少し長いけど・・・見てみてね
記事元 http://www.cine21.com/Article/article_view.php?mm=005002001&article_id=63473
<超能力者>の超人、カン・ドンウォン
<刑事Duelist>で刺客‘悲しい目’(カン・ドンウォン)は“私の名前は、私の名前は…”という文章をついに結ばなかった。 それでも怒りが込み上げてはいない。 カン・ドンウォンという秘密. 彼は秘密と似合う俳優だ。 ガラス窓の雨水のように、繊細だがゆったりと流れる線でなされた彼の外観は、淡泊な音色の馬鹿正直な語り口と奇異な不協和音を出す。 誰かの深い計略で合成された存在のようだ。 妖怪人間という話も浮び上がる。 <超能力者>の、カン・ドンウォンにも名のない。 そのまま‘超人’だ。 周辺空間にある人々の意志を盗んで操り人形のように操縦する力が彼が持った能力だ。 招引のヨム動力は目つきと表現される。 “それでは今度は‘悪い目’?”にっこりと笑ってカン・ドンウォンが話す。 <超能力者>の超人はスーパーヒーローとみるより突然変異だ。 世の中のために能力を発揮する意志はさておき自分を押し出した世の中と関連を結ぼうとする意志がない。 それでも大層な悪行を企画することもない。 彼は人間を蔑視してそれなりの方式で生存する空っぽの未知数の存在、すなわちエックスマンだ。 そういえば映画<エックスマン>の脳波を操縦するザビエと人類を敵対視するメグニトを一ケ所ざっとまとめたと表現すれば類似するかも知れない。
“超人は断絶した状態で生きてきたし、すべての人を私の思い通り操縦できるから根本的に人間を見下す傾向があります。 その点を拡張しながらキャラクターを作りました。 <超能力者>のシナリオを見た方々がその能力でなぜ銀行をはたかないか、政権奪取や地球征服はなぜ試みないかと尋ねているのに、キム・ミンソク監督様と私は少しも疑問を持ったことがありません。 超能力者も各自性格が違うこと違いますか? お金や権力に無関心なのがこの人の性格です。 そして私でも銀行ははたきません。 今時の先端システムに行状がばれてことを育てるよりは少しずつ盗んで塵集めて泰山で生きる方がより良いです。 (笑い)
大都市に隠れて生きる猛獣のような‘超人’、彼の正体を単独で調べてみて追跡する疎外階級の人物が登場する<超能力者>のシナリオはポン・ジュノ監督の<怪物>と襟がかすめる部分がある。 もし漢江に隠遁した怪物に人格を付与するならば超人と同じ形状ではないか。
“招引は、一種の怪物がそのとおりですよ。 怪物は漢江に隠れて生きながら時々出現して奇怪なことを行って帰るでしょう? そのような怪物に'君はなぜそこでそして生きると、外に出てきて生きろ'といえば滑稽なことでしょう。 そこが気楽でそんなに生きるのに。 (笑い)超人は基本的にかんしゃくを抱いたキャラクターで、狂気とトルギがあります。 たたきつぶす場面でも感情の振幅を強く与えました。”
俳優7年目、開始地点だ
186cmの身長とスポーツカースポイラーのように素早い手足、筋肉を念頭に置いた運動は別にしない習慣を持ったカン・ドンウォンは着地の瞬間、動作の結びがとりわけ美しい俳優だ。 大部分の前作でも身体的に円熟した人物でに扮した <刑事Duelist>と<前愚癡>の比べるところなしで軽くて流麗なワイヤーアクションはもちろん、黙々な人物に出てきた<義兄弟>でも簡素だがぴったり当てはまるアクションを見せてくれた。 反面<超能力者>で超人は物理的破壊力を自分の身で表現できない。 凄絶に走って転がるのは相手役のキュナム(コス)側だ。 代わりに超人カン・ドンウォンが渉猟しなければならなかったことは目の演技のアルファでオメガまでだった。 <怪物> <良い奴、悪い奴、おかしな奴>の演出部であったキム・ミンソク監督のデビュー作<超能力者>の考査を探したポン・ジュノ監督はカン・ドンウォンをこのように親しく励ましたという。 “君、目玉おちない?”

