上手くなれば、もっと楽しめると思っていました。

上手くなれば、もっと楽しめると思っていました。

上手くなれば、もっと楽しくなる。評価されれば、もっと嬉しい。でも、できるようになってもまた「次」が気になる。趣味・創作・スポーツにある「もっと上へ」と、僕が18年間繰り返してきた「次は?」について書いています。

上手くなった。

できなかったことも、できるようになった。

評価されたこともある。

それなのに、気づくとまた、

「次はどうすれば、もっと上手くなれる?」

を考えている。

上達していないからだけでは説明できない
「次は?」があります。


僕自身が18年間繰り返してきた探索と重ねながら、

その動きを振り返っています。

▶ 18年間の謎解きを、最初から読む

「もっと上手くなりたい」

何かを続けていると、
この気持ちが出てくることがあります。

今より上手く描きたい。

もっと思った通りに演奏したい。

もっと速く走りたい。

もっと正確にできるようになりたい。

もっと良いものを作りたい。

最初は、
できないことが多いからこそ、
そう思うのかもしれません。

目の前に、
自分より上手な人がいる。

自分ができないことを、
簡単そうにやっている人がいる。

あるいは、
頭の中では「こうしたい」があるのに、
実際にはその通りにできない。

その差が見えるから、

「もっと上手くなりたい」

と思う。

僕は、この気持ちを
無理になくす必要はないと思っています。

なぜなら、
この「もっと」があるからこそ、
実際に変わることもあるからです。


■■■「もっと」が、練習する理由になることもある■■■

今のままでいいと思っていたら、
調べなかったことがあるかもしれません。

練習しなかったことも
あるかもしれません。

でも、

「もう少し上手くなりたい」

と思うから、
やってみる。

昨日うまくいかなかったことを、
今日もう一度やってみる。

分からないことを調べる。

上手な人のやり方を見る。

自分のやり方と比べてみる。

練習方法を変えてみる。

必要なら、
誰かに教えてもらう。

そうやって繰り返しているうちに、
以前できなかったことが
少しずつできるようになる。

つまり、

「もっと上手くなりたい」には、
人を実際に動かす力があります。


ただ思っているだけではなく、
練習や学びにつながり、
その結果として技術が変わることがある。

だから、
上達したいという気持ちそのものを
悪者にはできないと思うんです。


■■■上達すると、見えるものまで変わってくる■■■

面白いのは、
できることが増えるだけではありません。

上達すると、
以前は気づかなかったことにも
気づくようになります。

始めたばかりの頃には、
何が上手くて何が違うのかさえ、
よく分からないことがあります。

でも、
少し分かるようになる。

少しできるようになる。

すると、
今まで同じように見えていたものの違いが
見えるようになってくる。

創作なら、
表現の細かな違いが気になってくる。

スポーツなら、
フォームや動きの小さな違いが
分かるようになってくる。

趣味なら、
道具や技術、知識の違いが
以前より分かるようになる。

それは、
上達したからこそ見える世界です。

そして、
見えるものが増えると、
できることも増えていく。

今までなら選べなかったものを、
選べるようになる。

今まで挑戦できなかったことに、
挑戦できるようになる。

だから、

上達することで、
その趣味そのものがもっと面白くなる。


そういうことも、
確かにあると思います。


■■■だから「もっと上手くなりたい」は役に立つ■■■

もし、
上達したいという気持ちがなかったら。

出会わなかった知識が
あるかもしれません。

身につかなかった技術も
あるかもしれません。

挑戦しなかったことも
あるかもしれません。

だから僕は、

「もっとを手放そう」

「上達を求めない方がいい」

という話にしたいわけではありません。

もっと上手くなりたい。

もっと良いものを作りたい。

もっと良い記録を出したい。

その気持ちがあったからこそ、
昨日よりできることが増えた。

そんなことは、
普通にあると思います。

そして、
実際に上達できた時は嬉しい。

