はじめまして、まず私は普通の人として20代まで生きてそれから障害者として生きている。

慢性化してるうつ病、発達障害、学習障害。医者が診断として出したたけでこの3つである

まずこれまでの生い立ちや経歴を書こうと思う。




私は平成4年に生を受けた、それも両親の結婚からちょうど1年目の結婚記念日その日ドンピシャにである。
両親からすればハッピーなベイビーだったことだろうと思う。
父親と母親はそれぞれ教師と保育士を職業としておりバブル崩壊の年に生まれても困った話を聞かない辺りそこら辺は手堅かったのだろう。

生まれて暫くは東京の母の実家で育ちその後父の都合で新潟県上越市に少しの間住んでいた、写真と話でしか分からないが新婚一年で生まれて大変だったが大変愛されていたのだと思う。


そして半年と少しして東京に戻ってきた頃から断片的に記憶がある保育園の庭や当時のアパートの間取りなど。
しばらくして三歳のころ弟が生まれる。
アパートが手狭になったので中古の一軒家に移り住む、今からするとすごい話だが私は長い間これが日本の普通の家庭だと思っていた。


ただこの頃よく歩いていて物にぶつかったり物を見つめるとき距離が近かったり後の自分のハンディの一つとなる弱視の傾向があったみたいだった。


引っ越ししてからの私は家では弟が大好きで保育園では男の子女の子関係なく仲良くなりそのうち1人はつい数年前まで付き合いがあったくらいである。


幼児期を過ぎていよいよ地元の公立の小学校に入学したのだが、入学すぐの測定でかなりの近視と乱視であることが分かり以後眼鏡をかけるようになる。


友達の数はそれなり外でドッジボールもするし図書室で本を読む子供だった。
しかし学業は朝は近所の犬と遊んだり鉢植えの虫を観察して遅刻してケロッとしてたり帰り道学童保育には行く前に友達と公園で遊び倒して学童の先生を心配させる。
宿題は持ち帰るのを忘れ持ち帰ってもやるのを忘れ果てに提出するのを忘れる。
喧嘩っ早く廊下で立たされたのも数え切れない問題児だった。


こう思い返しても変わった子を通り過ごしておかしいと思う点もあるが当時は子供の障害について知識のある教師の方が少なくここではスルーされていた。
ただ母は職業柄若干知識があり当時の本を結構買って呼んでいたようだ。


このように「時間や期限が守れない」「突発的な攻撃性」「一つのことに取りかかると他を忘れる」など今なら判断材料になったかも知らないことは知能、知識面で異常が見られなかったこともあり問題視されず、私も「自分は普通の子」と疑うことなく小学校は卒業した。


もしここで見つかっていたらと思わない事はないけど当時何ができたか分からないので仮定ができない、当時の児童の発達障害に詳しい人が居たら教えてほしいくらいである。

とりあえず今夜はここまでで、続きは明日書こうと思う。

おやすみなさい。