これで六日目の朝だ。宿のバルコニーはこんな感じ。ハンモックもあって、周りにはベトナムの少し古いアパートが立っている。
朝から熱気が凄い。
日本のテレビが見れて、ちょうど春の甲子園をやっていた。
日本語見習いの子が怒られてる。がんばれ。
手作りのフォーが朝ごはん。地味にサイドメニューのパンサラダも美味。
荷物は置かせてもらって、Ben Thanh 市場まで一歩き。9月23日公園の中を北東の方向だ。ちょっとしたセントラルパークのような位置づけなのかな。その整備された芝生を背景に、見慣れない体操遊具でおじさんおばさんが汗をかいている。
昼には空港についていなきゃいけなくて、昨日の到着も遅れ、滞在時間が短いホーチミン。戦争関係の施設や、都心の方で開かれるナイトマーケット、チュロンというチャイナタウン、教会もちらっと見れただけだ。また来てもいいな。
緯度的な暑さと都市特有のあの暑さが束なって体力を奪っていく…。
ベンタン市場はホーチミン随一の市場。いくつかの広い通路とせまーい通路に沿って、実に雑多な種類のお店が軒を連ねている。若い女の子が店番を退屈そうにしているアクセサリー屋、怪しげなお土産屋、ちょっとしたスナックが食べれる軽食屋。海の生臭い匂いがする何軒かの魚屋には、あまりお目にかかれないエビや魚の類が売られている。お店の近くを通ると、日本語や韓国語で声をかけてきたけれど何周もしているうちにされなくなった。ベトナムの人は中国人でないことは判別できるけれど日本/韓国は難しいのかもしれない。
値切りができる。連れによると半端なく値切りができたらしい。ということは半端なくふっかけてきたということでもある。
宿を出て、暑すぎたのでタクシーでドンコイ通りの方へ。
スーパーでお買い物だ。日本のお菓子などもいくつか売られていた。
ベトナム戦争で南が負けた関係で首都がハノイだが、ホーチミンの方が首都らしい(?)。ハノイも最近キているらしいけれど。
司馬遼太郎がベトナム戦争に言及しているのを読んだことがあるが、近代以前のアジアの農業を中心とした村単位の生活は潜在的に資本主義よりも社会主義にマッチしやすいのではないかという意見は一聴に値する。ただグローバル化が来るところまで来てしまった現在それはどうだろうか。
市民劇場。いわゆるコロニアル建築が名所になっている。南米やカリブの島々にもこのような建築物があり、見てみたい。
ホーチミンは夜の勢いはあるが、我々が感じる限りでは、いい意味でハノイせい旧市街より人も交通も「整備」されていてキレイで、エネルギッシュさを感じなかった。まあ超ショートステイなんだけれど。
パステルイエローの荘厳な建物は、フランス統治時代からの中央郵便局だ。
中にはお土産屋があり、大勢でにぎわっている。中央にはホーチミンの肖像画。
この広場にはサイゴン大教会もある。欧米のツアー客でにぎわっているが、彼らはやはり自国のデザインと土着の文化と融合したデザインの違いにすぐ気づくのだろうか。
あまり時間もないのと暑いので食事処へ退散。
ハードロックカフェにしばし寄ってみたあと(フランスでもそうだったけど、何故かアットホーム感)、熱帯植物の入り口が印象的な、Nha Hang Ngonで昼飯。
ゴージャス内装だが、半屋外で、冷房じゃなくて大きい扇風機しかなかったような記憶もあるけれど…。ホーチミンの暑さにやられたかこの日は写真が少ない。ちょっと定かでないし、改変されてるような気がする。ただホーチミンが暑かっただけで、レストランまでそういう印象になってしまっているのかも。
サイゴン大教会の裏にの通りは本屋が並んでいて、小洒落た雰囲気だった。村上春樹の本もあった(これはしっかり覚えてる)(ベトナム語なのになんで分かったんだ?)。
