お立ち寄りくださりありがとうございます。
誕生した瞬間から手にしていた、私の世界を創り上げていたものがやっと分かりました。
深奥の動機にようやく辿り着いたように思います。
「本当のことが知りたい」
この題目を両腕で大切に抱えて産まれてきました。
以来、それが常に現在だったのです。
深奥の根本にある、原罪とも呼べる自分という我の世界の発生源です。
三次元では、全てが二極の姿を取ります。
スタートは即ちゴールです。
根源なのでそれは一つのものだと思われますか?
語感がそういう印象を与えるのかもしれません。
「根源」そのものに対極が同時に存在してしまう場が、ここ三次元というものなのです。
根源には同時存在するもう片方が必ずあり、それを「展開」と表現すると分かりやすいでしょうか。
その二つは因果律によって発生するものではありません。
ただ「同時存在」なのです。
どこまでいっても終わらないのはそのせいでした。
根源がある限り、展開は消えない。
展開している世界だけを見てどれだけいじっても、解決も終わりもしようがないのです。
根源からスタートして何処かへ向かい、ゆえに多くのことを探究してきたのだと思っていました。
人間とは、そういう見方しかできないようになっているからです。
「本当のことが知りたい」がスタートならばゴールはなんであると思われますか?
人間の感覚や期待では、「本当のことを知る」というゴールがあるよ!と語られます。
求めよ、さらば与えられん。ですね。
自らの希求に気づかなければ、知りたいことは手に入れようもない。
三次元の中でおとなしく人間であればそれでいいのです。
求めることは豊かさをもたらしてくれるものでもあります。
人間であるということを超えようとしない分には、それで因果は成立し願いも叶う。
スピリチュアル的には逆のように聞こえるかもしれません。
願いが叶うのは三次元でも当たり前なことです。願って起きるのは叶うと叶わないの二つのうちのどちらかなのですから。
それでも真の気付きによる小さな奇跡が起きることは、嬉しいことにそこここにありますね。
また、人間としてはとても重要だと感じていることでも、人間を超えるという話においてはどうでもいいことになってしまうのは、いたしかたがないことです。
ルールが違う、それだけです。
私が言うのは、人間としてあるために考えたり求めたりしているのではないということです。
この三次元でつつがなく生きていくためを目的としてきたのではありません。
三次元をつつがなく生きることを愛していますし、その幸福をないがしろにするのは淋しいことです。
でも生まれてきた目的はそれではないのですから。
とても分かりにくい話だと思います。
「本当のことが知りたい」を無意識の根源に抱えていたために、苦しみながら生きてきました。
それを抱えている間は問い続けなければならず、しかもなぜそうしてしまうのか己で分からないでいるのです。
ずっと、でした。
人間のルール上に救いはないからです。
「本当」の対は「偽」ですので、問うても問うても「どれも違う」としか感じられないのです。
どこにも「本当」が無い世界を自作自演すれば延々と「本当のことが知りたい!」を強化して継続していくことができ、自分の創る世界が丸く収まります。
良い悪いを省き、ただただ丸く収まります。
こんなの嫌だと思っていても、自分の知らない自分の無意識だっていつも私自身なのです。
知らない自分と常に一緒。
とても始末の悪い、無意識とはそういうものですよね。
ほんの身の回りの世界のことではありませんでした。
地球規模でこの世界を自分が創っていたということの繋がりが見えたからこそ納得することができたのです。
それを目の前に見させてくれたのはパートナーです。
気づけば観ている世界が変わる。
認めたくはないですが、これまでそれを本気では信じられていませんでした。
根本に気づいていなかったからでしょう。
どれだけ取り組んでも変わらないじゃないか!と不信に陥るほどに長い時間を費して知るべきことを探し求めてきたのです。
社会的にグダグダであっても、いつも自分自身には本気で生きてきたと思います。
何時に何事が起きるべきか圧倒的な完璧さには抗いようもなく、為すべき通りに生きてこられたと思える流れが要所要所にありました。
時とは恐ろしいほどにピタリとやってきます。
パートナーに。
私たちの暮らすこの世界は、これまで見てきたような理不尽だったものからもう変わっていくよ。
読んでいただいた御縁に感謝です✨