家康の仕事術 | MONACOへの道☆中嶋航の『想い』を語るアメブロ

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夢の実現にむけて邁進する中嶋航のブログです。2010年7月から書きはじめて10年以上の月日が経ちました。
記事内容は月日にあわせて様々ですが(笑)これからも想いや学んだこと、感じたことを記録していきます!

やはり勉強になります、

徳川家康のノウハウ…


家康の仕事術…


響いた内容…

・人質時代のことを忘れず「人になにをすれば嬉しいと思ってもらえるか、安心してもらえるか」を深く考え、自然にそれができる人間になっていった。その集大成が「戦争のない世の中をつくる」ということ。

・秀吉も晩年はイエスマンで周囲を固め、結局は「お山の大将」で終わってしまった。家康は、有能な家臣をたくさん集めただけでなく、彼らの意見をよく聞いた。家臣の意見が自分と違ってもイヤな顔をせず、「なかなか面白いことを言う」と耳を傾けるだけの冷静さと思慮深さを身につけていた。

・大御所となったときには、秀忠に金三万枚、銀一万三千枚を与え、「浪費を慎み、この上にさらに金銀を積み蓄えていくように」と釘を刺したあと、こう言った。「この金銀は万が一のときに役立てよ。第一は戦争、第二は地震などの天変地異、第三は飢饉のときじゃ。民や地方の役人の力ではどうにもならない変事が起きたときには、政で救ってやらねばならぬ。国費はそのために使うものなのだ。それこそ天下を治める者の本懐である」

・信長、秀吉、家康の三人のなかで、「もしも自分が天下をとったなら、こういう世の中をつくろう」という確固たるビジョンを描き、それを実現したのは家康だけである。

・側近の本多正信の言葉「一年分の食糧と、翌年に必要な種もみを見積らせ、余りを年貢として納めさせることが肝要」

・家康が出版させた書物は、やはり実学が中心だった。多くの人々に学問を広め、国のしくみについて認識を深めてほしいと考えていたに違いない。「馬上にて天下をとり、文をもって天下を治める」というモットーをしっかり実践していたわけである。

・中国・唐代の正史「唐書」に、「創業は易く守成は難し」という人間がある。新しく事業をはじめることよりも、その事業を受け継ぎ、衰微させないように長く維持していくこと(守成)のほうがはるかに難しい、という意味だ。