“その時だけでも既存目つき演技と違ったことを見せようという決心で‘力を入れてはならないだろう’考えました。 だが、実際に撮影に入ると該当ショットが要求する表現の世紀があると方法がなかったんですよ。 すっかりなくなった集中力引き上げる瞬間に力を抜くことはできません。 結局‘目玉パジゴンネ’そうしました。 (笑い)後半作業により増すCGも勘案して演技しなければなりませんでした。 能力を発揮しない時超人の目です?…何、こうしたこと? (細くてななめに目を上目で見る。 涼しい軽蔑が幼い) 事実地球征服しない理由は目が疲れてであるかも…. (笑い)超人の能力が無限ではなくて町内だけ征服だけでも疲れきるのに地球をどのように…ハハ。”
実は目演技は怠ける批評が男俳優の演技力を引き降ろす時常套的に持ち出すカードだ。 この点だけ見ても<超能力者>の超人は俳優に若干の冒険が伴う役割だ。 映画が進行されるほど孤軍奮闘して観客の憐憫を買う相手役キュナムと比較しようとするなら、超人は映画導入でカリスマで周囲をぎゅっとつかんだ後ますます疲弊しながら持ちこたえなければならない悪役だ。 その上超能力に免疫があるキュナムを除けば一場面中人物らがともすれば置物になるせいで相手と相互作用して相乗効果を作る余地も少ない。 統制された演技の条件を抱きしめてその中で適当な表現を発明する方法、時には何もしないことによって映画の流れに身をのせる方法。 <義兄弟>の経験が持ってきた学習ではなかったならばカン・ドンウォンは<超能力者>を今のように自信があって快く迎えることができなかったかも分らない。 計画を楽しんで構造作りにたけていた理工系的人間カン・ドンウォンが13本の映画とドラマを作った経歴7年目現在を“俳優として開始地点”と呼ぶ理由だ。
“<義兄弟>の松脂院は感情を少しだけ発散してもキャラクターが崩れるようきわどかったです。 反復状況も多くてものすごく苦しかったんですよ。 ところで類似の制約をソン・ガンホ先輩はあまりにも自然に解いていかれましたよ。 ‘これがそうか!’とふわりと跳び越えたり監督が異議を提起すれば‘そう?’と即座に他の解釈を見せる姿が印象的でした。 もちろん先輩と違った私のそれなりの方法を探さなければならなかったが、最適の答案を出した後それを掘り下げるその時までの自分の方式をあえて固執する必要がないと悟りました。 相変らず混乱の中で<義兄弟>をとったが、完成された映画を見て本当に自信を持ちました。(<義兄弟>で彼はこの前英平常主演男優賞を乗った。) 何もしなくても映画の流れ中にあると大丈夫だね、何かをできると良くて何もしなければそれはそれなり良いこともあるんだね。 そうしたら役でしてみたい事がしきりに生じました。 映画は計算をするとしても前場面がまるごと飛んで行く事もできどんな演技が選択されるかもしれないので正解がないでしょう? それで<超能力者>とる前<カメリア>の<ラブ フォーセール>でもう少し意識的に実験してみました。 楽になるとジェスチャーもとても自由で、演技しやすかったんですよ。”
‘私たちの世代’に対する責任感
“チャン・フン監督様も私が軍服務終える時までおもしろいシナリオを書いておいて待つといいます。 (笑い)映画界を職場と感じ始めたのはすでに古くなりました。 良い新人監督があるならば作品ができなければならないと信じるけれども安全に行けばまず私からつまらないから当然の方向でしょう. 何か意味のある道を歩くというのがなく、映画が多様化してこそ力を育てて皆長く生き残れる事ができるから。”

記事は少し前のものですが、私は見逃していたので・・・
超能力者のインタビューで他のところで答えていたのと内容は
ダブル事も多いですがドン君がどんな思いで撮影に臨んだかが
良く理解できました。
義兄弟の撮影でなにかをつかみ、ラブフォセールで実践してみて
やっと自信が持てた・・・と言われていますね
「俳優7年目、開始地点だ」
今からがスタートラインともいっていたドン君、
公益勤務が始まりましたが、あらたな悩みも出てきたので
大変でしょうが、気長に対応していたら落ち着く事になるので
もう少しです・・・俳優とは違う世界を知ることも今後の人生に
きっと役に立つはずですから色々な事を吸収してまた一つ
大きく飛躍される事と信じています