何度やってもできなかったことが、
できるようになる。

練習してきたことが、
形になる。

自分でも、

「前より上手くなったな」

と分かる。

だから、
また続けたくなる。

ここまでは、
とても自然な流れに見えます。


■■■ただ、上達すると新しい「できない」も見えてくる■■■

ところが、
少し不思議なことがあります。

最初は、
「これができるようになりたい」
と思っていた。

練習した。

そして、
実際にできるようになった。

だったら、
そこで一度、

「できた」

で終わってもよさそうです。

もちろん、
実際に嬉しい。

達成感もある。

でも、
上達したからこそ、
以前は見えなかったものが
見えるようになることがあります。

「あそこがまだ甘い」

「次はこれをできるようになりたい」

「もっと上手な人は、ここが違う」

「このやり方も覚えてみたい」

以前の自分から見れば、
ちゃんと上達している。

できなかったことも、
できるようになっている。

なのに、

上達したことで、
次の「できない」が見える。


これは、
上達していないから起きているわけではありません。

むしろ、
上達したからこそ見えることもある。

ここが、
僕には少し興味深く感じます。


■■■「できた」のすぐ先に、また「次」がある■■■

最初に欲しかったものは、
ちゃんと手に入っている。

以前より上手くなった。

知識も増えた。

できることも増えた。

それでも、
その先を見ると、
また新しい目標があります。

もっと上手く。

もっと正確に。

もっと速く。

もっときれいに。

もっと自分の思った通りに。

そして、
また練習する。

それによって、
さらに上達することもある。

だから、
この流れそのものを
止める必要があるとは思いません。

ただ。

僕が気になっているのは、
その流れの中に何度も出てくる、

「次は?」

です。

できないから、
次を探す。

これは分かります。

でも、
できるようになった後にも、
また次が見える。

上達した後にも、
また上達したいところが出てくる。

だとしたら、

「もっと上手くなりたい」は、
どこまで続いていくんだろう。


上達したい気持ちが
間違っているという話ではありません。

むしろ、
その気持ちが役に立ったことまで認めたうえで、
僕はこの先を見てみたいと思っています。

できるようになった後にも、
なぜまた「次」が見えるんだろう。


僕自身も、
対象は仕事でしたが、
結果が出た後にも「次」を探してきました。

その18年間を振り返ると、
「足りなかったから探した」だけでは
説明できないものが残りました。

▶ 結果が出た後にも「次」を探していた18年間の謎解きを読む


K

何かを始めたばかりの頃って、
できないことがたくさんあります。

思ったようにできない。

頭では分かっているのに、
実際にやるとうまくいかない。

上手な人なら簡単そうにやっていることが、
自分にはなかなかできない。

だから、

「もっと上手くなりたい」

と思う。

僕はこれって、
すごく自然なことだと思っています。

趣味でも。

創作でも。

スポーツでも。

できなかったことが、
少しずつできるようになる。

前よりも上手くなる。

前よりも良いものが作れるようになる。

前よりも良い記録が出る。

その変化があるから、
面白くなることがあります。

だから僕も、

「上手くなれば、もっと楽しめる」

という考えそのものを、
否定したいとは思いません。

むしろ、
本当にそういう部分があると思っています。


■■■できなかったことが、できるようになる■■■

上達することの面白さって、
単純に数字だけではないと思います。

昨日までできなかったことが、
今日は少しできる。

以前は難しかったことが、
気づけば普通にできるようになっている。

たとえばスポーツなら、
最初は思うように動かなかった身体が、
練習を重ねることで少しずつ動くようになる。

フォームが変わる。

タイムが縮まる。

今まで届かなかったところに、
届くようになる。

創作なら、
頭の中にあるものを
以前より形にできるようになる。

「こうしたい」と思った表現に、
少しずつ近づけるようになる。

趣味でも、