タクシーを呼んで、空港へ。フライトは16:15、ダナン→ホーチミンはジェットスターだったが、今回はカンボジア・アンコール・エアだ。
離陸案内の映像が、カンボジアンな女の人だった。東南アジアの伝統的な女性は「卍」みたいなかたちでなまめかしく舞っているイメージがある。イメージね。
ほんの一時間で降り立ったのは、カンボジア北中部、アンコール遺跡群観光の拠点となるSiem Reapだ。小ぶりなシェムリアップ空港に着くとまず、モダンな到着ロビーでビザを取得するための書類を書かなければならない。これがなかなか時間かかる。すでに機内で他の入国・税関書類と一緒に必要な人には配られたが、そこら辺の机に筆記用具があるのでロビーで記入。入国する人が皆3000円払うからがっぽりな収入源だろう。
空港職員おなじみの不愛想で機械的な対応。角のカウンターでは記入方法の分からない旅人と職員がたどたどしい共通語で意思疎通を試みている。スタンプと違ってページいっぱいに張り付けられたビザはアンコール・ワットが描かれたレアカードみたいで胸が躍る。
出てすぐの駐車場はすっかり夜の装い。ベトナムでは見なかったトゥクトゥクが客を探していた。
カンボジアでも使用できるGrabでタクシーを呼んでゲストハウスに向かおう。
タクシーのおじさんは日本人と知ると気さくになった。彼が英語で話す内容によるとヒズ・シスターが日本語を教えている(??)とのこと! しかもラインもやっていて、我々一行のひとりとライン交換もした。おじさんは明日も暇なので、アンコール遺跡でも乗せて回ろうかと言ってきた。地域一体には「ワット」だけでなく様々なアンコールの遺跡があるが、各々は歩いていくにはちょっときついかなというくらいに離れている。少し値切らせてもらって、次の日の4時半だったかな、宿の前で待ち合わせすることに。日の出を見たいので朝は早いのだ。
彼としても、その遺跡に送っていって、見学が終わる時間さえ決めておけば一旦愛する妻子の居る -嬉しそうに写真を見せてくれたー 自宅に帰ることができるというわけで、その日は休日ではあったけれども悪くはない話なのかも。こちらも次の日にそういう人を探すのは困難で、自転車もなくはないと考えていた(のは俺だけ?)ので、渡りに船でした。
大通りから舗装されていない小路に入ったところにあるThe Siem Reap Chilled Backpacker。まさに今風の、旅を支える欧米風のバックパッカー宿といった場所だ。高くないお値段で、レストランやプールまであり、カウンター近くにはブラックボードに白いチョークでこの宿主催かもしくは委託か、色々なアンコール遺跡のツアーが英語でその内容と費用が -それに例のレンタサイクルについても- 書かれていたりする。一つ言うとすれば断水がちょくちょくあること、まあこれはこの宿だけでなく地域的なものだから。
寝床に関して全く記憶がない。レストランとそれに隣接したプール、流れてくるEDM、ビリヤードをする欧米系の男たち(なぜ彼らがビリヤードをしているだけであんなに「サマ」になるのか)、そしてプール上がりにちょうど水が出ずオーナーに「Water Cut」を宣告されたことをよく覚えている。
ここで一通り済んでしまうし少し離れていたから中心街にはいかなかったけれど、ナイトマーケットなど有名と聞いていたから、今になっては少し残念だ。これが「Bullet Tour」のさだめか(英語正しいかな)。夜ご飯はピザ。
こんなに遅くに遊ぶ人もいなかったのでプールは貸し切りで、カンボジア水泳大会を開催した。種目は自由形12.5mとこんな機会じゃないとすることもない蹴伸びの飛距離を競うアレだ。
シャワー待ちの間に水着も乾いてしまったけれど、どうにか浴びて……明日はいよいよアンコール遺跡とご対面…