1999年12月12日(日) ①
上海一日目朝、目がさめてデッキへ出てみると海はあたり一面茶色だった。
揚子江に入ると海の色が変わると重留さんから聞いていたので無理して早起きしてみたら絶景が広がっていた。
海はちょうど朝日を浴び、空と海を分ける線が輝いていてとても幻想的だった。
しかし、上海がもうすぐそこだと思うとなんだか急に寂しくなる。
僕はこの船旅が好きだった。
船の中にはいろいろな人がいて、船の中で会えば気軽に話をかけたりかけられたりする。ほとんどが、これから長い旅をしようとする人達だから、すぐに仲間意識みたいなものが生まれ親しくなれる。それに、船員はみんな親切でいろいろな相談に乗ってくれるし、女性添乗員もみんなかわいいのだ。
いろいろな出会いがある、それが船の旅の楽しさだった。
ぼくは、もう少しこの船旅を楽しみたいと思っていたので上海が近づくにつれ少し寂しくなっていた。
船は揚子江から、支流の黄浦江に入っていった。
川の間をこの大きなフェリーが進んでいく。
こんな光景は日本ではあまり見れないと思うが、デッキから見ているとこの大きな川を小さな船から大きな船まで行ったり来たりしている。僕はよくぶつからないなと思う反面、中国らしさを感じた。
しばらくすると、上海の景色が見えてきた。
なにもない田舎の景色から、突然高いビルや、東方明珠塔(テレビ塔)などの上海名物が近づいて、あっという間に都会の景色になっていった。
横にいた、中国人の集(ショー)くんは、3年ぶりの中国に懐かしみつつ、あまりの、上海の変貌ぶりに少し驚いていた。
上海はかなり速いペースで発展しているらしい。
船は上海に到着し、黄浦江岸に停泊した。
停泊しても、ビザの発給や手続きで時間がかかるので、その間はロビーにみんなあつまり別れを惜しむ。中国人は手続きがないので、先に船を降りだした。そんなときちょうど、集君と目が合ったので僕は集君の元へ行き別れを告げ、タラップを降りていくのを見送った。
20分後ビザを受け取り、僕らも船を下りて税関へ向かう。
途中で金さんが、別れを告げに来てくれた。
「I hope to see you again.」
いい言葉だなと思った。
あっけなく、税関を抜けると、両替商があったので、僕は5000円のトラベラーズチェックを両替した。5000円のTCは、402元になって戻ってくる。
両替商の前では浦江飯店(プージャンはんてん)の客引きがいた。
浦江飯店は日本人旅行者ご用達のドミトリーだった。
1泊55元(600円)僕が日本を発つ前まで考えていた値段よりはかなり安いが、僕は1日目ぐらいは安いシングルの宿に泊まりたいと思っていた。しかし、上海について何も解らないので浦江飯店がどんな所かを見てからにしようと思っていた。
とりあえず、船で知り合った人たち数人とその客引きについて行く事にした。
客引きについて行く途中、団体で歩くということに抵抗があったので、いったんブレイクしようかなと迷っているとき、船のバーで一緒に飲んだ青年が一人で歩いているのを見つけた。
両替をしているあたりから姿を見なかったので何処へ行ったのかなと思っていたところだった。
僕はいったん列を離れ彼のもとへ向かった。
彼もやはり僕と同じ考えだったらしく自分で部屋を見つけようと思っていたらしい。
僕達は、朝から何も食べてなかったのでとりあえず、一番はじめに目に付いたうまそうな外観の安食堂に入った。
初めての中国での食堂で緊張したが店の人も外人がきて緊張しているらしく、お客さんまでもが僕らのところに来て筆談で行われるやりとりに参加している。
僕は、船の中で食べた麻婆豆腐を思い出して麻婆豆腐とチンタオビールを注文した。
大きな皿にいっぱいの麻婆豆腐とご飯とビール。
これで10元(約120円)の安さである。
しかも、本場の味なのかちょうどいい辛さでうまかった。
僕達は店の人やお客さんに浦江飯店より安くていいところはないか聞いてみたが、みんな浦江飯店に行けという。
他に中国人が泊まる安いところがあるが、そういうところは危険らしい。
僕らははじめての本場の中華と優しさに空腹も満たされ幸せな気持ちで店を出た。
とりあえず、浦江飯店があるはずの方向へ歩いた。
途中宿らしきところへ入って値段などを聞いたが、みんな、口をそろえて浦江飯店を勧める。
そこまで言うなら、僕は浦江飯店へ行ってみようと思った。
浦江飯店の前にたどり着くとバーで会った彼はもう少し探してみると言って他へ行ってしまった。また、どこかで会うと思ったが、別れはやっぱり寂しいものだ。
浦江飯店。
上海の中心街や外灘(ワイタン、英語読み:バンド)が近く地理的にはとてもいい場所にある。昔は結構立派なホテルだったらしく作りも結構しっかりしているしクラシックな感じがして、そんなに安そうに見えなかった。フェリーで上海に上陸した人によく利用される、バックパッカー御用達のホテルとして有名らしい。
フロントで1泊分の55元を払い僕の部屋があるであろう6階へ向かった。
エレベーターは服務員のおばちゃんがエレベーターを操作している。
5階までエレベーター、6階までは階段で上がる。
部屋にはベッドが8つとテレビが一台あった。
部屋に入ると誰もいなく8人部屋には僕一人だった。
シャワーを浴びようと思ったが見つからなく、初めてのドミトリーで不安を抱きつつ僕は重い荷物から開放されベッドに横になる。
一人になるとなんだか急に寂しくなった。
1時間くらいベットに横になっていたが、これじゃあいけないと思い早速街へ繰り出した。
右も左もわからない僕は、とりあえず街があるであろう方向へ歩き始めた。
黄浦江沿いにある外灘(ワイタン)にそってしばらく歩いた。
外灘(ワイタン)には堤防にそって遊歩道があるだけだから、ぶらぶら歩いて観光するようなところで対岸の東方明珠塔(テレビ等)や近代的な高層ビル群の綺麗な景色を楽しむところだ。
ここは、香港の九龍側から見た香港島の景色に似ているかも知れない。
昼と夜ではまったく別の顔を持つここは観光客や地元の人も多く始めて外国にきたという気持ちになり、沈んだ心も浮き足立ってきた。
上海一の目抜き通りである、南京路を当てもなくぶらついて、左に曲がると偶然、露天がずらりと並ぶ通りに出た。
細い道には日本では一昔前の電化製品や偽物の時計、ナイフ、衣類などあらゆる商品を扱う露天が並び中国人と中国語と物で溢れていた。
その氾濫を見ているだけで僕は興奮してきた。
さすが、中国。
一通り露天を見終わると、南京路を西へ進んだ。
ここから、僕の強烈な上海一日目がはじまった。