知識が増えたり、
道具を扱えるようになったり、
今まで分からなかった違いが
分かるようになったりする。

それまで見えなかったものが、
上達することで見えてくる。

これは、
やっぱり面白い。

だから、

「もっと上手くなりたい」

「もっとできるようになりたい」

と思うこと自体には、
ちゃんと理由があると思うんです。


■■■上達するために、方法を探すこともある■■■

そして、
上手くなりたいと思えば、
方法を探します。

練習の仕方を調べる。

上手な人のやり方を見る。

本を読む。

動画を見る。

誰かに教えてもらう。

必要なら、
道具を変えることもある。

これも別に、
悪いことではありません。

むしろ、
自分だけで試行錯誤していた時には
分からなかったことが、
一つの知識を知っただけで
急に分かることもあります。

正しい練習方法を知ったことで、
伸びることもある。

道具を変えたことで、
今までできなかったことが
やりやすくなることもある。

誰かから教えてもらったことで、
ずっと勘違いしていた部分に
気づくこともある。

だから僕は、

「方法なんて探さなくていい」

とも思いません。

上手くなるために、
必要なことを学ぶ。

そして実際にやってみる。

その結果、
できることが増えていく。

そういう上達は、
確かにあります。


■■■上手くなると、楽しめることも増えていく■■■

できることが増えると、
楽しみ方も増えることがあります。

今までできなかったことに
挑戦できるようになる。

もっと難しいことも
試せるようになる。

以前なら分からなかった
細かな違いも分かるようになる。

自分なりの工夫も
できるようになる。

創作なら、
表現できる幅が広がる。

スポーツなら、
できるプレーが増えていく。

趣味なら、
知れば知るほど
新しい面白さが見えてくる。

そして、
誰かに見てもらうものなら、
反応をもらえることもある。

「すごいですね」

「上手くなりましたね」

「これ、いいですね」

そう言ってもらえたら、
やっぱり嬉しいと思います。

だから、
上達することと楽しさは、
まったく別のものではありません。

上手くなることで、
初めて味わえる楽しさもある。

僕はそう思っています。


■■■だから、また「もっと上手くなりたい」と思う■■■

一度、
できなかったことができるようになる。

その瞬間は嬉しい。

だから、
もう少しやってみたくなる。

もう少し上手くなってみたい。

次は、
これもできるようになりたい。

もっと良いものを作ってみたい。

もっと良い記録を出してみたい。

そう思う。

これも自然な流れだと思います。

上達する。

嬉しい。

もっとやりたくなる。

そして、
また少し上達する。

そこには、
何もおかしなところはありません。

だから、
僕も長い間、

「上手くなれば、もっと楽しめる」

という考えを、
とても自然なものとして見ていました。


■■■でも、ひとつだけ気になることがある■■■

上手くなっていない時に、

「もっと上手くなりたい」

と思う。

これは分かります。

できないことがあるから、
できるようになりたい。

届いていない目標があるから、
そこまで行きたい。

では。

実際に、
できるようになった後はどうなんだろう。

前より上手くなった。

以前の目標にも届いた。

できることも増えた。

楽しめることも増えた。

その時、

「上手くなれば、もっと楽しめる」

という話は、
そこで一度終わるんだろうか。

それとも、
その先にまた、

「もっと上手くなりたい」

が出てくるんだろうか。

僕がこのブログで見ていきたいのは、
上達そのものを否定することではありません。

上達には、
ちゃんと価値がある。

できるようになる喜びもある。

そのうえで、
少しだけ気になっています。

上手くなった後、
僕たちは何を求めるんだろう。


そして、
一つの「できた」の後に、
また「次は?」が現れるとしたら。

その「次」は、
どこまで続いていくんだろう。

僕自身、対象は違いますが、
18年間「次」を探してきました。

その流れを振り返ったものを、
こちらにまとめています。

▶ 「次は?」を探していた18年間の謎解きを読む


K