大和心を語るねずさんのひとりごと からの転載です。
 
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作詞家は田漢
田漢は大正6(1917)年から大正9年までの4年間、日本の高等師範学校で学びました。
 
田漢は、日本の師範学校で、国威発揚精神教育、東亜の伝統を重んずる精神の育成、欧米の植民地支配の実情と歴史に関する教育、東洋民族解放のために必要な精神の熟成などを学んだのです。

その後、、昭和7(1932)年、支那共産党に入党
そして作られた詩が「起来! 不願做奴隸的人們!」
 
これに曲をつけたのが聶耳(じょうじ、ニエ アル)
この人は昭和8(1933)年、共産党に入党しますが、この頃から、蒋介石の国民党軍閥による共産党狩りが、エスカレートし、すでに共産党員になっていた田漢も逮捕され、近日中には、聶耳も逮捕されるという情報がもたらされまます。

そこで聶耳は、ひそかに日本に渡ります。
そして、日本で田漢の詩に楽曲をつけ、郵便書留で上海に送ります。
 
こうして中国の国家「義勇軍行進曲」は誕生したのです。
 
その後の田漢、聶耳の運命は、まことに中国ならではの数奇な運命をたどります。
 
詳しくは、

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