ネット起業家がいう「自由」の本当のところ パート1 | ドラッカーから学ぶネットビジネスの極意
インターネットビジネスに誰かを誘うときの常套句と言われるのが、
この「自由」という言葉ではないでしょうか?


さて!本日のテーマ!


インターネットビジネスは本当にあなたを自由にしてくれるのでしょうか?(yes,no)



あえて、「賛成派」と「反対派」の両方の意見に立って
この話をしたいと思います。



いきなりドラッカーお得意のディベートです。



といっても決して決着をつけたいわけではありません。
両者をぶつけ合ってより本質的な答えがどこにあるかを導きたいだけです。





まず、賛成派の意見から・・・


不自由という名の「不満」-



ネット起業家のいう自由とは、
会社勤めの人が感じる不自由を指しているのではないかと思います。



ハッキリ言うと、会社勤めは不自由極まりないです。



9:00~18:00までは確実に拘束されるし、
仕事が終わらず残業や休日出勤を命じられれば、
嫌でも出勤をしないといけません。



平日であれば通勤帰宅の時間を足すと、
1日の半分は会社に拘束されるわけです。



さて、休日です。週に2日しかない休日…
ゆっくり休めるかと思いきや、中々それができません。



「資格を取れ」等と会社側から命令されることすらあります。


「ちょっと待てよ!休日くらい休ませろよ!
   恋人はいないけど異性とどこかに遊びに行きたいんだよ」


なんて反論をしたならひどいもの!


「○○くん、キミは仕事を何だと思っているんだ。
              給料もらっているんだろ!」



目に見えないプレッシャーをガンガン浴びせるわけです。



ネット起業家の煽りメルマガなら、解除すればよいのですが、
上司のメールをシカトしたり、ましてや解除することはできません。


もちろん、上司が悪いわけではありません。
(実際に、私の上司は超物わかりが良いです)


しかし、会社とはそういうものです。


給料を払っているのだから、それ以上もしくは可能な限り
「時間」と「労力」を絞り取るのが会社です。


ええ、毎月安定して頂ける給料の代わりに、
いくつもの『不満』に耐えなければならないのです。



あなたもかつては、こういった日々が続くことに絶望を覚え、
インターネットビジネスに希望の光を見出したのではないでしょうか?


ネット起業家は、いつもこう言います。

「自由」
「時間的自由」「精神的自由」「経済的自由」



インターネットビジネスをすることで、
会社に勤める必要もなくなり、嫌な人間関係、上司、
満員電車からも解放されます!


だから、一緒にやりましょう。


私は、インターネットビジネスをして自由になったんです!


不自由という名の絶望の中で自由を語り、自由に生きている
ネット起業家に対して憧れを覚え、ネットビジネスにも興味を持ってしまう。


ヤバい!神だ!と言わんばかりに!




・・・しかし、ここでツッコミ・・・・



Are you really free(あなたほんとうにじゆうですか?)


YES!

心の底から応えられる方は読まないでください。
気分が悪くなります。



ここでYESと答えられた人は、

本当に「時間的自由」「精神的自由」「経済的自由」を得たのだと思います。



しかし、ネットビジネスを
はじめて実績が出ている出ていないに関わらず
本当に「自由」になれたでしょうか?



ちょっと違うんじゃないのかなぁと思えたので、

そのことについて


反対側の意見を2つお話をします。



反対側



ケース1 講師と生徒の関係はまさに上司と部下



高額塾にあるケースなのかもしれません。
講師が完全に上司となってしまうケース。


「考えなくていいんです。私のいうことを聞きなさい」
「ブログはこのテンプレートを使いなさい。」
「コンテンツは私が作った。売りなさい」
「この教材は売れるから。売りなさい。」
「使っていない?そんなの関係ありません」
「結果が出ない!?では、この教材を買いなさい!」




まさに自分で決める自由を根底から覆すような空間。



私は、完全に無所属ですが、かつて某ネット起業家のセミナーに行き、
このような圧力的な雰囲気を目のあたりにしてゾッとすらしました。



その講師を取り囲む人達をパートナーや塾生と称しておりましたが、
傍から見ると完全に上司と部下です。



給料はもらえないけど、
その人の影響力やリストを期待しているのでしょうか?



