孤独だから「幸せ」時々「不安」 | nf93bp-bma-sachikoのブログ

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自分も含めた高齢者にとって「夢と理想の介護」と「現実の老いと介護」について熱く”くどく(苦笑)”語ります。そして自分の老いらくLIFEを楽しく語ります☆

前回のブログから随分と月日が経ちました。

今日は還暦間近で独り者の近況と心境を記しておこうと思います。

表題の通り、現在も「独り者」でございます(笑)。

おそらく私は「一人でいる事」をこよなく慈しみ楽しみ幸せを感じられるタイプなのでしょう。

今の所切実な「寂しい」と言う感情を味わってはいません。

でもこの先老いは進み、心身の変化と共に「寂しい」と言う感情を味わう事もあるでしょう。

今は満ち足りた気持ち=「幸せ」「感謝」「ありがたい」思いがほとんどです。

本当に私は幸運の元に生まれてこれた事をあらゆる事に感謝しています。

日本に生まれた事、平和な時代に生まれた事、遺伝的に恵まれて生まれた事…

60年近い人生の中で悲しい事苦しかったこと挫折したこと…もちろんありました。

不運とは思った事はなく、嫌な出来事や不幸な時期も必死で精一杯もがいて

「不運だ」「誰かを恨む」余裕もなかったのだと思います。

必ず誰かが私を救ってくれる人が傍にいました。

お金に困る事もありました。

変な病気にり患し闘病生活を送った時期もありました。

仕事も思うようなところに勤められず、屈辱を感じる事もありました。

誰かを恨んだことはないと述べましたが、唯一「親」を恨んだ未熟な時期もありました。

今は誰よりも亡き父母(両親)を尊敬し感謝するばかりです。

そんな私は33歳で最後の異性とのお付き合いを終えて以降、「一人者」です。

55歳まで父と同居し、お世話になり、父を見送って暮らしも「一人」になりました。

元来「一人」が好きだったわけではないと思います。

幼少期は祖父母や父の会社の従業員や兄弟に囲まれて賑やかな家族構成の中で

育ちました。

20歳で結婚し、24歳で離婚。

その後も直ぐにパートナーに恵まれて33歳までは4年ごとに素晴らしい男性に出会い、

それなりに若い時代を謳歌できたと思います。

私が欲しいと思うものは、全て手に入れられたと思います。

凄いお金持ちじゃないし、素晴らしい社位階的地位を得たわけではありません。

一少国民として、何不自由のない毎日を送れているという事です。

5体満足の身体、太らず(痩せている)高身長でスタイル良いと言われる体。

健康体ではないながらも、仕事には差し支える事のない健康状態。

間もなく還暦を迎えると言うのに、仕事には困らない職業に45歳で転職。

おそらく身体的に問題が出ない限り仕事にあぶれる事はないでしょう。

小さなマンションに一人暮らしですが、駅に近く便利。

その暮らしを維持できる程度の収入。

一人社長(自営業)だけど独立して自分のこれまでの経験とスキルを十分に発揮できる

仕事を得て、高単価で収益を得られている。

体力がない分、長時間(8時間~)働かなくても、8時間労働分の収益を3時間程度で得られている。

素晴らしいお客様と、そのお客様をご紹介下さる人がいる。

小さなマンションのベランダからは空が見えて、

小さな観葉植物を育てて自然や地球や宇宙を感じられる。

自分一人なので仕事以外の時間は全て自分の好きな事に充当できる。

好きなピアノも電子ピアノだけど購入し、好きな時に弾いて楽しんでいる。

大好きなお風呂も小さいけど、痩せているので十分浸かれるから、

お気に入りのバスアロマやバスタイムを充実させるシャンプーなどのアイテムも

ふんだんに揃えてのんびりⅠ~2時間入浴できる。

衣類やリネン類や装飾品など身に着けるアイテムもすんごくリッチでセレブな品ではないけど、

自分が「欲しいな」と思った物はほぼ手に入れられた。

勿論物欲にはきりがないから、まだまだ「欲しい」と思うものはある。

それを得る事を楽しみに頑張れる。

社交的ではないので、仕事以外の時間は自宅で過ごす事が多い。

それでも少ない出会った人々に恵まれている。

時々「幸せだな~」と自己内で幸福感を堪能しつつ‥‥

「本当に、こんなに幸せでいいのか?」「おかしい!幸せが過ぎる…」

人生山あり谷あり。

勿論振り返ると誰よりも山と谷を味わった方だろうと思う。

でも、世の中は広い。

そして「人間」って深い。

年齢と共にその事を知ってゆくと、「私は幸せだ」との答えに行きつく。

もっと裕福で高い地位と名声を得て立派なお屋敷で暮らしている方もいるだろう。

