「もっと上手くなりたい」
何かを続けていると、
この気持ちが出てくることがあります。
今より上手く描きたい。
もっと思った通りに演奏したい。
もっと速く走りたい。
もっと正確にできるようになりたい。
もっと良いものを作りたい。
最初は、
できないことが多いからこそ、
そう思うのかもしれません。
目の前に、
自分より上手な人がいる。
自分ができないことを、
簡単そうにやっている人がいる。
あるいは、
頭の中では「こうしたい」があるのに、
実際にはその通りにできない。
その差が見えるから、
「もっと上手くなりたい」
と思う。
僕は、この気持ちを
無理になくす必要はないと思っています。
なぜなら、
この「もっと」があるからこそ、
実際に変わることもあるからです。
■■■「もっと」が、練習する理由になることもある■■■
今のままでいいと思っていたら、
調べなかったことがあるかもしれません。
練習しなかったことも
あるかもしれません。
でも、
「もう少し上手くなりたい」
と思うから、
やってみる。
昨日うまくいかなかったことを、
今日もう一度やってみる。
分からないことを調べる。
上手な人のやり方を見る。
自分のやり方と比べてみる。
練習方法を変えてみる。
必要なら、
誰かに教えてもらう。
そうやって繰り返しているうちに、
以前できなかったことが
少しずつできるようになる。
つまり、
「もっと上手くなりたい」には、
人を実際に動かす力があります。
ただ思っているだけではなく、
練習や学びにつながり、
その結果として技術が変わることがある。
だから、
上達したいという気持ちそのものを
悪者にはできないと思うんです。
■■■上達すると、見えるものまで変わってくる■■■
面白いのは、
できることが増えるだけではありません。
上達すると、
以前は気づかなかったことにも
気づくようになります。
始めたばかりの頃には、
何が上手くて何が違うのかさえ、
よく分からないことがあります。
でも、
少し分かるようになる。
少しできるようになる。
すると、
今まで同じように見えていたものの違いが
見えるようになってくる。
創作なら、
表現の細かな違いが気になってくる。
スポーツなら、
フォームや動きの小さな違いが
分かるようになってくる。
趣味なら、
道具や技術、知識の違いが
以前より分かるようになる。
それは、
上達したからこそ見える世界です。
そして、
見えるものが増えると、
できることも増えていく。
今までなら選べなかったものを、
選べるようになる。
今まで挑戦できなかったことに、
挑戦できるようになる。
だから、
上達することで、
その趣味そのものがもっと面白くなる。
そういうことも、
確かにあると思います。
■■■だから「もっと上手くなりたい」は役に立つ■■■
もし、
上達したいという気持ちがなかったら。
出会わなかった知識が
あるかもしれません。
身につかなかった技術も
あるかもしれません。
挑戦しなかったことも
あるかもしれません。
だから僕は、
「もっとを手放そう」
「上達を求めない方がいい」
という話にしたいわけではありません。
もっと上手くなりたい。
もっと良いものを作りたい。
もっと良い記録を出したい。
その気持ちがあったからこそ、
昨日よりできることが増えた。
そんなことは、
普通にあると思います。
そして、
実際に上達できた時は嬉しい。
何度やってもできなかったことが、
できるようになる。
練習してきたことが、
形になる。
自分でも、
「前より上手くなったな」
と分かる。
だから、
また続けたくなる。
ここまでは、
とても自然な流れに見えます。
■■■ただ、上達すると新しい「できない」も見えてくる■■■
ところが、
少し不思議なことがあります。
最初は、
「これができるようになりたい」
と思っていた。
練習した。
そして、
実際にできるようになった。
だったら、
そこで一度、
「できた」
で終わってもよさそうです。
もちろん、
実際に嬉しい。
達成感もある。
でも、
上達したからこそ、
以前は見えなかったものが
見えるようになることがあります。
「あそこがまだ甘い」
「次はこれをできるようになりたい」
「もっと上手な人は、ここが違う」
「このやり方も覚えてみたい」
以前の自分から見れば、
ちゃんと上達している。
できなかったことも、
できるようになっている。
なのに、
上達したことで、
次の「できない」が見える。
これは、
上達していないから起きているわけではありません。
むしろ、
上達したからこそ見えることもある。
ここが、
僕には少し興味深く感じます。
■■■「できた」のすぐ先に、また「次」がある■■■
最初に欲しかったものは、
ちゃんと手に入っている。
以前より上手くなった。
知識も増えた。
できることも増えた。
それでも、
その先を見ると、
また新しい目標があります。
もっと上手く。
もっと正確に。
もっと速く。
もっときれいに。
もっと自分の思った通りに。
そして、
また練習する。
それによって、
さらに上達することもある。
だから、
この流れそのものを
止める必要があるとは思いません。
ただ。
僕が気になっているのは、
その流れの中に何度も出てくる、
「次は?」
です。
できないから、
次を探す。
これは分かります。
でも、
できるようになった後にも、
また次が見える。
上達した後にも、
また上達したいところが出てくる。
だとしたら、
「もっと上手くなりたい」は、
どこまで続いていくんだろう。
上達したい気持ちが
間違っているという話ではありません。
むしろ、
その気持ちが役に立ったことまで認めたうえで、
僕はこの先を見てみたいと思っています。
できるようになった後にも、
なぜまた「次」が見えるんだろう。
僕自身も、
対象は仕事でしたが、
結果が出た後にも「次」を探してきました。
その18年間を振り返ると、
「足りなかったから探した」だけでは
説明できないものが残りました。
▶ 結果が出た後にも「次」を探していた18年間の謎解きを読む
K
できなかったことも、できるようになった。
評価されたこともある。
それなのに、気づくとまた、
「次はどうすれば、もっと上手くなれる?」
を考えている。
上達していないからだけでは説明できない
「次は?」があります。
僕自身が18年間繰り返してきた探索と重ねながら、
その動きを振り返っています。
▶ 18年間の謎解きを、最初から読む