ブログのヘッダーでは「自由な人生」を謳いながらも、
それだと完全にサラリーマンです。



そんな空間のどこに自由があるのかが解らない。
ネットとリアルのギャップにビビらされるわけです。


しかし、必ずしも講師が悪いわけではありません。



ノウハウ・手法はどうであれ、彼らの仕事は生徒を成功に導くことですから。


原因は、生徒側にあると私は思っています。




ケース2 従うことを望む生徒


なぜそうなるかというと、人は「自由」になるより、
指示されたいという欲求が強くあるからです。


高額塾に入ったり、情報商材を購入する人の多くは
インターネットビジネスについて何も知らない人が多いです。


「パソコン初心者」でも稼げる!

と言われたら、安心をしてしまいます。




だから、何をして良いか解らないときに

道筋を示してくれる人がいたら「安心」するのです。


自分で考えて、自分で行動をすれば、全ての責任を負わなければなりません。
これが不安で不安で仕方ないのです。



少なくとも、インターネットビジネス初心者の
くが組織で育った人が多くそこで根付いた習慣は不幸なことに、
強く残っています。



完全に会社員のロジックで動いている人がいますからね。



そもそも、自由になる気になれば、
人はいつでも自由になれるということを私たちは忘れています。


その気になれば、今からでも会社を辞めて、
自給が高めのアルバイトをして生活をしていくことも可能です。



私も、かつては会社を辞めてフラフラとしていました。
その後に転職もしましたが。



なので、追い込まれて本当に嫌になったら、
人間は何でもすると思っています。


決断が必要ですけどね。


同時に、人間は変化を死ぬほど嫌います!


ちょっと行動をすれば目の前に宝があっても、
なぜか動こうとしないのです。



同時に、誰かにそれをしてもらうか、
その結果を後ろで見る人の方が多いのかと思ったりもします。



これは行き過ぎるとタチが悪くて、



「不安」から逃れようとして「不自由」な道を選ぶと、
その時に残るのは会社員をしている「不満」なのです。










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と「賛成派」「反対派」の意見をぶつけてみたところで、
話を整理していきたいと思います。


まずひとつ解ったことは、

自由になりたいと心の底では思いつつも、
その局面になるとあえて不自由な方を選択する理由は、



ズバリ「不安」です。



『自由になったらどうしよう?』
という強い不安があるのかもしれません。


自由になった後に必ず付きまとうのが「責任」です。


両者はイコールの関係だと思って下さい。


例えるなら、米国では自由であることをモットーとしている風潮がありますが、
あれは社会が個人や企業に対して過剰なまでの責任を押し付けているに過ぎません。
鉄砲を持つのも自由だし、裁判をするのも自由なんです。


逆にいうと、いざとなったらだれも守ってくれないのです。
そう考えると自由になるって物凄く怖い世界なのです。


しかし、それを乗り越えられる人だけが本当に「自由」になれます。




まとめると、


人は何らかの不満があります。(主に会社に対する不満)
インターネットビジネスをしている人から「自由」という言葉を聞くと、
その不満を「不自由」であることに結びつけます。
だから、自由になることに対して強い憧れを抱きます。

しかし、いざ行動をすると考えると、
そこには想像を絶する「不安」があります。


そこに耐えられず、変わりたいという意思があるのにも関わらず、
自ら変わらないことを選択してしまうのです。


これを繰り返しているのかもしれません。





と、ここまでアレコレと言いましたが、

「不安」の原因が解れば、人間は行動できます。


私も、3ヶ月ぐらい時間を要しましたがね(笑)



色々考えて最後に出た結論がコレでしたね。


「不満」「不自由」「不安」をどれだけ取り除けるかが
ビジネスでも人生でも成功と失敗の分かれ目。

不満不安不自由



実態のない「自由」という言葉に踊らされて
何が何だか分からなくなっていた時期がありましたね。



あのころは発信する情報がかなりブレていたのではないかと
個人的には思っています。



最近やっと我に戻れました。





応援よろしくお願いします。