瀬田の唐橋 幾多の戦乱の舞台
昨日はお休みを頂きました。
完成見学会は、
23日も、24日も説明に熱が入り写真を撮ることが出来ませんでした。
残念!!。
24日はNPO公共技術研究協会さんとファイナンシャルプランナー
さんの応援で、賑やかな見学会と成りました。
ちょうどお客様もお見えになり、
前向きな話で、特にファイナンシャルさんは忙しく相談業務に
当たって頂きました。
公共技術さんとは、今後ますますタイアップを強化することで
一致して、今後の活動に生かして行きます。
さて、瀬田の唐橋です。
現在の橋は、1924年にコンクリートの橋に架け替えられました。
現代も近江八景で有名な古橋は、昔同様交通の要所であり続け
ています。
橋は「日本書記」の壬申の乱(672年)で初めて登場します。
大友の皇子と大海人皇子が皇位継承をめぐりこの橋で争ったと言う。
そのルーツは現在の橋から約80㍍下流にあったらしい。
1988年の発掘調査で、下流の川底から7世紀ころとみられる橋の
遺構が見つかっている。
武田信玄が残した言葉、
「唐橋を制するものは天下を制す」
の通り、京都につながる唯一の橋は軍事的要衛だった。
幾多の戦乱の舞台となり、消失や流失で架け替えを繰り返しとようで、
遺構は上流に向かって幾つも見つかっていると言います。
近くにマンションも出来て、往時の姿には程遠い状況ではありますが、
住民らが「唐橋古今会」を作って写真展を開くなど活動をする中で
往時の橋の復元をも目指すらしい。
滋賀県は2009年にさびが目立つとして橋の塗り直しを検討したが
地元の会は橋が朱色で描かれた「石山寺縁起」を例にして、
色の再考を求めたため、塗り替えは当分延期となったと言います。
往時のことも、架け替えのこともあまり知らず、私は良くこの橋を
使って滋賀に行っています。
橋から生まれた言葉だと言いますが「急がば回れ」塗り替えも急がず
ゆっくり回って考えて実行してほしいものです。