生きていることが、すでに何かを書いていることだ」
私のその思いは、いまも変わっていない。
たとえペンをもたなくても、キーボードをたたかなくても、日々を重ねていくということ。笑い、怒り、悲しみに涙し、喜びにうちふるえる、そんな、いくつもの場面。生きていることは、それ自体がもう、書いていることと同じではないのかと、そう思うのだ。ひとりひとりの人生はどれもが、この世でたったひとつしかない、きらめく物語なのだから。
祖母も父も伯母も叔父も右朝さんも、この世での物語を終え、いまは天国にいる。
私はまだ長生きするつもりなので、皆に逢えるのはずっと先のこだろう。
でも、いつかそのときがきたら、笑顔で皆に迎えてもらえるような⋯⋯そんな私自身の物語を、いまは日々、きめ細かに紡ぎ出していけたらと思う。
そしてそのときがきたら私は、私の書いた本を何冊かもっていこう。天国の祖母が心から、「うまいねえ」と誉めてくれるような作品を書くこと⋯⋯それがいまの、私の夢だ。
美しい文章について
(前略)
そんな文章の書き方について、私が尊敬する、高橋玄洋先生が、『いい生き方、いい文章––––美しい文章作法』(同文書院)という本で丁寧に教えて下さっています。
(中略)
この本で高橋先生は、いい生き方がいい文章を生み、いい文章がいい生き方を生んでいくということを述べられています。
(中略)
この後のページで、高橋先生は太宰治の『斜陽』の中の恋文を紹介しています。そして、
恋文がなぜ美しいかと言いますと、第一に思いが必死であること、第二に伝えたい願いが切実で深いこと、第三にウソがないからです。
これを逆に言えば、美しい文章を書くには恋文を書くつもりで、この三つの条件(必死に、深い思いを、正直に)を満たせばいいことになります。
と、お書きになっています。
(中略)
必死に書き続けてきただけの私は、文章の達人である高橋先生のひとこと、ひとことに目を覚まされました。
いい生き方なんて色々あるわけではありません。今まで言ってきたことはみんなひとつのことに過ぎないのです。
何ごとにも誠実に、逃げないで積極的に生きる。この一語につきると言って過言ではないのです。
ただひとつだけつけ加えておきますと、誠実に生きるのも逃げないのも、他人に対してではありません。あなた自身に対してです。あなた自身の存在に対してです。
高橋先生はこの文章の後に、
それはまた取りも直さず美しい文章に繋がる道でもあるのです。
と、書かれています。
物語を書くことには、
癒し効果
もあるようですね。
物語が書けるといいだろうなぁ〜
ととても思います。
最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。
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