もっと貧しくて大変な生活を強いられている人もおられるだろう。

私はどちらでもなかった事に「幸せ」を感じられずにいられない。

前者(所謂お金持ち、富裕層、名家の方々)の方々の全てが「幸せか?」。

色々お家事情がそれぞれにあるだろう。

後者(貧困、社会的弱者、障害がある方等)の方々は「幸せじゃない」とは言えないだろうが、

どこかに大変な側面をお持ちであろう。

両方の皆様の全てを知っている訳ではない。

今は沢山の情報がネットで知る事ができる時代にこの年齢でいられたことも幸いだ。

自分の知らなかった世界、決して実際に体験経験する事はなかった知られざる世界が、

すぐ隣にあると言う事実。

その事をネット時代だからこそ知りえた事は自分の「幸せ」を確信する事ができた。

それも又「幸せ」な事だと思っている。

不思議でならない…

こんなに「幸せ」でいられる事。

決して自分の努力だけで得られた事ではない。

「幸運」

引き寄せのテクニックとかの動画やSNSをよく目にする。

その一部を見聞すると、確かに私は誰かに教わった訳ではないけど、

それらが提唱する考え方や行動や言動を知らず知らずに実践していたと思う。

私に訪れた数々の「不幸(と人は言う事柄)」は

全てその時の自分の未熟さが招いた結果にすぎず。

不思議な事にその「不幸な出来事」から学ぶことがすごく多かった。

おそらくその「不幸(な出来事)」がなければ、私は”わかる”事ができなかった。

必要だった「不幸」。

私はそれらの出来事から多くの真実を学びえる事ができました。

自然の深い愛、宇宙の摂理、人体の不思議(構造)、命の根源、人と大自然の真理…

全ての物・事象には意味があり不必要なものは何もない。

ただ人間がこねくり回して生み出した物・事象はその限りではないけど…

スピリチュアルにも興味を持っていますが、私余りのめりこめないタイプで。

それでも人知を超えた何かがなければ私の「幸せ」は説明がつかないのです。

この状況を誰もが「幸せ」と感じられるとは思いません。

私だから「幸せ」と感じられるのかもしれません。

これから何年生きられるのかわかりません(寿命と考えて)。

私は今死んでも悔いはないと思う毎日をその時その時の年齢に応じて

過ごす事ができました。

と言うより、「明日死ぬかもしれない」と毎日覚悟して生きてきました。

時々昔を振り返る機会があると、「あの時ああすれば良かったな~」と

思う事もありますが、今があるのはその時その時断片的には

間違った選択をしていたのかもしれませんが、結果…良かったのです。

その事がわかる年齢になったという事でしょうか…

何も後悔はありません。

バカだった時代…それもあっての今の私。

精一杯生きてきたと思いますし、これからも与えられた命の限り

私なりの精一杯で毎日を生きようと思います。

チョット自慢げ?

自分を褒めたい?

う~ん、なんとも言い難いですが、とても満ち足りた今日。

ありがとう、ありがたいです。

平和な時代と国に生まれた事。

だからこそ、今の「幸せ」を味わえている事は間違いないです。

人は必ず争う。

歴史は教えてくれます。

偶然にも平和な時代に生まれた僥倖。

穏やかな秋の夜空に浮かぶお月様を見て、つくづく思う事。

時々ふと不安になるのは、この「幸せ」が私の寿命尽きるその日まで続くのか?

どうしてこんな私がこんなに「幸せ」でいられるのか?

孤独死が怖い訳ではありません…その手配も済ませています。

でも太古の人間が暗闇(見えないもの)に不安や恐怖を感じていた…

それと似ているのでしょうか。

いつ訪れるかわからない厄災や戦争や災害。

人力を超えた何かにおびえる様な…漠然とした小さな不安の種があります。

それは人である以上、誰もが持ち感じている事なのかもしれません。

「掴み処のない不安」を感じられる余裕ができたという事でしょうか。

ついこの間まで、「必死」だったと自分を振り返って思います。

「不安」だから「必死」だったし、「必死」だと「不安」を見つめる余裕もない。

そんな状況がついこの間まで続いていたのだと思います。

色々な事が、私を「必死」から解放してくれたと感謝しています。

平和が続いて欲しい。

願わくば、無理とどこかで承知しつつも、世界中が宇宙規模で平和であって欲しい。

貧しくとも、苦しくとも、「平和」でなければ根底から覆される。

平和ボケしている側面も否めない社会実情もあるでしょう…

でもそれがどれほど「幸せ」な事であるか。

平和信者みたいな終わりになってしまいましたが、

そんな心境を綴ってみました…感謝。