今日、ある人に「知り合いの人」の相談を受けた。
その人のことを観察して、ネットで調べて「病名」を提示してこられた。
その病気の名前はえらく深刻な病名で、遺伝子の異常であるため現代医学ではどうしようもない難病でした。
もっとも、私が診たわけではないので真偽の程は何とも言えません。
問診も検査もしていない。
だから、答えは出ません。
その病名は、その相談者がネットで調べてものであり、私の所見ではありません。
その相談者は医学の専門家ではないので、その「病名」が正しいかどうかは限りなく不正確であるのは間違いないでしょう。
ネットで調べた「病気」かどうかを見るために、その知り合いの人を検査に行かせるべきかどうかと聞かれました。
その本人は病気については何も言ってないらしく、私に相談している方が「そうしたらどうか」と思っているにすぎない。
しかし、そのことについては意見があります。
誤解を恐れずに言うなら、
現代医学でどうしようもないとされる病名を確定するのに、検査に行くことに意味があるのかと思う。
ましてや、本人に何の問題意識もないのに。
もし、ここで言う「病名」が仮に正しく、「治すことの出来ない疾病」だとしてとして考えても、
「病名」を知ったところで治せない。
それは絶望を生むだけのような気がします。
それよりも、その本人がどうしたいのか?
それが問題です。
「目的」や「目標」、「本人の意思」が大事。
「目的」があれば仮に「不治の病」だとしても、今より改善出来る余地がある筈です。
その「目的達成」のために検査して「疾病の正体」を明らかにするのであれば建設的で未来があると思うのです。
ただただ、君の病名は「~」だ!!
などと言っても、言った本人は気持ちいいかもしれないけれど、
その「病気の本人」にとって何か意味があるとは思えません。
マイナスにしかならない。
なぜなら、「病名」は人を縛り付ける「呪縛」であり、また、「免罪符」にもなり得る。
それは要らない。
今の医学は「病名」をつけることに心血を注いでいるような気がします。
もっとも、病名をつけなければ医療機関は保険点数をつけて治療費を請求できない。
それが一般人レベルまで蔓延しているのではないか?
仕事が終わって、急にそんなことを思い憂鬱になった。
しかし、治せない「病名」をつけることと患者さんの未来とは関係ない。
どんな状態であっても、建設的で、少しでも人生を豊かにできる考え方が必要。
現代医学ではどうしようもなくても、見方を変えれば何とか出来る治療法もあるのです。
一つの方向からの診断名でなく、症状と本人の「どうしたいか」という「希望」、「目的」が重要で
それさえ分かれば、その現状より改善出来るものもあり、治せるものもあるのです。
なにより、建設的で未来がないと身も蓋もない。
結論として、
教養としては良いでしょうけれど、ネットで病名など調べるもんじゃないと思いますよ。
まして、それで他人を診断しない方が良い。
それが正しいなどと思っては間違いのもとです。
(Facebookから、転載)
最近、健康情報発信のためのFacebookページを設立しました。
NExT-Intelligence

その人のことを観察して、ネットで調べて「病名」を提示してこられた。
その病気の名前はえらく深刻な病名で、遺伝子の異常であるため現代医学ではどうしようもない難病でした。
もっとも、私が診たわけではないので真偽の程は何とも言えません。
問診も検査もしていない。
だから、答えは出ません。
その病名は、その相談者がネットで調べてものであり、私の所見ではありません。
その相談者は医学の専門家ではないので、その「病名」が正しいかどうかは限りなく不正確であるのは間違いないでしょう。
ネットで調べた「病気」かどうかを見るために、その知り合いの人を検査に行かせるべきかどうかと聞かれました。
その本人は病気については何も言ってないらしく、私に相談している方が「そうしたらどうか」と思っているにすぎない。
しかし、そのことについては意見があります。
誤解を恐れずに言うなら、
現代医学でどうしようもないとされる病名を確定するのに、検査に行くことに意味があるのかと思う。
ましてや、本人に何の問題意識もないのに。
もし、ここで言う「病名」が仮に正しく、「治すことの出来ない疾病」だとしてとして考えても、
「病名」を知ったところで治せない。
それは絶望を生むだけのような気がします。
それよりも、その本人がどうしたいのか?
それが問題です。
「目的」や「目標」、「本人の意思」が大事。
「目的」があれば仮に「不治の病」だとしても、今より改善出来る余地がある筈です。
その「目的達成」のために検査して「疾病の正体」を明らかにするのであれば建設的で未来があると思うのです。
ただただ、君の病名は「~」だ!!
などと言っても、言った本人は気持ちいいかもしれないけれど、
その「病気の本人」にとって何か意味があるとは思えません。
マイナスにしかならない。
なぜなら、「病名」は人を縛り付ける「呪縛」であり、また、「免罪符」にもなり得る。
それは要らない。
今の医学は「病名」をつけることに心血を注いでいるような気がします。
もっとも、病名をつけなければ医療機関は保険点数をつけて治療費を請求できない。
それが一般人レベルまで蔓延しているのではないか?
仕事が終わって、急にそんなことを思い憂鬱になった。
しかし、治せない「病名」をつけることと患者さんの未来とは関係ない。
どんな状態であっても、建設的で、少しでも人生を豊かにできる考え方が必要。
現代医学ではどうしようもなくても、見方を変えれば何とか出来る治療法もあるのです。
一つの方向からの診断名でなく、症状と本人の「どうしたいか」という「希望」、「目的」が重要で
それさえ分かれば、その現状より改善出来るものもあり、治せるものもあるのです。
なにより、建設的で未来がないと身も蓋もない。
結論として、
教養としては良いでしょうけれど、ネットで病名など調べるもんじゃないと思いますよ。
まして、それで他人を診断しない方が良い。
それが正しいなどと思っては間違いのもとです。
(Facebookから、転載)
最近、健康情報発信のためのFacebookページを設立しました。
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