那須さんの講演会 | tomokoのブログ

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NHK手話ニュースキャスターの那須さんの講演へ行ってきた音譜
那須さんの講演行くのは2回目だ爆笑
今回の講演もとっても楽しい講演になったビックリマークビックリマーク

以降、講演内容を自分で読み取った事を(記憶)記載してます。もしかしたら誤った記述があるかもしれません。ではまず初めに、那須さんが実際に歴史をたどり行った場所の話から始まりましたニコ

キョロキョロ高聾山(たかつんぼやま)
鳥取県 鳥取市にある山。
地元の人には"三角山"という名で知られている。標高288mで約1時間ほどで登れる山。
前は頂上に(高聾山という印の)立札がなかったが、那須さんが手作りで作った立札を建てた。でも台風によって破損してしまい、役所の人にちゃんとした立札を建てて欲しいと要望。それが通り今では頂上に改めて立札が建てられている(下に参考写真ありダウン)

キョロキョロ盲聾の道祖神
新潟県南魚沼市(旧 一日市)古道
盲聾の神様が祀られた道祖神。いつ誰が作ったのかは不明…。
参拝の仕方が珍しい。盲聾の神様のため音では気がつけない。なので小さい石を祠へ優しく投げ込むというのが参拝の仕方だと説明していた。
後から自分で調べると盲聾の道祖神は双体道祖神という事で、南魚沼市内にもう一体あるとのこと。いつか私も祠を探して実際に道祖神を見てみたいと思ったお願いドキドキ

以降、聾人物伝ニコ
キョロキョロ建皇子(たけるのみこ)
651年 天智天皇(父)と遠智娘(母)の間に生まれた建皇子(息子)は言葉を話せなかったと日本書紀に印されている「唖にして語ふこと能はず」
原因として、遠智娘が父・倉山田石川麻呂(皇子にとっては祖父)を中大兄皇子(天智天皇)に処刑され、悲しみのあまり狂乱した状態で出産したため、遠智娘の精神異常が皇子(建皇子の身体)に影響したのではないか、という説がある。
享年8才で亡くなった。お墓はあるが、遺体はその中にない。その遺体は、斉明天皇(祖母)が建皇子をとても可愛がったと日本書紀に印されており、斉明天皇が亡くなる前に遺言にて建皇子と一緒に埋葬して欲しいと書いてあったため、斉明天皇のお墓に一緒に眠っていると思われる。

キョロキョロ杉山杉風(すぎやまさんぷう)
俳人だった。
1647年 日本橋で生まれ。家は裕福だったそうです。
松尾芭蕉の弟子。経済的な援助を行いながらスポンサーの役割も果たして、後に蕉風俳諧を築いていく上での最大功労者といわれている。
子孫は山口智子。

キョロキョロ青木木米(あおきもくべい)
1767年 京都 祇園で生まれる。
陶芸家兼画家だった。
木米は30歳過ぎてから陶芸を本格的に初め、後に幕末京焼の三名工と呼ばれるようになる。
耳で窯の温度を計り、作陶に適した温度を見極めていたという話が古書にあります。耳で窯の音を聞き温度を計るというその手法を続けた結果、彼は耳を病み、聴覚機能を失ってしまいました。その後に別号として聾米と名のっていた。聾であることを恥じたり隠したりしないというのは、木米は聾としてアイデンティティーをしっかりもっていたのか?偶然なのか、江戸時代は差別はなかったのだろうか…タイムマシーンがあったら確認しに行きたい。

キョロキョロ宇都宮黙霧(うつのみやもくりん)
僧侶だった。
1824年広島県竹原市に生まれる。
体が弱かったが頭は賢く、苦労をして、神道 仏教を学ぶ。
20歳で全聾になる。
尊王や倒幕の考えを吉田松陰にぶつけ大きな影響を与える。
後に倒幕運動の生き残り伊藤博文が宇都宮黙霧に会いに行くが、みすぼらしい姿をしていた宇都宮黙霧を見て、きれいな袴をプレゼントした。

キョロキョロ杉 敏三郎(すぎとしさぶろう)
1845年 吉田松陰の弟。
生まれつき聾で、袴を作る職人さんをしていた。享年32歳。

おまけの話…ビックリマークビックリマーク
江戸時代では、耳が聞こえない旅人は"聾"という文字を笠に書いてかぶっていた。それはなぜか…はてなマークキョロキョロ
お侍さんに話をかけられても聞こえないので、気がつかずそのまま歩いていいたら切られてしまったという事があったらしい。なのでそういう事がないように自分が聞こえないことを示していた(那須さんの奥さんが描いた聾という字が書かれた笠をかぶった人の絵が写し出された)

那須さんの講演はそれでおしまい…
正直、講演を見る前までは、タイトル的に難しそうな話だなっとあせる途中で聞き飽きちゃうんじゃないかと思っていました汗でもさすが那須さんの表現力の凄さに引き込まれ、楽しく歴史を知れましたビックリマークビックリマーク今、思い出しながら活字で書いてるとやっぱり途中、途中寝むくなるショボーンぐぅぐぅ(笑)

講演終了後も交流会があり楽しく過ごせた1日でしたチュー