2022年5月10日のことでした。
この時、自分は@ykeitaro(知る人ぞ知るSASUKEのチャレンジャーでもありクライマーでもあります、今年の年末のSASUKEにもNo.80で出るそうなので応援してあげてください)と連続トレーニング記録を張り合っていてこの日もトレーニングしました。
最後の種目である4mmプレート(kazahanapacks)で10秒フロントレバーx10が終わった後のことです。右手の指先に痺れを感じましたがカザハナの4mmプレートはそこそこ痛いのでそのせいだと気にも止めませんでした。
その後、汗だくなのですぐに風呂に入りましたがなんか痺れが取れない。そして風呂から出て洗おうとしたら右半身が全く動きませんでした。
すぐに妻が救急車を呼んでくれて我が家から5分程度のところにある総合病院のERに放り込まれました。
当時はまだ新コロが2類だったのでPCR検査、CT、問診が同時並行で進んですぐに降圧剤、その他投与そのまま病棟に入院になりました。
自分自身これは死ぬんだなと思ってました。
これまで山などで何度も死に掛けていたので別に何とも思わなかったです。
遂に自分の番か、程度でした。
2週間SCU(ICUの脳外科版)で何もせず点滴だけで過ごしました。
その後、色々状況を聞かされリハビリ病棟に移りました(なんでも麻痺は可能な限り早くリハビリを始めるのが効果が高いそうです。)
当然車椅子でしかも自分では動けないので何をするにも看護師さんのお世話になってました。
全てを左だけでこなし、ようやくスマホが手元に来たので最初にインスタのストーリーに上げたのが以下です。
如何に絶望的な状況か判ると思います。
あと5分遅かったらサヨナラだったそうです。
はっきり言って他人事の様な感覚でしたが現実に自分は右半身が動かず歩けない、そして左手でしかご飯を食べることも出来ない。
これが現実です。
過去とは決別しよう、するしかないと決断しました。
2ヶ月経過した辺りで病院内で新コロのアウトブレイクが起こりなんとか歩けるくらいまで回復していた自分は強引に退院しました。
その後はリハビリを続けて少しクライミングもしてみましたが全く登れなくなっていました。
まず足腰のリハビリと強化をすべきだと考えた自分は歩くこと、自転車に乗れることを第一ステップとしてリハビリしました。
そして年末くらいには低山なら歩ける様になり自転車も乗れる様になりました。
これは年末にMTBで自宅から表丹沢にアプローチして日向山に登った時の記録です。
そこそこのペースでアプローチ出来てx0.7くらいのコースタイムでは登ることが出来ました。
しかし、年明けて2023年2月8日にロープソロのシステム調整を岩場でやっていた時に墜落調整時に左足首がレッジに掛かって止めてしまい骨折しました。(簡単なルートを使った故の失敗)
林道からFixロープを使って5分ほど登った位置ですがトラバースが入るため降りをどうするか考えますがとりあえずパックしてロープもしまいFixロープで降りようと試みます。
今思えばこれは明らかな判断ミスです。右半身が完全ではなくしかも左足首を骨折しているのだからロープによる確保は必須だった。
左へのトラバースのため右手でロープを保持しなくてはならない。しかし右手、右足だけでザックを含めた総体重は支えられませんでした。
結果50°程の傾斜を林道側まで転落して傷だらけでどうやってバス停まで移動するか考えていたらトラックが通りかかりボロボロの自分を見てすぐ救急車呼ぶから待ってろといいトラックで携帯電波が入るところまで降って救急要請してくれた様でした。
そしてそのまままた入院(ここは場所柄、東海大学病院へと運ばれます)
シーネで固定されて松葉杖のリハビリが始まりますが歩けない。(右に力がないと左足を浮かせて松葉杖歩行は無理)
なので、4足歩行器を使って歩いていましたが2週間ほどで自分の近所の以前お世話になった総合病院のベッドに空きが出たので介護タクシーで転院。(歩けないので電車で動く選択肢はない)
結局総計でまた2ヶ月近く入院。
病院ではベッドにいる時間が暇なので右手のトレーニングしてました。
そして退院した後はゼロからやり直し。
介護保険は要支援1がついたけどなんの役にも立ちませんでした。介護保険は最低限の生活が出来るところまでの保険支援。自分は自由に動ける様になるのが目標。根本が違うので自由診療でのリハビリを選択(これしかないのは選択したとは言わないか)
そしてそれは今も続いています。