昼寝が「なくてはならない」生活の一部となっております古株スタッフです。![]()
どんなに明るかろうが、「笑っていいとも」がガンガン掛かろうが、他のスタッフがランチで盛り上がって喧しかろうが、爆睡してしまうこの体質はもう特技![]()
さて、そんなワタシが仕事を終えてシャワーを浴びソファにゴロ寝した土曜日、爆睡して起きた時間が5時30分!ちょっ、ちょっと待ってよ。確か日曜日はゴルフでスタートが7時30分。ゴルフ場までカッ飛ばして1時間30分、シャワーあびたりなんだカンだの用意は小1時間、逆算したら30分足らない
ち、遅刻だわ。これは。
・・・真っ青になって、シャワーを浴びながら、「またコンタクトしたまま寝ちゃってんじゃん。もう、自分のボケ」などと悪態をついていると、ご近所さんの明るい声が・・・「きょう~は、暑かったわねぇ」「ホントねぇ、買い物もう行きました?」・・・このド早朝に買い物?いえいえ。時間を12時間間違えていたワタシは、なぜか世界中からポツンととり残され、廊下に立たされているような気分でシャワーに打たれ続けるのでした。ちゃんちゃん。
そうなんです。5時30分は17時30分だったんですね。イヤハヤ。本当の呆けが始まったのかしらん。この現状、原因は何かと考えたとき、あまりの爆睡に、8時間程度は寝た・・・と誤解しちゃったワケなんですね。
更に、この頃の5時30分と17時30分、外の風景があまり変わらんとです。(あら、急に九州弁?)
得した様な気分でふと、思い出したフレーズが、
「おまえは眠っている時、自分の存在をどのようにとらえているのだ」
これは、光瀬龍さんの「百億の昼と千億の夜」で、地球以外の星で、星の住民を「睡眠ポット」で管理しているゼンゼンの神が、地球からやって来たシッタータ(この人、お釈迦さんデス。)と、やりとり(・・・というほど平和的なモンじゃあございませんが。)しているセリフの一部なんです。
読んだのはこの原作を元に、萩尾望都さんのマンガでした。
この作品、一般的に良い神様といわれている方々がことごとく悪役で、(特にイエスの書き方はヒドイ。大天使ミカエルの前で腰ぬっからかしたり、ユダをワナにはめたり。)宗教を通じて、人間に「破滅の信仰」を説き、破滅に導く・・・そこに気がついた悪の神→最近なにかと話題となっている阿修羅サンが、「神達のグル。サギ」と戦いを挑む・・・と、ここまで説ひっくり返して大丈夫?と心配になるほどの本でございます。
- 百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫 JA (6))/光瀬 龍
- ¥819
- Amazon.co.jp
- 百億の昼と千億の夜 (秋田文庫)/光瀬 龍
- ¥740
- Amazon.co.jp
ちなみにゼンゼンの神とシッタータのやりとりは、
ゼンゼン「おまえは他の星からきたというが本当か?その星も幻覚の所産でないといいきれるか?すべてが集団幻覚による仮構の世界にあるとしたら、それを確認する手段はなかろう」
シッタータ「そんなことをいっていたら、不可知論になってしまう」
ゼンゼン「不可知?不可知というからには、前提としている認識はどこにある」
シッタータ「(睡眠ポッドにいる)彼らは、自分をどのようにとらえているのだ」
ゼンゼン「おまえは眠っている時、自分の存在をどのようにとらえているのだ」
・・・ハイ。以下略。ふかちろん・・・ってオイオイ、確かこのマンガ、週刊少年チャンピオンで連載された作品。読者は年端もいかん少年少女だろうが。(そうそう昔は大人はあんまりマンガを読まなかったのよん。)不可知論ってナニ?む・・難しすぎる。
不可知論(ふかちろん、英:agnosticism)は、形而上 の存在、死後の世界、神 の存在、神のお告げなど、神学 に関する命題 の真偽、また客観的本質的な実存は本質的に認識することが不可能である、とする宗教 的、あるいは哲学 的な立場をいう。<フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>
もう、サイトで調べてもわかんない。「存在はあるけど確認できない」・・そんなカンジ?
ついでにこのゼンゼンの神が管理するゼンゼンシティは、あの「マトリックス」みたいなものです。もう、モロそのまんま。光瀬さんの原作はかなり大昔なので、もしかしてパクリ?
マンガも原作も大変設定が面白いので、ご興味が有る方、是非。
あっそうそう、原作ではオリオナエ(=プラトン)のセリフが全部カタカナです。・・ってこの方、道標という役目で、物語の説明を進める方なので、セリフが多いのにチョー読みにくいです。でもチャレンジしがいはあるかも。がんばってね![]()
なんか長くなっちゃいましたが、とりあえず、土曜日ヒドイ寝ぼけを経験した・・・てコトで。
